文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

政治哲学の本質は「国家論」にあり。

国家観という言葉が頻繁に使われるようになったのは何時ごろからだろうか。この政治家には国家観がないとかあるとか、保守系の政治家や評論家、ジャーナリスト、そしてマンガ右翼やネット右翼の若者たちあたりが、しきりに得意気に国家観という言葉を使って政治を語っていたと思うが、僕はその種の発言を聞くたびに、ある種の嫌悪感と侮蔑感を感じないわけにはいかなかった。僕は、その頃から国家観ではなく国家論を語るべきだろうと考えていた。国家論とは、国家の本質とは何か、国家の起源とは何か、国家の廃棄は可能か、国家は乗り超え不可能な共同体なのか、国家こそ精神の最高形態なのか……というような問題を論じるものだが、逆に国家観とは、そういう問題を封印し、抑圧し、隠蔽するものだ。国家観には「国家とは何か」という問いは存在しない。つまり国家観には、現在、成立している国家がそうであるように、固定した国家のイメージがすでに確立されている、そしてその国家のイメージを守るべきだということである。(続)


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