文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「琉球新報」掲載の拙稿「普天間問題再考(2)」の再録。

■「琉球新聞」(2010.5.12、水曜日)掲載の「普天間問題再考(2)」
「命懸けで蜂起する時」


 今回の鳩山首相の沖縄訪問で明らかになったことは、沖縄の普天間基地移設問題は、鳩山首相個人の政治手腕や交渉能力、あるいは意思や努力ではどうにもならないという現実だった、と私は思う。つまり、米軍基地問題においては、沖縄県民や日本国民の「蜂起」(抗議行動)こそが、重要な鍵を握っているということである。特に、沖縄県民の集団的な蜂起(抗議行動)がなければ、普天間米軍基地の県外移設も国外移設も不可能だということが明らかになったのが、今回の鳩山首相の沖縄訪問であった。
 私は、昨年11月、「県外移設」「国外移設」を語りながら曖昧な発言を繰り返す鳩山首相を、「米軍基地存続論」を公然と肯定するかのような言動を繰り返す鳩山内閣の閣僚達、たとえば岡田外相や北沢防衛相等とともに、裏で口裏を合わせているのではないかという疑惑から厳しく批判し、結論が「米軍基地存続」ということになったら、鳩山首相は責任をとって、即、退陣すべきだと書いた。
 しかし、今回の沖縄訪問で、鳩山首相が、「抑止力論」から沖縄の米軍基地存続は不可避であり、沖縄に引き続き米軍基地を引き受けてもらいたいと頭を下げたことから、「鳩山の裏切り」「不誠実」「言葉の軽さ」を理由に、一部から烈しい鳩山批判が巻き起こっているいるにもかかわらず、私としては、少なくとも鳩山首相個人は、強く県外・国外移設を望んいたということが確信できた。ホンネは「基地存続論」ではないのか、という私の読みは正確ではなかった。そこで、もう一度、鳩山沖縄訪問を受けてこの問題を考えてみたい。
 私の結論を述べよう。アメリカ政府は、世界軍事戦略や米軍再編の観点からも、沖縄に固執していない。日米関係を仕切る外交評議会の重鎮の一人であるジョセフ・ナイハーバード大教授、沖縄問題の専門家のチャルマーズ・ジョンソン、前国家安全保障会議(NSC)アジア部長(現ジョージタウン大教授)のビクター・チャ等の論文や言動からも、それは明らかである。アメリカ政府は、おそらく鳩山首相の最終的な「腹案」であるグァムやテニアン等への「国外移設論」を頭から拒絶しているわけではない。むしろ、沖縄に米軍基地を据え置くことによる日米関係の悪化、そして日本国民の反米感情の高まり、あるいは反米軍暴動を恐れている。つまり、沖縄米軍基地の存続に固執しているのは、「沖縄米軍基地がなければ日本の安全は守られない」と考える石破茂氏のような自民党代議士等、冷戦時代の二元論的思考法から抜け出せない日本のマスコミ、軍事評論家、外務省、防衛省…等、いわゆる「日米安保マフィア」と呼ばれる既得権益者たちだけである。
 アメリカ政府は、「住民の反対するところへは移設しない」と断言している。民主主義を国家理念とするアメリカにとって、この言葉は重要である。
 「少なくとも県外・・・」と言いながら、結果的に、日米安保マフィアに説得されたか、脅迫されたのか分からないが、「抑止力という観点から、沖縄に基地存続をお願いするしかない」と言い始めた鳩山首相の「不誠実」や「裏切り」を、沖縄県民が批判・罵倒するのはかまわない。しかし、鳩山首相個人を批判するにしろ、あるいは鳩山首相を退陣に追い込むにしろ、それでは問題は何一つ解決しない。むしろ後退するだけだろう。したがって、今、やるべきことは、矛盾するような言い方だが、鳩山首相を批判・罵倒しつつ、同時にあくまでも海外移設という腹案を持つ鳩山首相の対米交渉を支持し、応援すべきだろう。そして今こそ、沖縄県民は、命懸けで立ち上がるべきである。最後に、三島由紀夫の「檄文」の言葉を引用しておく、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか…」。

山崎行太郎、文芸評論家、随時掲載


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