文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

大原康男って何の専門家なのか?

天皇陛下の「政治利用」問題について、きわめて過激な小沢批判、民主党批判を展開した先週の「週刊文春」と「週刊新潮」だったが、それ故に、一週間を経てさらに突っ込んだ内容の、その後の追跡記事を期待していたのだが、昨日発売の「週刊文春」と「週刊新潮」を見てみると、なんと驚くなかれ、完全に「パス」している模様だ。何処を探しても追跡記事はない。わずかに「週刊新潮」が、小沢一郎民主党幹事長の韓国での学生相手の講演会を取り上げ、小沢氏が、江上波夫が唱えた「騎馬民族説」を紹介したことを取り上げて、それを「天皇は朝鮮から来た…」と語ったと批判しているが、肝心な「天皇の政治利用」問題からは、完璧に「逃げている」としか見えない。いや、「逃げている」のは、「週刊文春」と「週刊新潮」だけではなく、「読売新聞」も「産経新聞」も、そしてその他のマスコミも同じように逃げているようだ。さて、ここで問題なのは、この「天皇の政治利用」問題について、マスコミに登場し、憲法や皇室の「専門家」として発言し、自民党よりの発言を繰り返した保守系文化人の大原康男氏や所功氏の言論である。まず、大原康男氏の発言を見てみよう。大原氏は、「いわゆる“皇室外交”は、憲法上「国政に関する権能を有しない」天皇(および皇族)によって「現実の国際政治の次元を超えたところでなされる友好と親善」でなければならない。」(産経新聞「正論」)といっているが、まったく憲法の理念や条文を理解していないことがわかる。「皇室外交」は天皇陛下や皇太子殿下の自由なる「ご意思」でなされるわけではなく、また政治的中立でもありえない。「天皇の訪中」は「政治利用」だが、天皇の「訪米」や「訪英」は「政治利用」ではない、と判断する理論的根拠は何処にあるのか。こういう判断は、単に大原康男氏等の「独断」か「願望」にすぎない。少なくとも憲法論としては、まったくデタラメである。また、こうも言っている、「『習副主席は、胡錦濤国家主席の後継者といわれながらも、まだ確立されていない。ある種の有能な政治的実績を与えるという効果があったことは間違いない』と述べ、天皇陛下の政治利用につながったとの考えを示した。」(自民党HP)  ここでもまた、大原氏は、とんでもないことを言っている。中国政府内の権力闘争や後継者争いを問題にし、それ故に「政治利用」だと解釈しているが、そういう生々しい「政治問題」を抱えていない国家指導者がいるだろうか。多かれ少なかれ、だれでも「政治的存在」なのだ。それ故に、政府の「助言と承認」の下に「皇室外交」も行われているのではないか。少なくとも、選挙で、国民の支持を得た政府の「助言と承認」を得ている限り、皇室外交も「政治利用」ではない。むしろ宮内庁長官や一部の側近グループによる皇室外交こそ、憲法破壊的な行為であり、政治利用という言うべきことになるだろう。いずれにしろ、大原氏は、尊王精神や勤皇精神の所有者であることは間違いないかもしれないが、天皇問題を憲法論として理論的に語る資質も才能も有していない。天皇を論じる器ではない。「皇室法制史研究者」と称する専門家とは言いながら、その発言内容は、今から振り返ってみると、実は「ドシロート」以下の感想文であったことがわかる。いずれにしろ、二人の発言を根拠に、激しい「民主党批判」「小沢一郎批判」を展開した保守論壇、保守思想家、保守政治家たちが気の毒である。しかし考えてみるまでもなく、マンガ右翼の描く「天皇論」や通俗作家の描く「大衆文学」を読んで、「政治」や「歴史」や「天皇」が判ったと、恥ずかしげもなく、平気で広言する保守論壇、保守思想家、保守政治家たちの知的レベルに相応しい喜劇なのかもしれない。

自民党hp【平成21年12月17日】

大原康男国学院大学教授と百地章日本大学教授から意見聞く 
   天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会



 天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会は17日、前日に引き続き会議を開き、大原康男国学院大学教授と百地章日本大学教授から、鳩山由紀夫総理が天皇陛下と中国の習近平副主席との会見を、外国要人との会見は1カ月以上前に申請するとのルールを無視して設定したことについて意見を聴いた。大原教授は「習副主席は、胡錦濤国家主席の後継者といわれながらも、まだ確立されていない。ある種の有能な政治的実績を与えるという効果があったことは間違いない」と述べ、天皇陛下の政治利用につながったとの考えを示した。百地教授は、今回の会見は憲法7条に定められた「国事行為」でなく「公的行為」としたうえで、「宮内庁が皇室をお守りし、政治的中立性を確保するために毅然とした態度を取るのは当然」と述べ、羽毛田信吾宮内庁長官の対応を擁護した。出席した議員からは「閉会中審査を行い、内閣総辞職を求めていくべき」など政府を徹底追及すべきとの意見が出された。




【正論】国学院大学教授・大原康男 卑屈な政治的配慮を憂慮する
2009.12.15 02:49



正論
 ≪政治利用のルール破り明白≫



 天皇陛下のご即位20年を盛大にお祝いした感激の余韻がまだ脳裏に残っている中で、あの日からちょうど1カ月たった12月12日の朝刊各紙は、天皇陛下が中国の習近平国家副主席と15日に会見されることを1面で大きく報じた。

