文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

逃げるな!!! 稲田朋美!!!……「原告訴訟代理人」に名を連ねている稲田朋美!!!

平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件   
原  告  梅澤  裕 外1名
被  告  大江健三郎 外1名 



原告準備書面(8)
平成19年5月25日
大阪地方裁判所第9民事部合議2係 御 中
           
               原告ら訴訟代理人
弁護士  松  本  藤  一

弁護士  徳  永  信  一

弁護士  稲  田  朋  美
弁護士  高  池  勝  彦

弁護士  岩  原  義  則

弁護士  大  村  昌  史

弁護士  木  地  晴  子

弁護士  本  多  重  夫

                  弁護士 中  村  正  彦 
弁護士 青 山 定 聖 弁護士 荒 木 田 修

弁護士 猪 野   愈      弁護士 氏 原 瑞 穂
弁護士 内 田   智      弁護士 小 沢 俊 夫
弁護士 勝 俣 幸 洋      弁護士 神 崎 敬 直    
弁護士 木 村 眞 敏      弁護士 田 中 平 八
弁護士 田 中 禎 人      弁護士 小 沢 俊 夫
弁護士 田 辺 善 彦      弁護士 玉 置   健
弁護士 中 條 嘉 則      弁護士 中 島 繁 樹
弁護士 中 島 修 三      弁護士 二 村 豈 則
弁護士 馬 場 正 裕      弁護士 羽 原 真 二
弁護士 浜 田 正 夫      弁護士 原 洋   司
弁護士 藤 野 義 昭      弁護士 三ツ角 直 正
弁護士 牧 野 芳 樹      弁護士 森   統 一 

http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/

沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会


訴    状             
 平成17年8月5日                 
大阪地方裁判所 御 中

         原告訴訟代理人

               弁 護 士   松  本  藤  一
               弁 護 士   稲  田  朋  美
               弁 護 士   紱  永  信  一



  別紙原告訴訟代理人目録記載のとおり

謝罪広告等請求事件
訴訟物の価額   金 32,552,000円
   貼用印紙額    金    119,000円
   予納郵券     金      6,900円

  当事者の表示  別紙当事者目録のとおり

請 求 の 趣 旨

1 被告株式会社岩波書店は、別紙一記載の書籍(「太平洋戦争」)、別紙二記載の書籍(「沖縄問題二十年」)及び別紙三記載の書籍(「沖縄ノート」)を出版、販売又は頒布してはならない。

2(1) 被告株式会社岩波書店及び被告大江健三郎は、読売新聞、朝日新聞毎日新聞産経新聞及び日本経済新聞の各全国版に、別紙四記載の謝罪広告を別紙四記載の掲載条件にて各1回掲載せよ。

 (2) 被告株式会社岩波書店は、読売新聞、朝日新聞毎日新聞産経新聞及び日本経済新聞の各全国版に別紙五記載の謝罪広告を別紙五記載の掲載条件にて、別紙六記載の謝罪広告を別紙六記載の掲載条件にて各一回掲載せよ。

3(1) 被告株式会社岩波書店は、原告らに対し、各金1000万円及びこれに対する本訴状送達の日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 (2) 被告大江健三郎は、原告らに対し、各金500万円及びこれに対する本訴状送達の日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに第3項につき仮執行の宣言を求める。


請 求 の 原 因
第1 当事者

1 原告梅澤裕(大正5年12月21日生)(以下「原告梅澤」又は「原告梅澤少佐」という)は、第二次世界大戦中の沖縄戦において米軍が最初に上陸した慶良間列島座間味島で第1戦隊長として米軍と戦った陸軍士官学校(52期)出身の元少佐である。

2 原告赤松秀一(以下「原告赤松」という)は、同じ沖縄戦において慶良間列

島の渡嘉敷島で第3戦隊長として米と戦った陸軍士官学校(53期)出身の元大尉である故赤松嘉次(大正9年4月20日生・昭和55年1月13日死亡)(以下「赤松大尉」という)の弟である。

3 被告株式会社岩波書店(以下「被告岩波書店」という)は、1913年創業

の各種図書の出版と販売等を業とする会社であり、別紙一、二、三記載の書籍

(以下「本件書籍一」「本件書籍二」「本件書籍三」、又は、「太平洋戦争」、「沖縄問題二十年」、「沖縄ノート」という)の出版を行っている。 

4 被告大江健三郎(以下「被告大江」という)は、文学賞である芥川賞、ノー

ベル文学賞を受賞した作家であり、日本文芸家協会及び日本ペンクラブの理事であり、本件書籍三「沖縄ノート」の著者である。

第2 沖縄戦座間味島渡嘉敷島における集団自決

1 昭和16年12月に日本軍の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争は、昭和17年6月のミッドウエー海戦を機に日本軍が劣勢となり、昭和19年6月米軍がサイパン島に上陸した。日本軍がサイパン島を喪失すれば、米軍の長距離爆撃機による日本本土の直接爆撃を可能とすることから、島を守るために激しい戦闘が繰り広げられたが、昭和19年7月サイパン島は陥落した。昭和19年10月、フイリピンでのレイテ作戦が遂行され日本軍の反撃が試みられたが、昭和20年2月には遂に米軍の硫黄島上陸を許し、次の米軍の攻撃は台湾か沖縄に向かうと予想される状態にあった。

