文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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中沢新一「日本の大転換」を読む。

マスコミにも論壇にも、受け売りの、一夜漬けの震災論議原発論議が氾濫しているが、そうした付和雷同する議論の洪水にうんざりしている人も少なくないに違いない。私もその一人だが、無論、震災論議原発論議のすべてが不毛だというわけではない。たとえば、中沢新一の「日本の大転換」(「すばる」6月号)は、マスコミなどに氾濫している表層的な、紋切型の議論とは異なる思想と論理を展開している。中沢は、原発事故を、一神教や資本主義と関連させながら論じる。 つまり、原発が生態系にとって異質な「外部」を、我々人間の住む生態系に持ち込んだとすれば、一神教も資本主義も、同じような「外部」を持ち込んだものだという。その意味で、あきらかに震災と原発事故は同じ種類の事故や災害ではない。大震災も悲劇的な大災害だが、それは、植物が新たに芽生え、生き延びた人間が再び家を立て生活を取り戻すにしたがって復興や再生が可能なのに対して、原発事故の場合は、大震災の被災地と同じような復興や再生は不可能だという。ここまでは誰でも考えそうなことだが、中沢の議論が面白いのは、原発を、宗教や資本主義の問題と結びつけるところだ。中沢はこう書いている、「ほんらい生態系には属さない『外部』を思考の『内部』に取り込んでつくられた思想のシステム、それはほかならぬ一神教(モノティズム)である。『第七次エネルギー革命』の産物である原子力技術の、宗教思想ににおける対応物が一神教なのである」。そして、「第三次エネルギー革命」のさなかの中近東に誕生した一神教の誕生について、モーゼの神との出会いを通じて、こう書く、「世間で知られている神々は、動物の姿をしたり、人間の男や女の姿をしているが、自分はそういうイメージをいっさいぬぐいさった、抽象そのものの神である、という思想が伝わってきた。他の神々は山や川の女神であったり、動物界や植物界を支配する神であったりするのだが、自分はそういう環境世界には所属しない絶対的な神で、むしろ環境世界の外部にいて、そこから世界そのものを創造した神である。」「ユダヤ民族はそういう絶対的な超越の神を信じなければならない、そう火の中なかの声は語った。この体験をきっかけにして、モーゼは人類の宗教思想に革命をもたらす者へと変貌していった。(中略)一神教が重要なのは、それに特有な「超生態圏」的な思考が、西欧においてキリスト教の衰退後に覇権を握った、世俗的な科学技術文明の深層構造にも、決定的な影響を及ぼしているからである。」(続く)

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