文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「will」別冊「狙われる沖縄」に集まったメンバーこそ利権がらみのゼニゲバばかり。

ランキング(政治)に参加中!!!
にほんブログ村 政治ブログへ
コメントはコチラへ




「will」が「沖縄集団自決」特集を別冊で組んだという記事を何処かで見て、密かに興味本位というか、野次馬気分で楽しみにしていたのだが、昨日、「will」別冊が店頭に並んでいるらしいということなので、さっそく本屋でパラパラとめくりながら立ち読みしてみたら、なんと掲載論文のほとんどが再録で、わずかに桜井よしこ田久保忠衛の対談が目立つぐらいで、期待はずれというか、羊頭狗肉というか、もっと骨のある論文がギッシリと詰まっているのかと想像していたので、目次を見るまでもなく、ちょつとがっかりした。「沖縄集団自決裁判」の原告側弁護士の代表なのかどうか知らないが、一人だけ張り切っているダメ弁護士・徳永某の記事には、これも「沖縄集団自決裁判」一審判決後に行われた沖縄での講演会の内容をまとめたものらしいが、小生の名前が頻発し、山崎行太郎の主張する「曽野綾子誤字誤読事件はなかった」と、自信満々にというか、「井の中の蛙、大海を知らず」というか、高らかに宣言した挙句、小生を、「自称保守評論家」とか「三文評論家」というような、弁護士らしくない、人権侵害、名誉毀損すれすれの誹謗中傷もどきの罵倒言語を乱用して、文学通、芸術通を気取っているが、コイツは本当に弁護士なのか(???)、と良識を疑いたくなるようなお粗末な内容である。僕は、学生時代から一貫して「保守反動」を思想信条としてきたが、この種の、「才能不足」「勉強不足」「日本語読解能力欠如」「思想性欠如」を絵に書いたような「バカウヨ」の連中とは一線を画してきたし、今もそれだけは譲れない一線であると思っている。たとえば、徳永某は、とってつけたように記事の最後に小林秀雄の言葉を引用しているが、おそらく小林秀雄を引用すれば、「バカウヨ弁護士」の書き流す駄文にも箔が付くとでも勘違いしたのだろうが、小林秀雄が、生前、大江健三郎という作家に対してどういう評価をしていたかを知っているのだろうか。多分、知らないだろうから教えてあげたいところだが、こういう「バカウヨ」は、教えてやると、それをまた別のところで、あたかも自分の教養の如く使いまわすから、今は敢えて教えないでおこう。いつまでも恥をかき続ければいいのである。いずれにしろ、知ったかぶりをして文学や芸術についてご高説を垂れるのは、ほどほどにした方がいい、と思うが、こういう「バカウヨ弁護士」は恥もプライドもないから、何を言っても無駄であろう。ところで、「誤字誤読問題」について、徳永某によると、曽野綾子は「そんなくだらないこと……」と言ってるそうである。以下は信じられないようなお粗末な曽野綾子の発言。

判決の前、誤読説のことを曽野氏に尋ねる機会があった。
「そんなくだらないこと、ほっておきなさい。もっと大事なことがあるはずです。すべては、大江さんの悪文から来ていることなのよ」
曽野氏の回答は実に明快であった。
そうなのだ。大江氏の執拗な主張や数々の指摘は、いずれも大局から外れた些細なことばかりである。(中略)これで誤読説をめぐる騒動も、終息することだろう。

曽野綾子は「誤字誤読」を否定しているのではなく、その事実から世間の目を逸らし、「そんなくだらないこと……」と言うことによって、逃げているのであり、「誤字誤読事件」の「火消し」に躍起になっているというのが実情のである。ところが、徳永某は、お人よしというか、知的鈍感そのものというか、またまた曽野綾子トンデモ発言を真に受けて、「これで誤読説をめぐる騒動も、終息することだろう」と呑気なことを言っているのである。この程度の認識で、「沖縄集団自決裁判」を、二審、最高裁と延々と続けるという原告や原告側の弁護士、応援団は大丈夫なのだろうかと心配になるが、と今や言うのもばかれるわけで、既に二審控訴審の段階で、多くの原告側弁護団のメンバー、あるいは支持者、応援団が早々と逃げているらしいことが確認されているが、それにしても曽野綾子の「知的お粗末さ」はたいしたものであって、これでよくも作家稼業がこれまで続けてこられたものであると感心するが、別の言い方をすれば曽野綾子の文学なるものも、この程度のものだったということだろうか。話題を大江健三郎の「悪文」の問題に摩り替えるあたり、まったく子供染みているというしかない。そもそも、「悪文」は、文学的には、あるいは批評的には、なんら悪いことではない。むしろ曽野綾子的な「美文」こ、文学的には唾棄すべきものであって、文芸評論家の井口時男(東工大教授)は『悪文の初志』という本で、「悪文」を徹底的に擁護している。それにしても、曽野綾子にとって「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読(誤記?)した「曽野綾子誤字誤読事件」は「そんなくだらないこと……」なのか。違うに決まっているだろう。何故、一言でも、反論しないのか。何故、「そんなくだらないこと……」に、曽野綾子自身が、これまでことあるごとにこだわってきたのか。曽野綾子の「罪の巨塊」(「罪の巨魁」)の誤読に、そして曽野綾子の誤読に端を発して保守論壇に蔓延した誤読事件は、この「沖縄集団自決裁判」のすべては象徴されているのだ。曽野綾子が、今、「沖縄集団自決裁判」だけではなく、曽野綾子の文学的営為のすべてをゼロにしてしまうかもしれないような「誤字誤読事件」に遭遇し、その「火消し」に躍起になっていることは容易に想像できるが、しかしそういう危機的状況に追い込まれた曽野綾子の苦し紛れの発言「そんなくだらないこと……」を、そのまま素朴に鵜呑みにして、「曽野綾子誤字誤読事件はなかった……」と主張するのは、徳永某と江崎孝(笑)だけであろう。保守論壇の面々も、「誤字誤読事件」発覚後は、これはヤバイと思ったのか知らないが、この「罪の巨魁」の話題には触れないことにしているはずで、その後は誰一人として、この問題を論文のテーマに取り上げることはしていないが、残念ながら、この「will」別冊特集号「狙われる沖縄」では、多くの論文が再録であるがために、「罪の巨魁」発言が、肝心な場面に枕詞のように頻出しているという笑えない喜劇となっている。ちなみに、僕が指摘した「誤字(罪の巨魁)」は、この特集号に再録される過程で、見事に「罪の巨塊」に訂正されているようだが、訂正の断り書きは、何処にもないように、少なくとも僕には見えるのだが……。曽野綾子の単行本『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)も、誤字を訂正するか、もしくは絶版にするか、どちらかにしてほしいものである。


(この稿続く)




資料1(過去エントリー)

大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1

■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1

■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2

大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1

曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118

曽野綾子と宮城晴美 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124

曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127

■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129

■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130

曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201

曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202

曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206



ランキング(政治)に参加中!!!
にほんブログ村 政治ブログへ
コメントはコチラへ