文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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ダメ弁護士・徳永某の「大本営発表」はまだですか?

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阪高裁で行われた「沖縄集団自決裁判」控訴審での模様が、すでに大江・岩波側の、つまり被告側の支援サイトからは公表されているが、未だに原告側の、つまり赤松・梅澤両隊長側の支援者・弁護団からの大阪高裁での経過報告は、僕の目に届かないところではなされているのかもしれないが、いっさい、公表されていないようだ。徳永某等は、お得意の記者会見も行わなかったのだろうか。「沖縄集団自決裁判」の仕掛け人でダメ弁護士の称号に相応しい、日本語もろくに読めない無能弁護士・徳永某の「大本営発表」を期待していた僕には、なんだか楽しみ半減で、ちょっとガッカリである。是非とも、徳永某には、ダメ弁護士の称号に相応しく、我々の期待を裏切ることなく、ガセネタ満載の勇ましい「大本営発表」をお願いしたい。というわけで、残念ながら、徳永某の「大本営発表」が未見なので、まずは、大江・岩波側の、つまり被告側の支援サイトからの報告を引用しておこう。

http://okinawasen.web5.jp/html/kousai/2008_06_24_bouchou.html
阪高裁関係>控訴審始まる!(2008.6.25)

大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審始まる!


 2008年6月25日、大阪高裁202法廷で標記の第1回口頭弁論が行われた。70枚の傍聴券抽選に156人が並んだ。2・2倍の倍率。山本明、藤岡信勝秦郁彦、中村あきらの4氏も来ていたものの、原告側の傍聴動員数はかなり減った印象でした。当たりくじも大江・岩波側支援者の方が圧倒的に多かった。


 地裁では、34人いた控訴人(原告)側代理人は、高裁では6人と激減。衆議院議員稲田朋美弁護士も代理人から外れた。真相は定かではないが、我々の運動の広がりと地裁での勝利判決が、代理人の多くが手を引くまでに追い込んでいることには間違いない。


 13時58分、テレビカメラの2分間の撮影が行われ、14時ちょうどに口頭弁論が始まった。原告側が期日に遅れて提出した「控訴理由書」に対し数日前に訂正書が出されたのに、それでもなお、小田耕治裁判長は誤りと思われる箇所を複数指摘し、原告側代理人の準備のずさんさが浮き彫りとなった。


 双方の代理人から各10分の口頭陳述が行われた。原告側の徳永弁護士は用意した文書を早口で読み上げ、地裁判決の事実認定が一方的で不当だと主張。昨年12月26日の文科省の訂正申請結果を琉球新報等が「軍の強制は認めず」と報じたことを都合よく解釈した循環論法的な主張や、「地裁判決は『沖縄ノート』の頒布を否定しているのに岩波書店は増刷している」との主張を持ち出し、賠償額を増額したことには思わず閉口してしまった。


 原告側は秦郁彦氏の証人申請を行った。裁判長は「『諸君!』〇八年二月号の論文提出で十分ではないのか」と指摘して3人の裁判官は別室で協議し(その間約1分)「必要なしとして却下する」とした。裁判官は迅速な判断ができるほどに資料等を丹念に読み込んで準備をしている印象を受けた。第一回口頭弁論は14時42分に閉廷した。


 大阪高裁宛への署名が僅か3か月で13,703筆集まり、これらの署名は第四民事部に午前中に提出した。


 第二回口頭弁論は9月9日午後2時開廷と決まった。証人調べがないことからすると、今後は文書のやりとりだけの審議となり、早期に結審する可能性が高い。隊長からの自決命令があったことについて真実と信じるに足りる相当な理由があるとした一審判決を支持する高裁判決となるよう最後まで注目していきたい。 (N)

