文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

来週の「琉球新報」に、拙稿「沖縄県民の蜂起(集団抗議)がなければ、米軍基地の県外移設も国外移設も不可能だ。(仮題)」が掲載予定です。以下のようなことを書きました。

鳩山首相の沖縄訪問で明らかになったことは、沖縄の米軍基地移設問題は、鳩山首相個人の努力ではどうにもならないという現実だ。つまり、沖縄県民の集団的な蜂起(抗議)がなければ、米軍基地の県外移設も国外移設も不可能だ、ということだ。僕は、昨年の段階で、「琉球新報」で、「県外」「国外」を語りながら、煮え切らないような、曖昧な発言を繰り返す鳩山首相を、「米軍基地存続論」を公然と肯定するかのような言動を繰り返す岡田外相や北沢防衛相とともに、裏で口裏を合わせているのではないかと厳しく批判したが、それは、鳩山首相も内心は「基地存続論」であり、選挙前に県外・海外移設を強く主張した手前、それを公言することが出来ず、沖縄県民の県外・海外移設への期待感が薄まり、ほとぼりが冷めるのを待つ時間稼ぎをしているだけではないのか、という疑惑があったからだった。しかし、僕は今回の沖縄訪問で、少なくとも鳩山首相個人は、強く県外・国外移設を望んでおり、本音は「基地存続論」ではないのかという疑惑は晴れたと言っていい。そこで、鳩山首相個人の能力や努力では、いかんともしがたいという現実を前に、沖縄県民は、どう対処すべきかを考えてみた。「少なくとも県外・・・」と言いながら、結果的に、日米安保マフィアに説得されたか脅迫されたか分からないが、「抑止力という観点から、沖縄に基地存続をお願いするしかない」と言い始めた鳩山首相の「不誠実」や「裏切り」を批判・罵倒するのはかまわない。しかし、鳩山首相個人を批判するにしろ罵倒するにしろ、あるいは鳩山首相を退陣に追い込むにしろ、それでは問題は何一つ解決しないどころか、一歩も前進はないだろう。むしろ後退するだけだろう。したがって、今、やるべきことは、矛盾するような言い方だが、鳩山首相を批判しつつ、同時にあくまでも海外移設という腹案を持つ鳩山首相の対米交渉を支持し、応援すべきだろう。つまり、米政府が、住民の反対があるところには移設はしないと言っている以上、沖縄県民の米軍基地存続反対という「蜂起」「抗議」行動こそが米政府がもっとも怖れているものであり、それこそが「海外移設」への唯一の道なのではないか、と思う。鳩山首相民主党の一部の政治家達による米政府を相手とする「海外移設交渉」が実現するためにも、沖縄県民の、そして日本国民の抗議行動が必要だ。しかし、残念ながら、沖縄と徳之島を除く大多数の日本国民の方は、沖縄県民や徳之島住民に同情はするだろうが、自分たちには関係ないというわけで、興味本位で「高見の見物」をしているだけで、決して動きはしないだろう。米軍基地を抱える沖縄県民に「同情」するだけで、内心では、沖縄に米軍基地を据え置くのも仕方ない、と考えている本土マスコミや日本国民に期待するべきではない。ましてや、沖縄米軍基地がなければ日本の安全は守られない、と考える石破茂のような自民党代議士、あるいは外務省、防衛省、マスコミ、軍事評論家等を含む「日米安保マフィア」の連中には何も期待できないし、期待してはいけない。沖縄県民が立ち上がるしかない。



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普天間問題について。(読者「市井の民」からの「投稿コメント」より。)

「市井の民」
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失礼とは思いながら他のブログに投稿したものをここにも投稿させていただきたい。ご批正をいただければ幸いです。


5月に入っての鳩山氏の行動に非難の声があがっている。
マスコミの非難の声は正当性がない、ただ上げ足を取っているだけだろう。
沖縄および徳之島の人たちの非難には正当性がある。ただしこの非難には前政権が米国と約束した事実に対する非難であろう。
この非難は前政権にたいするものだ。マスコミが鳩山氏の責任のように非難するのは間違っている。


今の政権は革命によって樹立したものではない。選挙によって国民の意志で選択されたものである。


会社でも家庭でも当主の交代はある。
そのとき、対外的な約束も引き継がれるものである。当主が替わったとき前当主の交わした約束が何の前提もなく反故にされる社会では信頼性がない社会になる。


鳩山氏は、沖縄の人たちの犠牲と心情を強く心に刻んでいることは氏の言説を聞けば痛いほどわかる。


総理大臣は就任にあたって前政権が対外的に約束したことの実行を義務付けられている。これがなければ一国の信頼性は失われることになる。


いま鳩山氏が沖縄や徳之島に出向いて話していることはこの対外的な約束を踏みはずしてはいないとおもう。
今日のニュースで共産党の委員長に米国が表明していることもこのことを示している。


これをあげつらっているマスコミは前政権の行った約束をあげつらっていることに他ならないことをマスコミ自身が認識する必要がある。
鳩山氏を攻撃していると思っているのかもしれないが、鳩山氏は国の対外的信頼性を守ろうとして前政権の約束を実行する試みをしているに過ぎないのだ。
この非難は前政権が米国に約束したことに向けるのが正しい。


この問題で明らかになったことは、前政権の駐留米軍とそれにまつわるうようむようの利権集団が白日の下にさらされ、国民がその存在に気が付いたことだろう。
それにもっと大きいことは普天間を通して駐留米軍の存在がすべての国民の意識のなかに焼きついたことであろう。


戦後65年も経つのに外国の軍隊が我が物顔で駐留し、思いやり予算といった国民の税金までせしめていることは、マスコミを通してB層といわれている人たちの意識の中にまでしっかりとうえつけられた。
レトリックのようだが、マスコミの果たした役割は大きいものがある。


国民はこの問題を通して当面は普天間にいる海兵隊を日本からお引取り願うこと。
そのためには鳩山氏が前政権の約束を実行しようとしても国民の総意としての反対を表明しなくてはならない。
前政権を選んだのも国民である。その政権のした約束も国民の責任である。
その約束を反故にするにはそれだけの覚悟が国民に負わされることになる。
その覚悟を総理大臣である鳩山氏に預けることができるかどうかだ。


さらには駐留米軍なき自立した日本をしっかり作り上げていかなければならないだろう。
そのためには国際情勢を認識し、その中でわが国の哲学を発言出来る政権にしていかなければならない。


卑屈な生き方に辟易しうんざりしているのは私だけであろうか。
(2010/05/09 16:06)