文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「国家には生き残りの本能がある」と佐藤優は言った。国家の主体とは国民ではなく官僚階級である。つまり、検察官、裁判官、警察官を含む官僚階級には組織防衛という「生き残りの本能」があるということである。

陸山会裁判で、小沢一郎秘書三人全員有罪という予想外の判決がくだされたことで、一部には一喜一憂する向きがあるらしいが、しかし、普段、「国家とは何か」という国家の本質論を考えていれば、この判決は予想外でも想定外でもなく、いたって常識的な判決なのだということが分かるはずなのだが、どうもそうではないらしい。裁判の判決結果に落胆しているらしい「小沢一郎シンパ」が、僕もその中の一人だが、思想的に幼稚なのは言うまでもないが、この有罪判決を受けて、条件反射的に興奮し、奮い立っているらしい自民党議員やネット右翼の皆さんは、さらに幼稚だと言わなければならない。国家が本当に危機に直面すれば、何をするか。 何をやるか。なんでもやるのである。民主主義も三権分立も、そして人権の尊重も言論の自由も、その他諸々の権利もあったものではない。あらゆる思想や制度は隠れ蓑であり、「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)なのである。ひとたび、国家に危機が到来すれば、あらゆるイデオロギー装置は、本性を露わにして、一人一人の国民に向かって牙をむき出すのである。今回の裁判結果は、大げさに言えば、国家が国民に銃口を向けたようなものである。それだけ国家の側が崖っぷちに追い詰められ、生き残りのために「必死」になっていることを意味する。昨日の国会審議を聞いていて、民主党もダメだが自民党はもっとダメだなと思わないわけにはいかなかった。何よりも自民党議員は顔が悪い。 前にも書いたが、小林秀雄は、「文芸評論家になりたいが、どうすればなれるでしょう」と質問した青年に「まづ顔だよ。お前さんは顔が悪い。まだ顔がで来ていない。文芸評論家になるのは無理だね。」と言ったという。本当か嘘か知らないが、おそらく本当だろうと僕は思う。ところで最近の自民党議員は、貧乏神を背負いこんだかのように貧相で、陰険で、白痴的な顔をしている奴ばかりだ。かっての自民党の代議士達の顔はこうではなかったはずだ。と、いうのは冗談だが、石原伸晃幹事長を筆頭に、小沢一郎秘書三人全員有罪という判決を受けて、自民党議員の面々が、あまりにも「必死」なのが笑える。追い詰められているのは誰か?誰が崖っぷちに追い詰められているのか?(続く)



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