文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

いつも見ている下品な読者・山田由起夫どのへ。


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●読者から次のようなコメントが寄せられたので、参考までに再録して、ちょうどいい機会だから、僕のブログ運営、思想活動、批評活動、言論活動……等に対する基本的な立場と考え方を簡単に述べてみたい。このコメント欄にコメントを寄せてくれた「山田由紀夫」が本名かどうか知らないが、少なくとも匿名や偽名でしかモノを言えないようなレベルの人間である事は確かであるようだから、相手にする必要もないことだが……。

山田由起夫
2008/07/11 03:32
大変好き勝手なことを言いますが。いつも読んでいるものとして少し言わせていただきますね。
どうもあなたは被害妄想のところがあるみたいですね。

●いつも見ている読者・山田由起夫どのへ。わざわざ無礼極まりないコメントを、ありがとうございます。丁寧に拝読させていただきました。さて、本題に入りましょう。いつも見ている読者・山田由起夫どの、あなたは医者ですか。医者だったら相当の藪医者ということになりますが。医者でなかったら、恥をかくだけですから、もう、そんな幼稚な診断と分析はおやめなさい、と忠告しておきましょう。思想活動や批評活動には、一般市民から見れば、たとえニーチェであろうとドストエフスキーであろうと、はたまた小林秀雄であろうと福田恒存であろうと、「被害妄想」染みた言動は不可避でしょう。思想家たちの「被害妄想」染みた言動が目障りでしたら、思想や批評に関心を持つのをやめた方がいいのではないですか。そもそも小生が、被害妄想であろうとなかろうと、あなたには関係ないことではないですか。わざわざ「被害妄想のところがあるみたいですね。」ということを、当の本人のコメント欄に書き込むというあなたの無神経な暴挙に、私は、かえって育ちの悪い知的な「鈍感さ」と「下品さ」を、あるいは病的な「被害妄想」を感じるのですが。要するに、そうでないことを祈りますが、あなたこそ、「……妄想」患者ではないのですか。

……
お聞きしますが池田一派の仕業であるとか、そのような証拠があるんですか。単なる思うと言うことだけですよね。そうであるならば池田さんに大変失礼ですよ。
決して私は池田さんの見方をしているのではありません。

●こういうことは、池田信夫に言ってください。「池田さんに大変失礼……」ですか。どういう発想からそういう考えがでてくるのでしょうか。池田信夫に失礼なのではなく、小生に対して失礼というものでしょう。あなたは、勇敢にも、「そのような証拠があるんですか。」……と書いておられますが、あなたが知らないだけで、あるに決まってるでしょう。あなたは、池田信夫のブログの言動を、そのまま鵜呑みにしているのでしょうが、小生のコメンと欄で、小生に向かって慇懃無礼な「お説教」を垂れるのであれば、それなりの前後関係の勉強と、それなりの思想的覚悟が必要でしょうが、あなたにそういうものがあるとは思えません。モノを知らない「老人」が、つまりあなたのことですが、権力に媚び諂う退役老人が孫にするような愚にもつかない「お説教」を、垂れ流したとて、いったい、誰が聞くものですか。誰もききやしませんよ。少なくとも、小生にとって池田信夫ごときは、思想的にも人間的にも問題外の人物であって、なんの関心もありません。「SAPIO」という雑誌で「沖縄集団自決裁判」に関して曽野綾子とトンデモ対談をしているのを発見したことから、ついでに、つまり曽野綾子の批判にあわせて付随的に言及しただけです。私は、私の池田信夫に関する言及が、池田信夫に対して「失礼だ」と思ったことは一度もありません。まだまだ足りないと思っているぐらいですが、しかし池田信夫にこだわるのは、時間の無駄ですから、やらないだけです。

……
先輩に対しても敬語も使わないで呼び捨てにしたり、もう少し自分と言うものを考えてはいかがですか。いくら相手が見えないと言ってもブログを投稿する以上は大人のマナーは大切だと思います。
人を批判するより、自分の意見をしっかり述べることが大切だと思います。
なにか見ていますとわざわざ相手に論争を吹っかけているようで本当に見苦しいと思うものは私だけではないと思いますよ。
人の意見は意見として尊重すべきですよ。それが評論家と言うより人間として当たり前のことだと私は思います。

●「先輩」って誰ですか。思想活動、批評活動において「先輩」とか「後輩」とかいう観念は、昔から私には微塵もありません。私は、才能や業績に対しては、それ相応に儀礼にかなった対応をしますが、ただ単に、先輩だとか、後輩だというだけで、言葉遣いを変える、つまり敬語を使うなどということはしませんし、するべきだとも思いません。私は、自分の息子や娘と同じような年齢の者に対しても、私がその才能や人格を認めるならば、それ相応の対応をしますし、逆の場合は、つまり年上だろうと老齢だろうと、少なくとも思想活動や言論活動において、その才能と人格に唾棄すべきものを見出した場合には、年齢などに関係なく容赦しません。あなたが、「それが評論家と言うより人間として当たり前のことだ……」と思うのであれば、あなた自身が、そうすればいいことでしょうけれども、皮肉なことに、そう言ううあなた自身が、小生のブログのコメント欄への書き込みでは、充分にその原則に反していますね。(笑)それとも小生(山崎行太郎)に対しては、「被害妄想」云々……という言葉を投げつけてもいいという例外が認められるということでしょうか。私は、そういう二枚舌、三枚舌的な言動を、つまり権力や社会的地位、あるいは肩書きや年齢に媚びて、言動をカメレオンのように変える卑屈というか、醜悪というか、そういう品性下劣な姿勢を、もっとも唾棄すべきものと思っています。お言葉ですが、あなたは、残念ながら、一般市民として生きていく生活の倫理や道徳は過剰に持ち合わせているかもしれませんが、少なくとも思想や批評、あるいは政治や芸術を語る能力も資格もありませんね。私の思想活動、言論活動、そして私の思想表現の最大のツールであるブログ活動の本質は、他人の顔色を伺いながら、びくびくと怯えて、権力による権力への屈従を促す洗脳の道具としての「上品」や「品格」や「道徳」に屈服することなく、「言いたいことを、言いたい時に言う……」ことにあります。権力擁護、体制擁護の道具として、権力や体制が押し付けてくる「上品さ」や「品格」「マナー」こそ、思想表現、言論活動において、もつとも嫌悪すべき、そして唾棄すべきものです。

秋の夜が落ちて、星が光りはじめたら、わたしは最後の言葉を言おう。わたしの拳銃はわたしとともにある、と。(ロープシン『蒼ざめた馬』)


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