文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

三宅久之二世・上杉隆が何かホザいているらしい。(笑)

一昨日、文壇バアー「風花」の30周年パーティがあり、その帰り道、新宿駅まで、文芸評論家・小林秀雄に詳しい某大手新聞の文藝記者と歩きながら、僕は、「最近、政治評論に興味を持っているんですよ」と話したのだが、その時、彼が、「新聞記者あがりの政治評論家は薄っぺらだからなあ・・・」「情報は持っているだろうが、分析となると底が浅い・・・」「小林秀雄江藤淳の政治評論は素晴らしい・・・」というようなことを言うので、僕は、「最近、目立ち始めた秘書あがりの政治ジャーナリストというのも甘いんですよ」と答えたのであった。さて、その「秘書あがりの政治ジャーナリスト」のことなのだが、「売れっ子政治ジャーナリスト」というのはテレビや週刊誌のような商業ジャーナリズムに出ずっぱりで、テレビ局や出版社なぞを梯子して、誰かが喜びそうな荒唐無稽なおしゃべりを繰り返すことが「現場」だと思っているらしいが、そういう能天気な現場感覚こそが、政治ジャーナリストが「官房機密費」の罠に落込む原因なのだ、ということがわらないらしい。僕は、別に永田町を御用聞きのように徘徊する上杉隆ごとき、政治家の秘書あがりの三流ジャーナリストと論争するつもりも、議論するつもりもなく、ただ上杉隆のような「良心的な」(笑)・・・「政治ジャーナリスト」の自己欺瞞と職業的無意識とを一つのケーススタディとして研究・分析してみたいと思っているだけである。ところが、その上杉が、漫画かアニメのヒーローのように、「たかじんの委員会(?)」で、「噂の三宅さん」に「あんたは官房機密費を貰いましたか」とかなんとか質問したらしい。さすが上杉さん・・・。すっかり正義のヒーローになっちゃったってわけ。これで、「検察の暴走」批判に続いて、「官房機密費」問題も、上杉ヤッターマンの超能力でめでたく解決(???)し、日本に平和が戻りました…というお目出度い話。ところで、その上杉がtwitterで、こんなことを書き込んでいる。

(上杉隆twitterより)


自らは一貫して安全地帯に引き篭もりながらまったく切れ味の鈍い予定調和的言説を繰り返す毒にも薬にもならない蛇のような自称・文藝評論家は完全無視することに決めているなう(笑)。 QT @St_Paso 上杉さん、なんか山崎行太郎さんがblogでお怒りになってますが…
11:17 PM May 15th webから


確かに…(笑) RT @Saisyoh 蛇は毒にも薬にもなりますので、ゴミでよろしいのでは。 RT @uesugitakashi: 予定調和的言説を繰り返す毒にも薬にもならない蛇のような自称・文藝評論家は
11:34 PM May 15th webから

「自らは一貫して安全地帯に引き篭もりながら・・・」「まったく切れ味の鈍い予定調和的言説を繰り返す・・・」「毒にも薬にもならない蛇のような自称・文藝評論家・・・」「完全無視することに決めているなう(笑)。・・・ 」というのは、「自称・文藝評論家」とあるから、たぶん僕のことだろうが、「完全無視」するつもりならば、週刊誌に名前を出したり、twitterで、マンガ右翼の小林よしのりセンセイの物真似かどうか知らないが、「自称・文藝評論家」などと書き込まないで、それこそ「完全無視」すればいいのに、何故、文字通り「完全無視」できないのだろう。それにしても、「自らは一貫して安全地帯に引き篭もりながら・・・」というのは面白い。この自意識の欠如した秘書上がりの自称・政治ジャーナリストは、自分の感覚としては、危険地帯を駆け巡る戦場ジャーナリストの気分なのだろうが、ということは、つまり、彼の念頭にある「安全地帯」でないところとは、テレビや週刊誌のこと、あるいは永田町をうろつき回ることらしい。さしずめ、「事件は現場で起こっているのだ」「現場とはテレビ、週刊誌、永田町である」ということなのだろう。ヘーゲルは「直接性」は媒介されているから信用できないというのだが、こういう能天気な「直接性馬鹿」には、そんな話は通用しそうもない。というわけで、僕は、今後も一貫して、上杉センセイのご指摘のように、「安全地帯に引き篭もりながら」「毒にも薬にもならない予定調和的言説」とやらで、政治家批判ではなく、政治評論家批判、政治ジャーナリスト批判を展開していきたい。上杉センセイ、「完全無視」でお願いします(笑)。




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