文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

僕の伊香保物語・・・「ドストエフスキーの初期作品の世界」をめぐって。(写真は、伊香保の岸権旅館にて、清水教授と。)



日大芸術学部の清水教授や山下講師等と、連休の初日は伊香保に出かけた。といっても温泉旅行が目的ではなく、ドストエフスキー研究者である清水教授との「GG放談」の続きを伊香保でやることが僕の主な目的で、今回のテーマは、清水教授の「ドストエフスキーの初期作品の世界」をめぐっての対談を行う予定だったが、一方、来年、没後60年を迎えるとかいう「林芙美子」を研究している山下聖美さん等は、『浮雲』の舞台になっている「金太夫旅館」等、要するに「林芙美子伊香保」のフィールドワークが目的であった。しかし、やはり北関東の有名な温泉地ということで、到着早々に、「岸権旅館」に荷を降ろし、伊香保なら「石段めぐり」というわけで、石段を登り「伊香保神社」や「源湯」を求めての温泉地めぐりをすることになった。僕は、草津や鬼怒川は知っているが、伊香保というと、一度、ドライブの途中で、通り過ぎたことはあるが、本格的に現地の旅館に腰を落ち着けて温泉めぐりをするのは初めてであった。さて、「ドストエフスキー対談」は、これまでの凡庸なドストエフスキー初期作品研究を根底から覆すような、つまり巷に溢れるドストエフスキー論を転倒させるような刺激的なものになったが、いずれ、詳しく書くので、ここでは一先ずパスして、林芙美子に関する研究旅行の成果について書く。実は、林芙美子つながりで、研究熱心な山下さんや清水さんに引っ張られるように、「金太夫旅館」を筆頭に、「森秋」「ホテル小暮」等、伊香保の古い旅館を訪ね歩く。残念ながら金太夫旅館は、すでに数年前に倒産しており、林芙美子に関する資料や文献類はほとんど残っておらず、今の金太夫旅館の経営者はまったく別の人になっていた。しかし、紹介された古い旅館をたずねあるいていくうちに、伊香保の文化ならこの人、というわけで紹介されたのが「段々豆腐」店店主・山本修氏。山本氏は、以前は教育委員会に勤務し、徳富蘆花記念館館長も長く勤めたこともある人で、音楽(ハワイアン)から文学まで、なかなか多芸多才の人のようで、伊香保温泉の歴史から伊香保の旅館の栄枯盛衰まで、その具体的で人情味溢れる話には奇妙な説得力がある。しかも僕(山崎行太郎)とは、東京の何処かのパーティで会ったことがあると言う。その知性溢れる、素晴らしい弁舌に酔っている内に、伊香保温泉に関する「耳年増」になっていることに気付く。そして最後に、伊香保なら「竹久夢二」というわけで「竹久夢二記念館」へ向かう。しかし、この「竹久夢二記念館」が、なんと・・・。実は、竹久夢二記念館館長は、「木暮」氏で、林芙美子が『浮雲』の中で描いている金太夫旅館の先代の弟で、つまり金太夫旅館の「三男坊」であった。当然、「林芙美子と金太夫旅館」の話は詳しく知っており、林芙美子研究に寄せる清水氏や山下さんの熱意に感動した館長は、「竹久夢二記念館」における来年の「林芙美子竹久夢二」展の共催を約束したという次第であった。どういうイベントになるか、楽しみである。伊香保が、いつのまにか、「わが町」のようになった一日であった。




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清水正著『ドストエフスキー初期作品の世界』



竹久夢二記念館」前で、館長を囲んで。