文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

新党騒動と刺客騒動……泥舟・断末魔の自民党をめぐる冒険。


加藤紘一山崎拓等が言明し、渡辺某や中川某が公然と動き出した自民党内の離党・新党騒動、そして自民党からの離党を前提にした政界再編のドタバタ喜劇に対して、泥舟・自民党の最後の将軍となることが確実な麻生太郎自民党の取り巻きたちが、選挙区への「刺客」をちらつかせて、騒動を必死で押さえ込もうとしているが、小泉政権が、郵政民営化法案で造反議員が続出したために、郵政解散・総選挙において仕方なく手を染めた刺客騒動そのものが、現在の自民党の解党的危機の第一原因だったことを考えるまでもなく、苦し紛れに飛び出した「刺客」という言葉だろうが、いずれにしろ、泥舟・自民党が、自分で自分の首を絞めようとしていることは明らかである。中川は、民主党議員にも、解党するか離党するかして、政界再編を目指そう等と呼びかけたらしいが、中川の政治センスを疑いたくなるような稚拙な発言で、これが、自民党内の負け組の「負け犬の遠吠え」であることは間違いない。今まさに政権が手の届くところに来ているのに、前原や細野というような「隠れ自民党」議員と言えども、わざわざ泥舟を目指して離党するはずはなく、というよりそもそも離党するだけの政治的、戦略的根性があるはずもなく、ここは何が何でも民主党議員として、政権政党の利権と名誉を手にしたいと願うのは当然だろう。生き残りに必死になっている自民党議員の一部が妄想している自民党離党、民主党解党、新党立ち上げ等による「連合政権」の誕生なんて夢は、苦し紛れの空想と妄想が作り出した砂上の楼閣、つまり永田町に立ち昇る蜃気楼にすぎない。と言っても、僕は、自民党の政治家達が右往左往する姿を見ながら、それを軽蔑的なまなざしで見ながら、「正論」「諸君!」その他……に集う政治音痴の文化人先生たちの如く、彼等にお説教をしたいとは思わない。僕は、政治家という存在を、世の文化人先生たちよりは、もう少し高く位置づけており、そして麻生太郎と言えども、政治的にではなく人間的に尊敬し、密かに政治家として生きていく決断をしたその生き方を畏怖しているのでる。「政治家」は、常に「あれか、これか」、あるいは「死ぬか、生きるか」の選択を強いられている戦場の現場にいる戦士である。僕は、生き残りを賭けて、恥も外聞もなく、必死で戦う姿に、日本の政治家の本質と原点があると考えるので、外野席から、愚にもつかない「お説教」なんか垂れる気分にはなれず、ただひたすら、固唾を飲んで彼等のサバイバル・ゲームを見守るだけである。永田町で内輪の争いをしている場合ではない、という意見もあるが、そういう意見こそ、僕は見当違いであると言いたい。命懸けの内輪の争い、あるいは党派闘争や派閥抗争こそ、政治が活性化し、政治家が政治家になるのに必要なプロセスなのである。学者は自殺しない、と柳田國男が言ったそうであるが、これは言い換えると政治家や作家は自殺する、と言ったに等しい。政治家と作家は、常に現場で闘争する存在であることを強いられているからだ。



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