文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

早雪忌・三浦重周追悼会で…。岩田温氏と…。




(三浦重周氏の書)


三島由紀夫研究会」事務局長で、保守・右翼系の思想家というか活動家というか、いわゆる戦後保守・右翼思想史にその名を残すことになった「三浦重周」が、雪の降る新潟港岸壁で、衝撃的な割腹自決でこの世を去ってからすでに三年が経つ。というわけで、毎年、年末のこの季節に九段会館の一室で行なわれる「早雪忌」に行って来た。僕は、この会には、毎年、参加しているが、今年は、少し、こじんまりとした会で、学生時代から三浦重周と親しく交わった人が殆どだったようで、わずか四、五年ほどしか付き合いもなく、しかもたま憂国忌や三島研究会の講演会などで顔をあわせることがあっても、簡単な挨拶を交わすだけで、ほとんど口をきいたこともないような関係の僕などが、立ち入る隙のない、世話役の宮崎正弘さんを初めとして、学生時代から保守・右翼思想運動を展開してきた活動家たちの同窓会のような親密な会だった。僕は、三浦重周さんの考えている政治思想も、思想論文も、そしてその個人的な思想遍歴も活動歴も、生前はほとんど知らなかったが、もちろん三浦重周さんも、そういう個人的なことや思想的なことを、僕などに語るはずもなかったわけで、別に不思議でもなんでもないが、いずれにしろ、三浦重周さんが、優秀な学生として、東大入試が中止になった頃、早稲田大学政経学部に入学し、入学と同時に民族派学生運動組織に参加、その後、大学卒業後も就職することなく、清貧に甘んじながら、「重遠社」という政治集団を組織し、一貫して保守・右翼活動の指導的存在として、右翼革命を目指しながら思想運動を継続してきたという思想遍歴を、宮崎正弘さん等が遺稿集として編集した二冊の「三浦重周論文集」を通して知るに及んで、僕の三浦重周さんに関する考え方は大幅に変化し、三浦重周という存在が、急速に畏怖すべき、大きな存在になっていった。そして同時に、僕にも、生前は、近寄りがたい、少し遠い存在だったが、あらためて身近な存在になった。僕は、思想家や活動家を評価する時、その思想や理論だけではなく、その「生き方」や「身の処し方」を重視する人間である。僕は、時局を見るに敏な元左翼からの転向右翼や転向保守を、あるいは口先ばかりのナンチャッテ保守、つまりマンガ保守やオバサン保守、あるいはネーチャン保守(?)を、それがどんな過激な右翼思想の保持者であろうと、その思想や理論がどれだけ精緻で過激であろうとも、唾棄すべき存在として、生理的に受け付けない。商売繁盛で結構ですね、と言いたいだけだ。「意は似せ易く、姿は似せ難し」(本居宣長)だからだ。「意」とは、思想や理論、つまりイデオロギーであり、「姿」とは生き方や身の処し方、あるいは文体(書き様)のことである。僕が、宮崎正弘氏や三浦重周氏を尊敬し、畏怖するのは、そこに理由と根拠がある。三浦さんの一句(「重遠社」設立主意書より)に、こんなものがある。「固より一身一家の功名は これを求めず、白霜に愁骨を曝すことを恐れず。」と。この厳しい一句は、僕の心を奮い立たせる。最近、保守思想や右翼思想はなかなか盛況で、右翼とか保守と言えば、何処を見ても商売繁盛の様子で誠にオメデタイことではあるが、はたして、そこに、「一身一家の功名を求めず、白霜に愁骨を曝すことを恐れず……」というような、保守思想や右翼思想の「真髄」があるだろうか。あるわけがないたろう。昨今の日本の論壇内外に蔓延している保守や右翼とは、流行思想に弱く、商売上手で、地位や栄誉しか眼中にない「生活右翼」「営業右翼」だけだろう。孤立無援と言ってもいい保守・右翼運動にとっては堪忍自重の長い不遇時代には、挫けることなく運動と思想を持続できた三浦さんが、保守・右翼全盛の今になって、何故、自決しなければならなかったのか。三浦重周さんの怒りと哀しみが、何処にあったのかを、あらためて実感した一夕だった。昨夜は、その後、岩田温氏を指導者とする「日本保守主義研究会」の学生たちと深夜まで、三浦さんの思い出を語りつつ、痛飲、右翼民族主義運動の現在について激論を交わす。岩田温さんを初めとして、頭脳明晰、才気煥発な若者達と政治や思想について話すのは気持ちがいい。馬鹿とは、いくら若くても、また年取っていようとも、口もききたくないと思う今日、この頃であった。

 固より一身一家の功名は これを求めず、 白霜に 愁骨を曝すことを恐れず。

ところで、「文学界」一月号に、イタリア文学者の河島英昭が、「チェーザレパヴェーゼ生誕百年に思う」というエッセイを書いているが、そこに、チェーザレパヴェーゼの『丘の上の家』から、こんな文章が引用されている。

「一廉(ひとかど)の人物になるというのは別のことだ」と、ぼくは静かに言った。「きみには想像もできないだろう。幸運と、勇気と、意思が要る。とりわけ勇気が。まるで他に、人がいないかのように、独りきりでいつづけて、ひたすら自分のすることだけを考える勇気。世の人に無視されても、動じないこと。歳月の経つのを待つ必要があり、死ぬ必要がある。そして死んだ後に、もしも幸運に恵まれれば、きみは一廉の人物になれる」

ちなみに、パヴェーゼは、42歳で、トリーノ駅前のホテルの一室で自殺した。


(続く)
重遠社・設立趣意書



★辞世の句。


★第一回目の三浦追悼会。
http://mishima.xii.jp/miura/index.html


★若い保守・右翼思想家の岩田氏と……早雪忌会場で。



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