文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

阿部公彦と大澤信亮。批評は甦るか?

 今月号の「文学界」に、面白い二つの批評文が掲載されている。阿部公彦の「凝視の詩法」と大澤信亮の「復活の批評」である。これら二つの批評文は、現在の批評の沈滞の原因が何処にあるか、そして批評の復活は如何にして可能か、という問題を考えるうえで、なかなか興味深いテキストである。小林秀雄以来、批評は文体である、とよく言われる。つまり思考のスタイルとしての文体が問われるのが批評だ。書かれた内容も重要だが、書くときのスタイルもまた、言語表現や表現行為には重要である。そのことを、本居宣長にならって「意は似せ易く、姿は似せ難し」と小林秀雄は書いたが、それは、思想内容は似せ易いが、文体は似せ難いという意味である。しかし、最近の批評は文体に無関心であり、他人の文体にも無頓着である。つまり、最近の批評は思想内容にしか関心がないように見える。文藝雑誌から批評が消え、同時に文学論争も政治論争もなくなり、文藝雑誌に登場する批評家たちは、もっぱら小説の解説役や紹介役に徹するようになっているが、それは文体軽視の風潮と無縁ではない。批評にとって文体とは「生き方」にかかわるものであり、文体軽視とは、批評家や作家の「生き方」という問題を軽視するということだ。具体的に言えば、批評は、たとえば大学教授や准教授たちの、つまり学者センセイたち「余技」や「趣味」に成り下がっている。「批評を生きる…」人がいなくなった。たとえば、阿部公彦という東大准教授(現代英米詩専攻)が、「文学界」に「凝視の詩法」を連載して、今月号が最終回らしいが、この人は、連載中、一貫して「小林秀雄的批評」を誤読・歪曲した上で、高みの見物席から嘲笑し続けてきた。今月号でも、こう書く。

小林秀雄にしてからが『文学がわかる』ということを出発点にさかのぼって語る批評家だった。作品の内容や価値が読者に共有されているという前提で語るのではなく、『わかるか、わからないか、という所で戦うのだ』とでもいう口調である。(中略)私たちは小林秀雄の口から作品の解説や解釈聞くことはほとんどなく、もっぱら小林のこだわりや熱意や、強烈な゛拒絶゛と゛禁止゛のジェスチャーを見せつけられるだけ。作品理解の糸口を求める人にとって、小林秀雄の批評が苛立たしいものとなるのももっともなのである。

 小林秀雄的批評が「わからない」ならば、無視・黙殺すればいいものを、これまた小林秀雄の批評が「わからない」ことを、無理矢理に正当化する中村雄二郎の「小林秀雄批判」や、あるいはオースチンの「言語行為論」を使って、小林秀雄的批評の「本質」と「限界」を理解したかのように振る舞い、皮肉交じりに批判する。中村雄二郎オースチンの名前を出すと、小林秀雄批判が容易に可能になると考えるあたりが、微笑ましいが、明らかに小林秀雄的批評に正面から向き合うことを避けて、「外国文学研究者」や「東大准教授」という見物席から、冷笑的に見下していることがわかる。かかる「大学紀要」レベルの雑文が、何故、文芸雑誌に堂々と掲載されるのか? 「大学紀要」レベルの雑文を有難がり、それを批評として優遇し、批評そのものを遠ざけてきたのが、最近の文藝雑誌の編集者たちだった。文藝雑誌が地盤沈下するはずである。さて、大澤信亮の「復活の批評」(「文学界」3月号)を読みながら、、僕は、ふと「批評の復活」について考えていた。大澤は、そこで、作家や小説ではなく、批評家と批評を問うている。この問題意識の差異は重要である。大学教授や准教授たちの「余技」としての批評は、決して批評家や批評の本質を問うことはない。小説や作家の解説や分析に、あるいは批評家たちへの揶揄的批判に終始する。これは何を意味するか。大学教授や准教授たちの「余技」としての批評は、決して、自己自身の存在や生き方を問題にすることができない、ということである。大澤は、彼らとは明らかにその立つ位相が異なっている。大澤は、「批評」と「批評でないもの」を峻別する。

福島亮大氏は『神話が考える』で「疑似宗教」の必要性を説いた。安藤礼二氏も神秘的なものを批評の軸に据えている。しかし私には両氏の議論は構成的なものにしか見えない。つまり、「神についての話」であり、記述自体が神がかっているわけではない。(中略)同じ印象は柄谷氏の『世界史の構造』についても持った。丁寧に整理されてはいるが、テクスト自体が「神の力」を体現し、今ここで諸個人を破壊的に結び直す感覚はない。ようするに神という言葉を口にする実践的な切迫が感じられない。

 これらの批判は鋭い。「神」に言及していても、「神がかってはいない」、また「神という言葉を口にする実践的な切迫が感じられない」とは、「解説」や「説明」にはなりえていても「批評」にはなっていない、ということだ。大澤は、小林秀雄についてはこう書いている。

思い出して欲しい。イデオロギーを拒絶し、自分自身を内省するとき、真に社会がつまった自己に行きあたる。これが小林の出発点だった。自然主義=私小説は「現実」に拘泥し過ぎており、プロレタリア文学は「思想」に拘泥し過ぎている。こう小林が同時批判し得たのは、彼が、自分がこの体で生きているというありふれた事実には、意識に回収できない何かがあるという驚きを、強固な存在感覚として持っていたからである。だから彼は書いた。〈マラルメは、決して象徴的存在を求めて新しい国を駆けたのではない。マラルメ自身が新しい国であったのだ、新しい肉体であったのだ〉(「様々なる意匠」)

 大澤が、阿部公彦とは異なり、小林秀雄的批評の真髄を理解しようとしていることは明らかだろう。大澤は、阿部公彦的批評を批判するかのように、この「復活の批評」の冒頭には、こんなことも書いている。

柄谷氏が「批評と運動」という領域に向かったことは決定的だった。それは批評が、知的なお喋りでも学者先生のお勉強の成果でもないこと、ある認識的な確信と倫理的な覚悟において、社会を変える実践に向かわねばならないこと、そのときこそ思想の真の力が試されることを証明した。

(続く)



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