文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小沢よ、「正論」を吐くのは負け犬のやることだ。「反原発」などという正論を吐くのは評論家か菅直人か、あるいはフリージャーナリストにまかせておけ。

久しぶりに小沢一郎小沢一郎らしい動きを始めたらしい。最近、フリージャーナリスト等の言論に影響されたのか、どうだか知らないが、このところ、すっかり大衆迎合的な「反原発活動家」のカリスマにでも「堕落」していたのかと思はれていた小沢一郎だが、マスコミに「小沢時代の終わり」だの「小沢戦略に手詰まり」などと書かれ、突然、目覚めたらしく、小沢一郎らしい、なにやら怪しい動きを再開したらしい。渡部恒三との合同誕生会を渡部に呼び掛け、しかも驚くべきことに、目下謹慎中の前原誠司を代表世話人に引き込むことに成功したらしい。「反原発活動家」よりはましである。言うまでもなく、「反原発」とか「原発を止めろ」などという大衆受けのするイデオロギーで政権がとれるわけがないのである。政治家が「正論」を吐くようになったらお仕舞いである。菅直人首相が、突然、「浜岡原発中止」を発表した時、それが一時的な「人気取り」を狙ったものであることは明々白々であり、やはりこれならば、菅内閣は一刻も早く倒さなければならないと思った。というわけで、僕は、ここで、江藤淳先生の「治者の政治学」を思い出さないわけにわおれない。「治者」とは何か。治者は「正論」を吐くことを自らに禁じたひとだ。言い換えれば、政策実行者として、世間の批判に曝されるのを我慢し続け,黙々と対応政策を実行し続ける人のことだ。世論に迎合し、大衆の好みそうな美辞麗句を乱発し、大衆から拍手喝采を浴びるような人のことではない。「反原発」は、今日の美辞麗句である。従って、軽々しく「反原発」を語る政治家や評論家を、僕は信用しない。おそらく、江藤先生が、政治家としての小沢一郎を高く評価したのは、小沢一郎の政治姿勢とその資質に「治者」の影を見たからだ。つまり、「反原発」などと、愚鈍・軽薄なフリージャーナリスト等の尻馬に乗って、軽々しく口にするような政治家とは思っていなかったということだ。

“小沢誕生会”の世話人に前原氏 急接近で連携の憶測
2011年05月12日17時31分:政治 提供:共同通信


 民主党小沢一郎元代表渡部恒三最高顧問の誕生日である24日に開かれる合同「誕生会」の代表世話人として、小沢氏に距離を置いていた前原誠司前外相が名前を連ねていることが12日、分かった。誕生会は「新しい東北の誕生」の意味も込め、東日本大震災からの復興に向けて被災地の産物を食べながら風評被害解消をアピールする趣向。前原氏は12日のグループ会合で「東北を元気づける会。他意はない」と平静を装ったが、小沢氏との“急接近”は「新たな連携の動き」と臆測を呼びそうだ。


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