 なぜそんな扱いになったのか。それは外国の賓客が天皇陛下と会見する場合、通常は1カ月前までに文書で正式に申請するという「1カ月ルール」と呼ばれる慣例があるにもかかわらず、今回の中国政府による要請は11月下旬でありながら、鳩山由紀夫首相が「特例」としてその実現を強く指示したため、天皇の「政治利用」に当たるのではないかとの批判がにわかに巻き起こったからである。

 各紙の報道からことの経緯をもう少し詳しく追ってみると−この「1カ月ルール」はご高齢で多忙な陛下の日程調整を円滑に行うため、平成7年ごろから存在し、爾来(じらい)、政府においても厳守されてきたため、外務省もこれを理由として「応じかねる」とした宮内庁の回答に従ってこの要請を断ったが、鳩山首相平野博文官房長官に事態を打開するよう指示、これを受けて平野長官は2度にわたって宮内庁に会見実現を執拗(しつよう)に求めたという。

 これに対して、羽毛田信吾宮内庁長官は「ぜひルールを尊重してほしい」と要望したものの、最終的には「総理の指示を受けての要請だ」との官邸の圧力に「行政機関の一員として従わざるを得なかった」として、「苦渋の思い」で受け入れたとのこと。

 ≪首相の政治感覚に驚く≫

 この決定を公表した11日の記者会見において、羽毛田長官は「大変異例だが、陛下にお願いした」苦衷(くちゅう)を漏らし、併せて「大きく言えば陛下の政治利用ということ」とも述べ、まさしく「異例」の政府批判を行ったが、対する鳩山首相は「諸外国と日本の関係をより好転させるための話であり、政治利用という言葉は当たらない」とうそぶいた。鳩山首相の強硬な姿勢の背後には小沢一郎幹事長からの要請があったことは各紙ともほぼ共通している。

 何よりも驚くべきことは、鳩山首相の政治感覚である。いわゆる“皇室外交”は、憲法上「国政に関する権能を有しない」天皇(および皇族)によって「現実の国際政治の次元を超えたところでなされる友好と親善」でなければならない。 

 しかるに、今回の“特例的会見”はそうではない。他国にはルールを守らせながら、中国に対してだけはその無理強いを唯々諾々(いいだくだく)と受け入れたという卑屈な政治的配慮、その結果、胡錦濤国家主席の最有力後継者候補とされる習副主席(中国国内には反対者もいる)に対して、天皇との会見というきわめて有利な実績を与えるという政治的効果、これがどうして天皇の「政治利用」にならないといえるのであろうか。

 かつて本欄でも触れたが、国論を二分しながら、強行された平成4年の天皇皇后両陛下のご訪中は、中国が天安門事件による孤立化の打破を狙った天皇の「政治利用」であり、その事実を当時の銭其●外相が回顧録で暴露したことをあらためて想起する。そのことに対する反省が全く見られないことに深い憤りを禁じ得ない。 


≪羽毛田長官の対応にも不満≫

 そればかりではない。民主党の皇室に対する対応には問題とすべき点が少なくない。たとえば、岡田克也外相は国会開会式における天皇のお言葉の見直しに言及して物議をかもしたし、鳩山首相は国立戦没者追悼施設を推進する理由として陛下が靖国参拝をなされていないことを挙げるという詭弁(きべん)を弄(ろう)した。とりわけ、あのご即位20年を奉祝するために11月12日を臨時の祝日にするという超党派議員連盟による立法化を葬ったのは民主党ではなかったか。皇室への無理解と冷淡さがある一方で、身勝手な「政治利用」を容認する−これが民主党の皇室観なのだ。

 一方、羽毛田長官の対応にも不満がある。長官は「こうしたことは二度とあってほしくないというのが私の切なる願いだ」と訴えたが、一度破られたルールならば、それが再び繰り返されることは十分予測できよう。

 たしかに、宮内庁は「内閣総理大臣の管理」に属するので、その苦しい立場に同情すべき点はあるが、本件は「現憲法下の天皇のお務めのあり方や役割といった基本的なことがらにかかわる」という深刻な危機感を覚えたのであれば、泣き言や政府批判を吐くにとどまらず、辞表を懐に職を賭しても断固拒否すべきではなかったか。そうすれば、また違った展望が開けたかもしれない。

 もう一つ、現政権が発足する直前の9月10日に羽毛田長官は早々と「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある」と述べた。長官は女系天皇を容認していると伝えられるが、こんな体たらくの鳩山政権に皇室典範改定のような重要なことがらを託することができるのか、その見識をあらためて検証したい。(おおはら やすお)

●=深のさんずいが王

小林節慶応大数授(憲法)も、憲法の理念というものが、ぜんぜんわかっていないな。

政治利用は明らか(12月12日、新潟日報より)

 小林節慶応大数授(憲法


 中国側に政治的な意図があるはずで、それを分かつた上で(特例措置で)天皇との会見を設定したのだから、政治利用に当たるのは明らかだ。外交は政治家の仕事であって、過去の戦争を考えれば、もっと慎重に対応すべきだった。天皇は日本の象徴であり、政治的に利用してはならない存在だ。中国側に言われるままに無防備に要求に応じた政府・民主党の姿勢は勇気に欠ける。

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