文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「琉球新報」記事。「大江・岩波訴訟 高裁判決に思う」


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僕は、今月、13日と14日、「琉球新報」の文化欄に「大江・岩波訴訟 高裁判決に思う」を書いたが、その掲載された記事の写真版である。内容は、いつも、ここに書いていることなので、繰り返さないが、この「沖縄集団自決裁判」論争の基本文献というか必読文献というか、要するに、この「沖縄集団自決裁判」にかかわる人たちなら、誰もがすでに読んでいるはずの大江健三郎の『沖縄ノート』、曽野綾子の『ある神話の背景』の二冊だが、実は殆どの人が、これらの本の本文を読んでいないというのが実情であり、つまり「誤字」「誤読」による誤った情報の「又聞き」、「受け売り」のガセネタを根拠に議論・論争している……人が殆どであるということになるわけだが、このことは、我が国の現在の思想状況の知的レベルの劣化現象の反映以外の何物もないだろう、と僕は思う。この「沖縄集団自決裁判」の原告や弁護士、あるいは裁判を支援する人たち、そして周りの文化人・知識人と言われる人たちにいたるまで、そうなのだから、始末が悪い。「名誉毀損」や「軍命令」等を議論する前に、『沖縄ノート』と『ある神話の背景』の本文ぐらいは読め……と言わなければならないとは、なんとも哀しく、ミジメな現代日本の思想的現実である。これでは、議論にも論争にもなりようがない。ただ、間違いだらけのガセネタ情報の「受け売り」、「又聞き」のトンデモな「自説」や「自論」を、一方的にまくし立てるだけで、聞く耳を持たない頑迷固陋な「マンガ右翼」や「イイチキ保守」「インチキ弁護士」等が登場して、この問題の専門家気取りで、沖縄現地の各所にまで押しかけていって、講演会や言論活動を続けられるなんてのも、きわめて日本的な光景と言わなければなるまい。これも、現在の思想的退廃と劣化の現実を見るまでもなく、当然の現象と思うべきなのだろうが、しかし、それにしても、恐ろしい世の中になったものである。