2 昭和19年3月南西諸島を防衛する西部軍指揮下の第32軍が編成され、サ

イパン陥落前後の同年6月頃から実戦部隊が沖縄に駐屯を開始し、同年10月頃までに沖縄に配備された守備軍は第9師団(満州の牡丹江から編入した部隊)、第24師団(満州旭川第7師団を編成替えした北海道出身者中心の部隊)、第62師団(華北で編成され、京漢作戦などに参加した近畿・北陸出身者中心の部隊)、独立混成第44旅団、砲兵部隊、海軍の沖縄方面根拠地隊などであった。これら沖縄守備軍・第32軍は「球部隊」(たまぶたい)と呼ばれていた。

3 昭和20年3月23日から沖縄は米軍の激しい空襲にみまわれ、24日からは艦砲射撃も加わった。米軍の最初の目標は、沖縄本島の西55キロメートルに位置する慶良間諸島の確保であった。慶良間海峡は島々によって各方向の風を防ぎ、補給をする船舶にとっては最適の投錨地であった。

米軍の慶良間諸島攻撃部隊はアンドリュー・D・ブルース少将の率いる第77歩兵旅団であり、空母の護衛のもと上陸用舟艇で上陸作戦にのぞんだ。作戦の狙いは沖縄本島総攻撃に備え、水上機基地と艦隊投錨地の確保と神山島を占領し、沖縄上陸の援護砲撃をすることであった。

4 慶良間列島には座間味島渡嘉敷島阿嘉島などがある。昭和19年9月、

座間味島には原告梅澤少佐が指揮する海上挺進隊第1戦隊が、阿嘉島慶留間島には野田義彦少佐の指揮する海上挺進隊第2戦隊が配備されていた。そして渡嘉敷島には赤松大尉が指揮する海上挺進隊第3戦隊が配備された。海上挺進隊はベニヤ板製の小型舟艇に120キログラム(3秒瞬発信管使用)の爆雷2個を装着し、速力20ノットで、敵艦隊に体当たり攻撃して自爆することが計画された海の特別攻撃隊である。しかし、結局、出撃の機会はなく舟艇を自沈させた後は、海上挺進隊はそれぞれ駐屯する島の守備隊となった。

5 原告梅澤少佐の守備する座間味島と、赤松大尉の守備する渡嘉敷島で米軍の

攻撃を受けた昭和20年3月25日から28日にかけてそれぞれ座間味島の村民及び渡嘉敷島の村民の多くが集団自決による凄惨な最後を遂げた。
…………
以下略

★追記、6/28に「大本営発表」が出されていました。
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=2836&forum=1&viewmode=flat&order=ASC&start=1680



曽野綾子、赤松嘉次等の密談・謀議の現場写真。ここに山本明がいたかどうかは不明……。

■この写真は、1971年6月、「青い海」という雑誌に、「赤松手記」とともに掲載されたものである。左奥の女性が曽野綾子、その手前の、テーブルに乗り出して右手で何かを指している白ワイシャツの男が赤松某、と思われる。曽野綾子が、赤松某や赤松隊隊員等と接触したのは、大阪千日前「ホテルちくば」以来、少なくとも二回目である。他に、この前後に、豊田市でも接触しているようだが確認はとれていない。この写真からも、曽野綾子が、事件の一方側の当事者である取材対象に深入りしていることは明らかで、ここで赤松等と情報交換や資料の調整等を行ったことが推測される。
山崎行太郎の「毒蛇山荘日記」2007-12-26より……http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071226/1198608782


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資料1(過去エントリー)

大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1

■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1

■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2

大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1

曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118

曽野綾子と宮城晴美 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124

曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127

資料2

大江健三郎岩波書店沖縄裁判の争点http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/souten.html

■大江・岩波沖縄戦裁判の支援の会・ブログhttp://okinawasen.blogspot.com/

■大江・岩波沖縄戦裁判支援会 http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/news.html

曽野綾子の第34回司法制度改革審議会議発言議事録 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html

■沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/35/

大江健三郎沖縄ノート』裁判告訴状 http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page018.html