文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇を「愚者の楽園」にしたのは誰か?


実質的な「万年与党」として戦後政治史を一貫して主導してきた自民党だが、今や自民党政権政党からの脱落、自民党の野党化、そして自民党の分裂・解体という現実がすぐ目前にせまっていることは誰もが知っていることであって、それ故に自民党議員の多くが、泥船自民党からの離党、脱党、そして政界再編を視野に入れて浮き足立っていることは、今更ここで、あらためて強調するまでもないことは重々承知しているつもりだが、これはやはり戦後政治史にとっては、画期的というか、衝撃的な現実であって、ここであらためてそれを強調し、そうなってしまった原因と根拠を分析・解明していくことは、決して無駄なことではないだろう。そこで、この問題について、僕が、僕なりの視点から考えることは、自民党保守論壇、あるいは保守ジャーナリズムとの関係性である。言い換えれば、それは、自民党政治家たちの保守論壇の言説の口真似としての「評論家化」という問題であり、その保守論壇の「大衆化」「世俗化」「愚者の楽園化」という問題でもある。つまり、これら自民党政権政党からの脱落、自民党の野党化、そして自民党の分裂・解体という問題は、「愚者の楽園」と化している今の保守論壇の思想的荒廃と知的退廃にすべて集約されていくように思われる。ところで、僕が、学生だった頃の保守論壇というものは、左翼全盛時代の中でその勢力はきわめて少数派であり、少数派であるが故に、精鋭ぞろいであり思想的にも学問的にも、かなり優れていたように思うが、それ故に、高校生時代から小林秀雄江藤淳を熟読し、左翼的言説の大衆主義とロマンチシズムを軽蔑していた僕は、左翼的言説が常識として流通していた時代にも、敢えて公然と「保守反動派」を自称してくることが出来たわけだが、それは思想的にも学問的にも保守派の論客たちの方が左翼思想家たちよりもはるかに上だという自己了解があったからだ。おそらくその頃の自民党の心ある政治家たちは、特に総理総裁を目指すような派閥のリーダーたちは、保守論壇など眼中にはなく、むしろ左翼論壇の言説の動向に敏感に反応していたのではないかと思うが、しかしそれであるが故に、保守論壇の数少ない「小さな声」にも、思想的に優れていると思うが故に、真摯に、且つ真剣に耳を傾けていたに違いないと思う。たとえばその頃の保守論壇を主導していた人物たちとは、小林秀雄、田中美知太郎、福田恒存三島由紀夫江藤淳永井陽之助等であったが、誰が見ても、彼等の方が思想的にも学問的にも、あるいは文学的にも上であって、彼等はまず何よりも、それぞれの専門のジャンルで「超一流」であった。不思議なことに、当時の保守論壇には、テーマのほとんどが政治であるにもかかわらず、政治学者や政治評論家、政治ジャーナリストは、わずかに『平和の代償』の永井陽之助等がいるだけで、ほとんど皆無だった。むろん、政治学者や政治評論家、政治ジャーナリストは無数にいたであろうが、そして彼等の提供する政界情報などはそれなりに価値ある情報として珍重されていたであろうが、彼等が保守論壇を主導したり、保守論壇の主役として君臨するなどということはありえなかった。言うまでもなく、昨今の保守論壇の状況はがらりと変わっている。たとえば現在の保守論壇を主導しているのは、小林よしのり、西部すすむ、中西輝政桜井よしこ曽野綾子西尾幹二屋山太郎等であろうが、これらの人物たちの思想活動の細部を点検してみるまでもなく、思想的にも、知的能力という点においても、かなりレベルダウンしていることは間違いない。わずかにニーチェの翻訳者、研究者として知られる西尾幹二などを除いてほとんどこれらの保守論壇の面々の書く散らす雑文的文章を、僕は読んでいないが、それは最初から読む必要を認めていないからであるが、逆にそのことが、保守論壇の隆盛化、一億総保守化という現在の状況につながっているように見える。彼等の多くは、漫画家やニュースキャスターという前歴、あるいは新聞社の政治記者上がり、もしくは元左翼学生運動の闘士からの転向組、あるいは三流作家・・・である。僕は、職業や前歴を差別しているわけではないが、その職業や前歴の中に、彼等の思想的資質や知的能力の限界や欠陥が露骨に体現されていると考える。たとえば、昨年、「沖縄集団自決裁判」論争で話題になった大江健三郎曽野綾子という二人の作家を比較してみるがいい。「文芸評論家のはしくれ」(笑)としての僕の眼から見れば、作家として比較し、その文学作品について対等に論じることすら恥ずかしいわけで、言うまでもなく、曽野綾子大江健三郎と比較して「三流作家」であることは自明であるが、昨今の保守論壇しか知らない「自称保守派」の面々にとっては、驚くべきことに、それがまったく逆らしい。保守論壇が思想的に、且つ知的に堕落したが故に「一億総保守化」と呼ばれるほどに保守思想が大衆化し、常識化、一般化したのか、その逆なのかはわからないが、いずれにしろ、保守論壇の隆盛化、あるいは保守思想の大衆化は、保守論壇の思想的荒廃、知的退廃の上で達成せられたものであって、一概に喜んでばかりはいられないはずなのだが、かつては躊躇することなしには使えなかった「保守」とか「右翼」という言葉が、今や圧倒的にプラスイメージで頻繁に、しかも声高に「保守」とか「右翼」という言葉が安易に使われているわけだが、これは異常ではないのか。さて、自民党保守論壇との関係性という問題であるが、かつての自民党議員たちは、たぶん保守系の論壇雑誌などを愛読、熟読することはほとんどなかったであろうが、たとえ保守系の論壇雑誌などを愛読、熟読するとしても、そういう場合には、左翼系の論壇雑誌も熟読していたはずで、むろんそれ以外に学術書思想書も愛読、熟読していたはずで、おそらく昨今の自民党議員たちのように、ただひたすら保守系の論壇雑誌だけを愛読、熟読し、それを政治活動のバイブルにするなどというような喜劇的なことはなかったであろう。昨今、戦後体制の転換とか、戦後政治の総決算ということが、自明の真理のごとく政界や保守論壇で常識として言われているが、少なくとも政治家そのものの資質や能力に関するかぎり、戦後体制の転換とか、戦後政治の総決算など、語るも恥ずかしいくらいで、文字通り茶番的言説そのものというしかあるまい。





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