文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「親米か反米か」という「対立」が隠蔽してきた「差異」に注目せよ。

一連の「政権交代つぶし」や「小沢一郎つぶし」をもくろむ米国・官僚・マスコミ・検察・自民党連合軍による新聞テレビを使った最近の過熱報道に対して、ネットやブログを中心とする新しい言論空間に、「反米論」とも言うべき「従米属国批判」が着実に盛り上がってきて、大きな思想運動が形成されつつあるわけだが、しかし、これは西部邁小林よしのり等に代表される「左翼崩れ」による、何が何でも反米、つまり米帝国主義を打倒せよ、というような従来の「反米愛国論」と同じではないことを、ここであらためて、僕としては確認しておきたいと考える。言い換えるならば、「小沢一郎批判」を中心的なテーマとする最近の米国の植民地支配の動きの背景は、その手先としての日本の官僚組織、あるいマスコミ等の、そのあまりにも露骨なやり方と相俟って、日本国民の多くが知ることになり、怒りが爆発寸前になっているわけだが、これは、ただ単に「反米愛国論」を唱え続けている西部邁等の「反米主義」と同じではない。その証拠に、最近の西部邁は、肝心の「小沢問題」に関しては、最近のマスコミ報道に迎合するかのように、「小沢はゴロツキである」論を唱え、いわば、「米国・官僚・マスコミ・検察・自民党連合軍」による新聞・テレビを使った最近の過熱報道に加担するというように、自己矛盾というか自爆的とも言うべきか、実質的な「従米属国論」に陥っているのである。要するに、今は、「反米自主防衛論」とはいえ、西部邁の出る幕ではないのである。これは、言い換えるならば、これまで語られてきた「親米か反米か」という従来の保守論壇的な二元論では語りえないような問題状況に直面しているということだ。西部邁が、新聞やテレビが垂れ流す検察の謀略情報を真に受けて、米国の植民地支配を歓迎するかのように、「小沢一郎バッシング」に励む哀れな姿を見ていると、西部邁的な言論が自己矛盾に陥って、もはや通用しなくなっているという現実を思い知らされる。ようするに冷戦時代の遺物である「反米」も「親米」も、もはや役に立たないということである。「反米」か「親米」か…という対立が隠蔽してきた「差異」が、小沢問題や検察問題、マスコミ問題…として露出してきたということである。いずれにしろ、「小沢問題」に鈍感な「左翼くずれ」が売り物の西部邁の出る幕ではない。西部邁には、肝心な問題、つまり「対立が隠蔽した差異」は、何も見えていないのである。


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