文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

日大芸術学部「講師懇談会」にて。(左から、下原敏彦、木下豊房、清水正の各氏。)

dokuhebiniki2010-04-16

例によって今年も大学は新学期を迎えたらしく、講師懇談会なるものが開かれるというので、昨年に続いて今年も、新宿の高層ビル街にある「ハイヤット」とかいうホテルに行ってきたが、この日大芸術学部の「講師懇談会」は、文藝学科だけではなく、映画、演劇、放送、音楽…その他の他学科もあわせて8学科の教員が、一同に介するということで、僕の体験したパーティなるものの中でも、その規模は特筆すべきもので、「日大」と名前がつくと、何事もデカイなあ、と思わないわけにはいかなかった。というわけで、普段、会うこともないような人たちに会うことができたわけだが、中でも僕にとって印象的だったのは「木下豊房」先生と「平岡敏夫」先生との出会いだった。もちろん、お二人とも名前は以前からよく知っているが、本人と直接に言葉を交わしたのははじめてであった。平岡先生が、日本近代文学業界の権威であり、漱石研究家としてよく知られた国文学者であること言うまでもないが、木下先生も、ドストエフスキー研究家としてよく知られており、最近は、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳でドストエフスキー・ブームともいうべき社会現象を産み出した亀山郁夫東外大学長(ロシア文学)に対する厳しい批判者として注目されている人物で、ある意味では今、話題の人物であり、お二人とも話していてその「情熱」に圧倒されてしまった。特に木下先生の尽きることのない批判精神には、ドストエフスキーに「いかれた」人物というのは、どうして、こんなにドストエフスキー的になってしまうのか、と改めて実感した次第である。ドストエフスキーを語るには、やはりいい加減な態度は許されず、常に真剣勝負で、本気にならざるをえないということなのだろうかと、ふと高校生の頃、ドストエフスキー研究者を目指したが、このままいくと精神的に「危ない」のではないかと、なんとなく不吉な予感が脳裏を駆け巡り、ドストエフスキー研究者への道を断念した頃を思い出した。ところで、今年も、佐藤優の氏の「ドストエフスキーの預言」(「文学界」連載)を初めとして、清水正教授の『ドストエフスキー論全集』の刊行など、僕の周りでは、依然として「ドストエフスキー・ブーム」が燃え盛っているが、清水教授と僕とのドストエフスキー対談『現在進行形のドストエフスキー』も、『貧しき人々』を中心とする初期作品論あたりから、近々、再開する予定だ。さて、もう一人の人物、下原敏彦氏もなかなか不思議な人で、日芸の同僚でよく飲み会で同席するのだが、実は彼も「ドストエフスキーの全作品を読む会」なるものをやっているドストエフスキー狂いの一人だが、一方で児童文学なるものも書いている人で、今回、椋鳩十記念賞受賞作『山脈はるかに』を出版したということで、一冊いただいたので、ここで紹介しておく。下原氏といえば、忘れてはならないのは、「三島由紀夫事件」で自決した森田必勝の若き日をよく知る「アルバイト仲間」だったということだろう。下原氏も森田必勝も、ともに学生時代、毎日新聞本社の地下に寝泊りして、毎日新聞の深夜の「バイト」に精出していたらしいのだ。やはり世の中は広いようで狭い。



■詳しくは「清水正ブログ」をご覧ください。(↓)
http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/searchdiary?word=%2A%5B%A3%C4%CA%B8%B3%D8%B8%A6%B5%E6%B2%F1%5D

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