文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

全共闘世代とは何だったのか?

やたらに分厚い本を書く小熊英二と、作家の高橋源一郎が、「文学界」五月号で、小熊の最新作『1968』をめぐって対談している。『1968』は全共闘世代の「若者たちの叛乱」を描いたものだが、僕は、小熊の全共闘世代の政治運動に対する分析的批判にも全共闘世代の反抗する若者の一人であったことを自認する高橋の自己弁護的な解説にも、ともに深い違和感を持つ。実は、僕も、世代的には全共闘世代だが、いわゆる全共闘世代の政治運動や叛乱とは一切無縁であった。むしろ徹底的に批判的であり、嫌悪しながら大学時代を過ごした。その頃、僕は「保守反動」を自称し、哲学や文学の本ばかり読んでいた。だから、全共闘世代と称する「革命ごっこ」に狂奔した元若者たちのナツメロ風の回顧談を読むと、身体中に「虫唾」が走る。僕は、その頃ドストエフスキーニーチェ、あるいは小林秀雄江藤淳を手始めに、西田幾多郎デカルトベルグソンというような、哲学書ばかり読んでいたから、全共闘世代の若者たちの叛乱が、とくに彼らの発言や理論、思想が幼稚で、遊びにしか見えなかった。その意味では、小熊英二の言う、貧しい少年時代を過ごした若者たちが、突然、高度経済成長に直面し、そのギャップに苦しみ、その苦しみを社会運動として表現したという「現代的不幸」論に同意する。要するに、僕は、政治・思想運動としては見ていなかった。しかし、その後、僕は、自分の思想的限界を思い知った。全共闘世代の叛乱を嘲笑していた僕が、同世代として、彼等の政治思想運動が内包していた「極北の思想」に共感するようになった切っ掛けは「連合赤軍事件」である。その「極北の思想」は、それまではドストエフスキーニーチェを読むことでしか知りえなかった思想的現実だった。左翼系の多くの若者たちが、この事件を契機に「大学」や「日常」に帰っていったと言っていいだろうが、僕は逆だった。僕は、連合赤軍関係の書籍や資料を読み漁り、彼等が、思想的に「極限」「極北」にたどり着いていたことを知った。さて、高橋源一郎は、左翼過激派の闘士だったのだろうか。そして、何時、左翼過激派から足を洗ったのだろうか。今、社会的に活躍している人たちの多くが、この種の「転向組」 であることは言うまでもないだろう。たとえば、この頃、左翼過激派の某セクトから脱退し、学者の道を目指し、東大教授にまで上り詰め、現在、自民党よりの立場から「小沢一郎批判」を繰り返しているのが山内昌之であるが、彼もまた典型的な「転向組」である。小熊英二は、高橋源一郎山内昌之等のように、左翼過激派から脱落するだけでなく、今度は大衆消費社会を擁護する「保守派」「ポスト・モダン派」に転向して、左翼批判や市民運動批判を繰り返す連中の生き方を「二段階転向」と呼んでいるが、正しい分析だろう。僕が、高橋源一郎に違和感を持つのは、そこに理由がある。ついでに言っておくと、小熊英二に対する僕の違和感の根拠は、全共闘世代の政治思想運動を、表層だけ浚って、単なる「現代的不幸」論で片付けようとする思想的態度、つまり、たとえば「連合赤軍」を生み出すような思想的な「極北」を、一連の政治思想運動が持っていたということに無自覚な点である。(続く)





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