文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

似非保守・小林よしのりよ、アイヌ問題や沖縄問題から、そんなにアッサリと逃げるなよ。


一昨日は、日程の調整がうまくいかず、昼間は4時ごろまで宇都宮で講義があり、終わると、大急ぎで新幹線に飛び乗り大宮へ、そして埼京線で新宿を経て中野ゼロホールへと、日ごろ、のんびり暮らしている僕にとっては、かなりの強行スケジュールだったが、『月刊日本』と『週刊金曜日』の合同講演会は無事、終えることが出来た。というわけで、すっかり疲れてしまったが、お忙しい中、話し相手になっていただいた佐藤優氏、佐高信氏、雨宮かりん氏、そして司会の青木理さん、それから会場の設定から運営までを取り仕切ってくれた各編集部の皆さん、また参加してくれた皆さん、ご苦労様。御静聴、有難うございました。ところで、突然、話は変わるが、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』(『sapio』連載)だが、「沖縄集団自決裁判」で赤っ恥をかき、アイヌ問題で筆禍事件を起こし、行き場を失った挙句に開始したと思われる『天皇論』だが、その『天皇論』が本人の自覚するところでは、人気爆発で絶好調のようであるが、悲しいかな、無知無学、無教養の政治漫画家には、本格的な『天皇論』なんて無理があるようで、失敗を恐れるあまり、肝心要の問題に踏み込むことが出来ないだけでなく、いつものように「仮想敵」をつくり、それを、一方的に批判罵倒しまくるという「小林よしのり的方法」は採らず、というより採れずに、実に静かで、何ともはや、読者もうんざりするような、無味乾燥なマンガになりそうである。昨日、『sapio』の最新号が本屋においてあったので、覗いてみたら、新任の外国大使が、「国家元首」としての天皇に挨拶するためにまず皇居を訪問することが慣例になっていると書かれていたが、それが、どのような憲法上の原理に基づいて行われているか、またそれがどのような政治的経緯で始まったか、というような問題はすべてスルーされているが、おそらくマンガ右翼の小林よしのりは知らないのだろう。教えてやってもいいが、実は、この慣例は明治憲法下に始まり、戦後の憲法では、このことは明記されておらず、憲法上の根拠はまったくないのだが、しかし実際には慣例としてのみ残っていて、戦後も続けられているのだが、憲法にない、この慣例を実現させたのは誰かというと、あの吉田茂である。吉田茂と言えば、最近はもっぱら、戦後経済優先主義の「吉田ドクトリン」なるものの方が注目され、その政治姿勢が批判されることの多い政治家だが、政治家と言うものは、そんなに単純に割り切れるものではないのである。僕が、このことを知ったのは江藤淳先生の『保守とはなにか』という、珍しく江藤先生が、「保守の本質とは何か」という保守という言葉の概念規定に触れた議論を展開している論文を通してである。そこで、「保守とはイデオロギーではなく、一つの感性である」と江藤先生は言い、今から考えると意外かもしれないが、「戦後的状況において、保守の感覚を体現した政治家が吉田茂だった。」と断言している。そもそも「保守とは何か」なんて議論をしたり保守の概念規定をしたりするのは、保守ではない、外部の人のすることで、本人が保守、あるいは保守思想家の自覚があれば、その種の議論や概念規定などせずに、そのまますぐに保守的思考を実践、展開して見せてくれればいいだけのことである。しかるに、江藤先生が、珍しく、エドマンド・バークの『フランス革命に関する考察』やイギリスの労働組合の話まで持ち出して、保守の本質や概念を語ったのは、「インチキ保守」が横行し始めた思想状況を察知したからだったろうと思う。僕は、その直前に江藤先生と、『海燕』の企画で、銀座の三笠会館の一室で、「小林秀雄正宗白鳥の『思想と実生活論争』」について対談している。ちょうど、村山政権の後を受けて橋本龍太郎内閣が誕生した日だったことを覚えている。それから3年後の嵐の日に、江藤先生は、鎌倉の自宅で自裁した。



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