文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小泉政権時代の「官房機密費」と「御用文化人買収工作」を暴き出せ。「小泉・竹中構造改革」の旗振り役を勤めた田原総一朗司会の「サンプロ」レギュラー・メンバーは、全部、クロだろう。

野中広務の「官房機密費」に関する爆弾発言の波紋は拡大の一途にあり、名指しされた当事者であるテレビや新聞というような伝統的なメディアが、いくら黙殺し、隠蔽しようとしても、「ブログ」や「ツィッター」という新しい情報伝達メディアが台頭した現在、もはや抑えることは出来ないだろう。野中の爆弾発言は、野中が官房長官を勤めた小渕内閣時代に限られているが、官房機密費によるテレビや新聞への情報工作が露骨になり、政権の中枢や政治の動向にまで甚大な影響を及ぼすほどになったのは、いわゆる新自由主義経済政策を推進した「小泉・竹中構造改革」時代からであったことは明らかであり、その情報工作の中心に小泉純一郎首相(当時)秘書官・飯島勲がいたことも記憶に新しいところだろう。野中の爆弾証言の意図が何処にあるかは、まだ憶測の枠を出ず、その真意は依然として明らかではないが、しかしいずれにしろ、野中の爆弾証言が、小渕政権時代というよりも、小泉政権時代の官房機密費の使い方と、御用文化人、あるいはお笑いタレント、コメンテーター等に対する官房機密費による「買収工作」の実態を明らかにしていく切っ掛けになったことは明らかだ。「小泉・竹中構造改革」や、あるいは「郵政民営化」の推進が、テレビや新聞に対する情報統制と情報工作、そして国民への洗脳工作と直結していたことは、今さら、言うまでもないし、小泉長期政権を支えたのが、実はその「マスコミ対策」を中心とする情報工作にあったことも、おそらく知らない人はそんなにいない。さて、では、「小泉・竹中構造改革」時代の情報工作の官邸側の当事者が飯島勲であったとすれば、マスコミ側の中心人物は誰だったか。言うまでもなく、それは、「サンデープロジェクト」と「朝まで生テレビ」という二つの政治討論番組の司会者役としての田原総一朗であった。そして、田原を取り巻く「サンプロ」のレギュラー・メンバーたち。したがって、田原が、野中の爆弾証言に、「官邸機密費を受け取らなかったただ一人のジャーナリスト…」として名前が出ていることの意味は限りなく深い。田原は、あわてて、この爆弾証言に対して、「ツィッター」で反応し、「カネは返した・・・」「断るのに苦労した・・・」等と言い訳しているらしいが、所詮、「頭隠して尻隠さず」のいい見本と言っていいだろう。田原は、次のように、書いている。


4/22(木)
総理大臣などからお金を渡されこれを断るのは非常に難しい。だけどこれを断らなければジャーナリストとしての筋がたたない。苦労して断り続けてきた。断るにはそれぞれドラマがある。そのうちにこのドラマを書きたいと思う。ともかく全く受け取らないでやってきた。

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4/27(水)
お金の話だが最初に金を提示したのは田中角栄さんだった。貰う訳にはいかないが、断れば喧嘩になる。考えに考えて受け取らなかった。それ以後は楽だった。田中さんに断ったのだから貰う訳にいかない、と言うと誰もが納得してくれた。

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4/28(木)
野中広務さんが、私が機密費受取を拒否したと語ってくれたそうだ。

野中広務さんが、私が機密費受取を拒否したと語ってくれたそうだ。」 …。おそらく、これらの田原発言に嘘はないかもしれないが、しかし、これをまともに受け取る人はいない。肝心な問題は、小泉政権時代、つまり「小泉・竹中構造改革」の時代は、どうだったのか、ということである。この時代こそ、「官邸機密費」による御用文化人やお笑いタレント、コメンテーター等への、あるいはテレビ番組そのものやテレビ局そのものへの「買収工作」や「情報操作」が公然と実行された時代だからだ。そして、その情報操作の現場における「尖兵役」が田原総一朗だった。田原は、「ジャーナリストの心得」などというような奇麗事を言うまえに、無理だろうが、官房機密費にかぎらず、自民党の政治家や政治権力、あるいはその背後にいるアメリカ情報機関等との関係性を具体的に暴露すべきである。そうしない限り、田原司会の「サンプロ」という人気番組が、不本意ながら、何故、今春、突然、打ち切られたかという事件の政治的意味はわからないはずである。


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