文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

テレビ文化人の終焉。


「小沢事件」が明らかにしたのは、テレビや新聞を筆頭に、雑誌、週刊誌…をも含むジャーナリズム全体の不甲斐なさというか、全員一致の「検察リーク報道」や「小沢バッシング報道」に見られるような権力べったり、体制迎合のジャーナリズムの反動的体質だったが、中でも、北野武テリー伊藤爆笑問題太田光等のインテリ気取りのテレビ芸人から、立花隆福田和也西部邁小林よしのり…というような、作家、ジャーナリスト、思想家に至るまで、要するにテレビに群がる文化人たちの惨め過ぎる実態が次々と暴露されたことは、メディアの将来やジャーナリズムの将来、あるいは思想や文化の将来を考える上でも、重要な事件だったということが出来る。最近、テレビ画面に顔を出さなければ何事も始まらないというような風潮が強く、テレビタレントやテレビ芸人はともかくとして、作家や思想家、ジャーナリストに至るまで、猫も杓子も「テレビ、テレビ…」と騒ぎ続けた日々だったが、今回の小沢事件の余波によって、彼らの社会的な信用も影響力も半減し、むしろ「テレビ文化人」だったというレッテルを張られることによって、時代から切り捨てられようとしていると言っていいように思われる。しかるに、当分はまだ、テレビ画面に登場する文化人こそが文化人だというような風潮は残るだろうが、しかし、そこには批判と軽蔑とが伴っていくことになるだろう。郷原信郎から上杉隆…に至るまで、小沢事件報道で活躍したと思われている文化人やジャーナリストも、所詮、「テレビで顔を売ること」を優先してきたという現実の前では、過去の人であり、消えゆく人であろう。たとえば、テレビ文化人の典型であった「田原総一朗」が、今年の三月で、「サンデープロジェクト」を降板するそうだが、この事実が示すように、「テレビに出なければ文化人ではない」とでも言うように、わが世の春を謳歌し、一世を風靡してきた「テレビ文化人」の時代が、今まさに終わろうとしていると言っていい。読者や視聴者が、「テレビ文化人の正体」を知ってしまった今、彼等が文化人や思想家、ジャーナリストとして生きていくことは容易ではないだろう。たとえば、立花隆は、小沢事件の渦中において、勇ましく「小沢は終わった」と書き綴った文章をネットに数回にわたって発表していたが、まことに気の毒なことに、いつのまにか全文を削除しているそうである。




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