文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

柄谷行人の新著『世界史の構造』を読む。

読むに値する作家や批評家、あるいは読むに値する思想家や研究者というものは、決して多くない。否、むしろきわめて少ないといっていい。それは、言うまでもなく、「考えさせられている人」は少なくないが、自分の頭で「考える人」は絶無に近いと言うことである。別に、それは日本にかぎったことではなく、世界中、何処を見渡しても、いつの時代でも、似たようなものだろう。では、自分の頭で考えるとは、どういうことか。小林秀雄は、このことについて、ソクラテスを引き合いに出して、ソクラテスは、「考えさせられる」ことを徹底して拒絶した人だった、と書いているが(『プラトンと国家』)、これは言い換えると、小林秀雄が、ソクラテスこそは自分の頭で考えるということを果敢に実行した人だったと見なしているということであろう。しかし、言うまでもなく、自分の頭で考えた人はソクラテスだけではない。いつの時代にも、どこの国にも、そういう人は、多くはないが、必ずいるといっていい。そういう人が、歴史に残るような作品を創造するのであって、作品とは考えさせられて人間の記録というよりは、自分の頭で考えた人間の記録といっていい。ところで、現代日本でそういう人物を捜すとすれば、どういう人が思い浮かぶだろうか。私が、最初に思い浮かべるのは、文芸評論家にして、思想家ともいうべき活躍をしている柄谷行人であるが、柄谷行人の新作『世界史の構造』(岩波書店)を読んで、あらためてそう思わないわけにはいかなかった。ところで、柄谷行人というと、小林秀雄江藤淳の系譜につながる文芸評論家であるとはいえ、どちらかというと左翼思想家という分類に入ることから、保守論壇の一部では、「柄谷行人なんて問題外・・・」という先入見の持ち主も少なくないが、私に言わせれば、柄谷行人なんて左翼思想家にすぎない、それ故に問題外・・・と見なした時点で、もうすでに、その人は、物を考える人としては思考停止に陥っているのであり、自分の頭で考えるということを放棄していると考えた方がいい。柄谷行人の思想の核心にはマルクス論があるが、同時に漱石論があることはよく知られているが、柄谷行人マルクス論のモチーフが、柄谷行人自身が何回も証言しているように、小林秀雄以来の文芸評論家のマルクス論を受け継ぐものであり、またその漱石論のモチーフが、江藤淳漱石論を前提にしていることは明らかである。ちなみに文芸評論家としてデビュー前の二十代の柄谷行人が、先輩批評家である江藤淳の文体を熱心に研究、分析し、密かに模倣していたことはよく知られているが、実は、柄谷行人が、文芸評論家としては例外的によく読まれ、各方面に影響を与えている根拠の一つがその洗練された文体であってみれば、柄谷行人を、左翼思想家とのみ見る見方は、かなり的外れなのであることがわかるはずである。柄谷行人を左翼思想家としか見ない人たちは、小林秀雄江藤淳の文学や思想をも見ない人たちであると言って間違いない。そもそも、小林秀雄江藤淳が保守思想や右翼思想の人でありながら、保守や右翼という垣根を越えていたように、柄谷行人も左翼や右翼・保守という二元論的枠組に収まりきれない根源的、かつ過激な思想家である。このことを理解するためには、たとえば、フッサール研究者の細谷恒夫が、「現代哲学における現象学の意義」(『世界の名著51』解説)で言っていることが参考になる。

第二に、現象学が特定のイデオロギーや各人の世界観には中立的である、ということがあげられよう。それは「判断中止」という方法論にも現れているが、それは決して世界観の対立やイデオロギーの争いから身を避けるといった、単に消極的なものではない。むしろそれらを超え、その根底にあってそれを可能ならしめる、人間そのもののあり方への根源的な反省という積極的な意味をもちうるのである

