文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

僕は、歴史観・国家観という言葉が嫌いだ。だから、僕は、小林秀雄の『ドストエフスキー論』を読み直す。


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航空統幕議長だかどうだが知らないが、自衛隊の現役武官が、「日本の近現代史の再評価」をテーマにする民間の懸賞論文に応募し、「日本の戦争は侵略戦争ではない」とか何とか言う論文で、見事に金賞を射止め、賞金を三百万かそこらもらっというニュースが日本中を駆け巡り、政治問題にまで発展、たちまちのうちに本人が、総理の素早い決断で辞職、退官に追い込まれたのは、いつのことだっただろうか。つい最近のことのようでもあり、すでに過去の話のようでもある。僕自身は、その統幕議長にも、その応募論文の中身にも、何の関心もなく、ただ傍観していただけだが、僕の知り合いの何人かも、大いに関心があるらしく、しきりにこれらの問題を、悲憤慷慨しつつ、議論するものが少なくなかったが、そこで、よく使われる言葉に歴史観という言葉や、国家観という言葉があり、ちょっと気になった。この言葉が、頻繁に使われるようになったのは、小泉純一郎安倍晋三、あるいは小泉や安倍を支援する論壇の一派が、たとえば桜井よしこ小林よしのりのような、オバサン保守やマンガ保守が、力を増し、論壇やジャーナリズムでの発言権が増して行った頃だったのではなかろうか。それよりも前から、保守派や保守論壇では、この「歴史観」「国家観」という言葉は、肯定的な意味で使われてはいたが、このいささか大げさな言葉を、ろくに本も読まないような口先だけの無知蒙昧なネットウヨとか、マンガ右翼とも言われて揶揄されるような連中が、馬鹿の一つ覚えのように連呼し始めたのは、やはり拉致問題などをめぐる小泉一派や安倍一派の台頭の頃からだったように、思われる。したがって、僕が、歴史観・国家観という言葉が嫌いなのは、この言葉を乱用する軽薄な右派・保守派の連中の思想的浅薄さが、嫌いだったということで、別に他意はない。僕は、航空統幕議長(前)の田母神某の発言や論文にも、同じ匂いを感じるので、この問題に言及することを避けてきた。僕は、田母神某の論文の趣旨には、それほど反対ではなく、むしろ賛同しているぐらいだが、ただ、どうしても納得できないのは、その言葉の使い方や論理の展開の仕方、あるいは田母神某が盲目的に依拠している先人の論文や資料に、疑問を感じているからで、要するに田母神某その人にも、浅薄なネットウヨ的、マンガ右翼的な匂いを感じるからである。さて、「日本の近現代史の見直し」というと、やはり満洲という問題を避けて通ることはできないだろう。僕は、今、田河水泡という漫画家の戦争マンガ『のらくろ』について、の中でも主に満洲体験について考えているが、それは、実は、田河水泡が文芸評論家・小林秀雄の「義弟」だったということとも関連している。つまり小林秀雄もまた、日本人の「満洲体験」を重視した思想家の一人だったからだ。小林秀雄は、その頃、満洲旅行や中国旅行を繰り返していたが、同時に、『ドストエフスキーの生活』というドストエフスキー論を連載していた。小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』というドストエフスキー論の隠されたテーマは、満洲だったのではないか、というのが、僕の解釈である。最近のネットウヨ的、マンガ右翼的な右派・保守派の連中が、保守思想の元祖とも言うべき小林秀雄を読まないのは当然だろうが、実は、昨今の保守思想家と言われている人たちもまた同じように、小林秀雄という保守思想の元祖を、ろくに読んでいないのである。僕が、昨今の右派・保守派の思想家やジャーナリスト等の発言や論文に、違和感を感じるのは、そこにも原因があるはずで、ここであらためて、小林秀雄満洲体験やドストエフスキー体験を問題にするのも、そこに根拠がある。保守は思想(イデオロギー)ではない。保守思想の誕生と起源が問題なのだ。




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