文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

皇室研究家・所功の正体、見たり、枯尾花…かな。


今回の「天皇の政治利用」問題で、天皇憲法の問題を誤解したまま大見得を切ったはいいが、逆にその無知無学や政治的意図を暴露され、天下に大恥を曝したのは羽毛田信吾宮内庁長官安倍晋三元首相だけではなく、皇室研究者や憲法学者たちだったわけだが、なかでも目立ったのは所功という女系天皇擁護論でお馴染みの皇室研究家だったと言っていいかもしれない。新聞だけではなく、テレビや週刊誌にも引っ張りだこで、所功氏は、今や「時の人」といった感じであるが、彼の話を聞いていると、専門家とはいいながら、その話の中身は素人の常識論の枠を出ていない。たとえば、「週刊新潮」(12/31号、)が、小沢一郎氏の韓国での講演を大々的に取り上げて、「不敬発言」だの、「亡国の徒」だのと罵倒しているが、そこで、所功氏は、小沢氏が韓国の大学生に紹介した、いわゆる「騎馬民族説」について、「今日の学界ではほとんど誰も信じていません」と断定している。所功氏の言う「学界」というのが、何処の、何と言う「学界」なのか知らないが、まったく「いい加減なこと」をよく言ったものである。こういうことを、知ったかぶりをして平気で言う神経が僕にはわからない。確かに江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」は発表当時から較べれば、今は下火にはなったかもしれないが、日本史だけではなく東アジアの民族の興亡の歴史を土台にした、その壮大なスケールの日本国家誕生の仮説は、様々な理論的欠陥はありながらも、修正を加えつつ、未だに根強く、我々日本人の中に生き続けている学説である。決して過去の珍説ではない。柄谷行人氏が「天皇は朝鮮から来た」(『言葉と悲劇』)と言っているぐらいだから、今でもその学説の信奉者は少なくないとい言うべきだろう。換言すれば、邪馬台国論争と同様に、騎馬民族論争も終わりはないだろう。したがって、小沢氏が、講演のテーマの一つとして取り上げ、わざわざ江上波夫元東大教授の学説と断った上で紹介したのも、至極、当然のことだろう。そもそも、日本国家の誕生や王権・天皇の誕生等に関する学説で、「騎馬民族説」に代置できるような学説が確立されているだろうか。真相は藪の中、それこそ歴史ミステリーであって、闇の中なのではないのか。まさか、「天孫降臨神話」や「神武東征伝説」など、「日本書記」の記述をそのまま信じればいいというわけでもあるまい。その神話や伝説の語る隠されたメッセージを読み解く作業の中にこそ学問の存在根拠はあるはずだ。我々は、既に、梅原猛氏らの研究と分析によって、『日本書紀』という歴史書が、時の権力者・藤原不比等一派の手によって作られた一種の「政治文書」であって、そこには、権力側に都合よく整理され改竄された「日本史」が記述されているだろうことを知っている。むろん、だからといって『日本書記』の記述が、すべて捏造だというわけではなく、殆どは歴史資料や歴史事実に忠実であろうが、そうだからといって、『日本書紀』の記述のすべてを鵜呑みにしていいとも言い難いということだ。いずれにしろ、所功氏の問題は、そのように微妙な、謎に満ちた現在進行形の問題を、「騎馬民族は来なかった」という佐原真の江上説批判だけを根拠に、いとも簡単に「江上説は下火になり、今日の学界ではほとんど誰も信じていません」と断定するところにある。むしろ所功氏こそ、知ったかぶりをして、いい加減なことを言う「曲学阿世」の徒だと言っていいだろう。そして、そうした不用意な発言は、「天皇の政治利用」問題に関する所功氏の数々のコメント類にもそのまま現れている。

(時事通信12/15)
皇室、宮内庁の役割は=「政治利用」分かれる見解−天皇陛下の特例会見



 天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が15日、鳩山政権の働き掛けで実現する。問題は「天皇の政治的利用」に懸念を表明した宮内庁羽毛田信吾長官を、民主党小沢一郎幹事長が激しく批判する事態に発展した。会見設定の経緯をどう見るか、学者の間でも見解は分かれる。
 「決定権は内閣にあり、宮内庁に拒否権はない」とするのは、横田耕一流通経済大教授(憲法学)。
 宮内庁によると、天皇陛下の会見には最低1カ月前に申し入れる「1カ月ルール」があるが、横田氏は「ルールは陛下の健康などに配慮し定められた。政治的中立性を保つためのものではなく、絶対的ではない」と指摘する。
 さらに、「陛下が政治行為をなさるわけではなく、今回も内閣の判断と責任において行うもので、それを違憲とするならおかしな話だ」とした。
 一方、所功京都産業大教授(日本法制文化史)は逆の立場。「陛下は外交をされているのではなく、国際親善をなさっている。今回の会見は政治的中立性や公平性を損ねるものであり、大変遺憾だ」と話す。
 所氏は「陛下は政治を超えた存在。憲法下では象徴であり、政治にかかわらないということだ」と強調する。
 小沢氏については「都合良く憲法を解釈している」と批判。「皇室や陛下の中立性、公平性を維持することが宮内庁長官の役割であるから、羽毛田長官が鳩山政権の申し入れを断られたのは当然であり、評価されるべきだ」と話した
。(2009/12/14-21:19)



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