 私は、柄谷行人を、左翼か右翼かという「世界観の対立やイデオロギーの争い」という次元では読まない。私が読むのは、「むしろそれらを超え、その根底にあってそれを可能ならしめる、人間そのもののあり方への根源的な反省という積極的な意味」を見出すためである。その意味で、柄谷行人のテクストが、思想的沈滞と劣化の著しい現代日本で、例外的に読むに値するテクストであることは間違いない。柄谷行人は、『世界史の構造』の序文で、こう書いている。

本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうとする企てである。私はこのビジョンを、すでに前著『トランスクリティークーーカントとマルクス』(2001年)で提示している。それを本格的に展開したのが本書である。

柄谷行人は、『トランスクリティーク』によって、マルクスも考えなかったような、「資本=ネーション=国家を越える展望」を、つまりアソシエーション論(新しいコミュニズム)として明示したといっていいが、しかし、その後の「九・一一」以後の歴史的展開を考慮するならば、その展望も、変更をせざるを得ない点が出てこざるを得なかったという。つまり、交換様式論という視点からの「世界史の構造」を読み解く作業である。それは、『トランスクリティーク』批判とならざるを得ないわけだが、同時に、柄谷行人の批判は、世界的にわき起こっていた「反グローバリゼーション運動」全般に及ぶことになる。つまり、一九九九年のシアトルにおける反グローバリゼーション運動、デリダの「新しいインターナショナル」の提唱、ネグリ&ハートの「マルチチュード」による世界同時革命的な反乱の提唱・・・などは、いずれも、二〇〇一年に起こった「九・一一」以後の事態によって破壊されたと、柄谷行人はいう。その時、露出してきたのは「国家やネーションがたんなる上部構造ではなく、能動的な主体として活動する」という事態であった。つまり、「資本と国家への抵抗運動は一定のレベルを越えると必ず分断されてしまう」という現実だった。そこで、柄谷行人が新しく考えたのが、交換様式という観点からの社会構成体の歴史をとらえ直すという作業だった。つまり、マルクス、あるいはマルクス主義者のように、「生産様式」の変化が世界史の構造であるという唯物史観、ないしは史的唯物論批判というわけである。その時、柄谷行人は、どういう思想的位置にいたただろうか。『世界史の構造』序文に、柄谷行人自身の思想的態度の変化についてこう書いている。

だが、このようなテクストの読解には限界がある。私の意見が彼らに反することが少なくなかったし、また、彼らが考えていない領域や問題が多かった。したがって、「世界史の構造」を考えるにあたって、私は自身の理論的体系を創る必要を感じた。これまで私は体系的な仕事を嫌っていたし、また苦手でもあった。だが、今回、生涯で初めて、理論的体系を創ろうとしたのである。私が取り組んだのは、体系的であるほかに語りえない問題であったからだ。

では、マルクスでは、何故、駄目なのか。同じく序文で柄谷行人は書いている。

その原因は、マルクスが、国家やネーションが資本と同様に、たんなる啓蒙によっては解消することができないような存在根拠をもつことを見なかったこと、さらに、それらがもともと相互に連関する構造にあることを見なかったことにある。資本、国家、ネーション、宗教を真に揚棄しようとするのであれば、まずそれらが何であるかを認識しなければならない。たんにそれらを否定するだけでは何にもならない。結果的に、それらの現実性を承認するほかなくなり、そのあげく、それを越えようとする「理念」をシニカルに嘲笑するにいたるだけである。それがポストモダニズムにほかならない。したがって、マルクスによるへーゲルの批判をやりなおすということは、へーゲルが観念論的であれ把握した近代の社会構成体およびそこにいたる「世界史」を、マルクスがそうしたように唯物論的に転倒しつつ、なお且つ、へーゲルがとらえた資本・ネーション・国家の三位一体性を見失わないようにすることである。そのためには、生産様式ではなく、「交換様式」から世界史を見るという視点が不可欠である。

(続く)



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