文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「学生街の喫茶店」から、「我が闘争」は始まった・・・。(「喫茶店放浪記2」)

昔、「学生街の喫茶店」という歌があったらしい。というのは、僕が、この歌を知ったのは、この歌がヒットしていた頃ではなく、つまり学生時代も終わったはるか後のことで、学生時代を「懐かしい」と思うようになった頃だからである。同時代的には、この歌について何も記憶していないのだ。要するに僕は、当時、大学生の間で流行していたらしい「フォークソング」や「反戦フォーク」「シンガーソングライター」なるものが大嫌いであった。貧乏くさく、素人っぽい歌で、しかも自己陶酔しているかのような歌い方がガマンならなかった。甘ったれるのもいい加減にしろ、と思っていた。だから記憶にもない。レコードを買ったこともないし、もちろんコンサートの類に出掛けていったこともない。しかし、歳を重ねるに従って、頭の片隅にかすかに残っていたそれらの歌が、懐かしく思い出されるようになった。中でもガロが歌っている「学生街の喫茶店」はなつかしい。≪君とよくこの店にきたものだー≫≪学生でにぎやかなこの店でー≫という歌詞そのものは大嫌いだが、何故だか、今は、この歌を聞くと胸が熱くなる。あの頃、こんな甘ったれた歌詞を聞くと、わけもなく、憎悪のようなものが吹き上げ、怒りにふるえるもだったはずなのに・・・。しかし今は、あの頃、自分は何をしていたのだろう。何に悩んでいたのだろう。あの頃、何を夢見ていたのだろうなどと、思い出に耽ってしまう自分がいるからだ。僕は、当時、大学院で哲学を勉強していた。自分の才能に、誇大妄想的に自信を持っていた。そんな時、僕の才能を高く評価してくれていると思っていた教授に、喫茶店に連れて行かれた。その教授と二人だけで喫茶店に入るのは初めてだった。教授は、突然、「附属高校の教師にならないか・・・」と言った。僕は、まったく予想もしないことだったので、絶句するほかはなかった。しかし、それが何を意味するか、やがて僕にも理解できた。もちろん、僕は、世間知らずの、傲慢で、孤独な若者だったから 、咄嗟に、高校教師などになるために勉強しているわけではない、と思った。教授にも分かったらしかった。話はそれで終わりだった。最後に、坂上弘さんが学生時代に小説を書いて芥川賞候補になったという話をしてくれたように記憶している。こうして、僕は、学者(哲学者)として生きていく道を断念し、最初からの志望であった文芸評論家として、マスコミやジャーナリズムに活路を見出す方向へ進路を切り替えたのだった。あの喫茶店の名前は「洗濯船」だったか「ユニコン」だったか、それとも別の名前だったかよく覚えていない。しかし、あの喫茶店から、僕の闘いが始まったことはまちがいない。教授は、僕の将来を心配してくれていたのだと、今なら理解できるが、当時はまったく理解できなかった。見捨てられたのだと思った。その教授は、学部の頃から可愛がってくれ、僕もこの教授に最後までついていこうと思っていた。しかしその、僕の大事な恩師であったM教授も、既にない。ちなみに、僕の処女作『小林秀雄ベルグソン』の主要なテーマもアイデアも、M教授の指導するベルグソン原書購読の時間から生まれたものである。М教授は、ベルグソンやティヤール・ド・シャルダンの研究者だった。M教授は、学者としてはそれほどの業績は残していない。しかし、生きる方向を見失っていた僕に、学問や思想に生きることの喜びや考えることの喜びを教えてくれた、掛け替えのないない先行者だった。というわけで、今なら、「学生街の喫茶店」という歌も、「古くから学生の街だった・・・」とあべ静江が歌っていた「コーヒーショップで」という歌も、許せるような気がする。(続く)


■今は、学生の街・江古田の「片隅にチェロの置いてある小さな喫茶店」が好きだ。しかし、名前も場所も、誰にも教えたくない。秘密の花園?w

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