文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

岸信介と北一輝の「日本国家改造法案」はどういう関係にあったか?

岸信介は東大法学部で憲法学者国家主義者の上杉慎吉教授に師事し、我妻栄とともに優秀な成績で卒業、卒業後は、大学に残るように進められたが、それを振り切って農商務省に入り、革新官僚として活躍、やがて満洲の国家経営に参画し、満洲支配の重要人物たちを「二キ三スケ」というが、その「三スケ」の一人として知られる人物だが、東大時代の岸信介は、上杉慎吉教授の国家主義に飽き足らずに、北一輝に会いに行ったことがあるらしい。僕は、一昨夜、浜田麻希子さんが主宰する『ペルソーナ』という雑誌に連載されている堤尭のコラムで、それを初めて知ったのだが、この岸信介北一輝の出会いにはちょっと驚いた。岸信介が、後に、北一輝について、「大学時代に私に最も深い印象を与えた一人」「おそらくは、のちに輩出した右翼の連中とはその人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と回想していることからも分かるように、岸信介は政治思想的に、北一輝の影響を強く受けていると思われる。二・二六事件の思想的指導者・北一輝の「日本改造法案大綱」は、政治思想的には社会主義思想を取り込んだ国家社会主義であり、その政治的達成は国内では挫折したが、岸信介等の革新官僚二・二六事件の残党等が終結した満洲での新国家建設に生かされ、統制経済と計画経済という社会主義共産主義と見間違いばかりの政策を次々に実行したが、やがては満洲の国家建設も日本の敗戦とともに挫折するわけだが、しかしその政治経済思想は、その後も生き残り、おそらくは戦後復興と高度経済成長の思想的バックグラウンドになったものと思われるわけだが、その意味からも岸信介北一輝の出会いは、改めて考えてみるべき重要なテーマの一つだろう。一昨日、拓大日本文化研究所(井尻千男所長)の「昭和維新運動再考」シンポジウムに観客の一人として参加する前に、参考のために広松渉の『近代の超克論ー昭和思想史の一視覚』を読んでから出かけたのだが、それを読むまでもなく、北一輝権藤成卿等だけではなく、この運動には、京都学派の西田幾多郎田辺元、戸坂純、三木清等の哲学者たち、あるいはまた小林秀雄河上徹太郎等のような文芸評論家たち、その他、今から見れば、世界思想レベルにある超一級の知識人や思想家たちが、それぞれの立場や位置から、陰に陽にに参画しており、それは西洋哲学や西洋文学を取り込み、さらにその上にそれらを乗り越えるかのようなハイレベルの思想運動であったことは明らかである。それは、「漫画家」や「新聞記者上がり」、あるいは「ニュースキャスター上がり」が主導する昨今のマンガ的な軽薄な保守・右翼運動とは雲泥の違いがあるのであって、そこに、革新官僚、政治家としての岸信介等を加えたら、この昭和維新運動、あるいは近代の超克運動が、そしてやがては大東亜戦争そのものが、実は、思想的にもかなり底の深い、且つ広がりを持った思想運動だったことが、わかるのである。今月の「正論」には、奇しくも岸信介の孫にあたる元首相・安倍晋三が登場し、山谷えりこという女性政治家と「保守の擁護」だか「保守の再建」だかをめぐって対談しているようだが、新春号の巻頭対談とはいえどもまったく読む気もしないが、この「正論」対談を読むまでもなく、誰が見ても明らかなように、昨今の「昭和維新運動」は、岸信介から安倍晋三への思想的、政治的「衰退」と「下降」が象徴しているように、マンガ以下の代物に成り下がっているということだろう。





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