この大江・岩波サイドの大阪高裁、控訴審の報告からわかることは、秦郁彦の証人申請が、「諸君!」08/2月号の「秦郁彦論文」で、つまりこの論文のデタラメぶりは小生が論証・分析済みの資料だが、そのガセネタ論文で充分であり、今さら秦郁彦の証人尋問は無用というわけで、即座に却下されたということは前にも書いたので繰り返さないが、それに付け加えて、驚くべきことだが、「地裁では、34人いた控訴人(原告)側代理人は、高裁では6人と激減。衆議院議員稲田朋美弁護士も代理人から外れた。」という事実だろう。その逃げた控訴人側代理人に、このところ何かと話題の多い弁護士・新人代議士の稲田朋美も混じっているらしいという事実である。いったい、これは何を意味しているのか。ダメ弁護士の徳永某にお尋ねしたいところだが、徳永某が沈黙している以上、勝手に推測してかかるほかはない。しかしそれにしても、弁護士というのはいかがわしい職業なのかどうか知らないが、形勢不利と見るや、さっさと逃げ出す弁護士がいるとは……。ということは、「沖縄集団自決裁判」に「命」を賭けていた保守論壇の面々は、極少数の関係者を除いて、ほぼ全員が、こそこそと逃げ出す準備を始めたのかな。その第一号が、僕の批判と大阪地裁判決を受けて、今までの経緯には知らん振りして、赤松・梅澤弁護団への批判を始めたマンガ右翼・小林よしのりだつたのかも知れないが……。それにしても不思議なのは、「これで裁判はひっくり返せる……」「この裁判は勝ったようなものだ……」「何故なら決定的な新証言者・宮平秀幸の新証言が発掘されたからだ……」と大騒ぎしていた赤松・梅澤弁護団サイドの面々は、何故、宮平秀幸新証言者ではなく、いささか呆け始めているのではないかと思われる「秦郁彦大センセイ」を証人申請したのだろうか。何故、宮平秀幸新証言者を証人申請して、宮平秀幸証言なるものを、法廷で堂々と証言し、「軍命令はなかった……」と広く天下に知らしめなかったのか。むろん、それをしなかったのは、僕には、解りすぎるほど解っているが、今は隠しておこう。ところで、赤松・梅澤弁護団サイドの内部は、今、どうなっているのか、野次馬としては、そこのところを知りたいところだが、いつもはお喋りなダメ弁護士・徳永某君が、ダンマリを決め込んでいる以上、我々としては知るよしもない。ここでは、そんな問題よりも、この「沖縄集団自決裁判」そのものの仕組みについて、つまりこの裁判の仕掛け人とその周辺の弁護士達の動きについて復習しておこう。ダメ弁護士の徳永某が、手の内を曝け出して、意気揚々とこんな秘密まで書いている。徳永某が、保守論壇のスター気取りで、得意の絶頂にあった頃に書いたものだろう。

正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)

 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一

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提訴の決意


《非人間的な日本軍》という図式につながる《軍命令による集団自決》は、梅澤、赤松両隊長の人格を傷づけるだけにとどまらない。それは旧日本軍の名誉を損ない、ひいては日本人の精神史を貶める。


この裁判の提訴の陰にはシベリア抑留体験を持つ元陸軍大佐の山本明氏の尽カがあったことを記しておきたい。山本氏は、旧軍関係者の協カをとりつけるべく全国を奔走し、至る所で《隊長命令説》を刷り込まれた人々の無知と無関心の壁に突き当たった。ようやく接触を果たした梅澤氏も、当初、裁判には消極的だった。汚名を晴らしたいという切実な思いを持ちながらも、再び無益な争いの渦中に巻き込まれることをおそれた梅澤氏は、山本氏に「無念ですが、裁料はせず、このまま死んでいくことに決めました」と告げたのだった。真実を無視する「世間」に絶望していた梅澤氏には、家族を巻き込んでまで裁判に眺む意味を見いだせないようだった。


転機は、赤松元大尉の弟・秀一氏の決意によって訪れた。


京大工学部出身の秀一氏は、理系肌の穏やかな紳士である。『ある神話の背景』が世に出たことにより、敬愛する兄の冤罪は晴らされ、その名誉は回復されたものと信じていた。山本氏の仲介で面会した松本藤一弁護士から『沖縄ノート』が今も変わらずに販売されていることを聞かされた秀一氏は信じられないという顔をした。《軍命令による集団自決》が掲載された教科書の資料を渡されると、持つ手が震え、絶句した。しぱらくの沈黙の後、こう言った。「こんなことがまかりとおっているとは知りませんでした。不正を糺すのに裁判が必要なのでしたら、私が原告を引き受けます」。


法廷で意見を陳述した秀一氏は、提訴の動機をこう語った。


「本土防衛の犠牲となった多くの沖縄の方々のためならと、汚名を忍ぶことで年金が給付されるならと、敢えて沈黙を守った兄の気高い心情が踏みにじられていると感じました。名状し難い心の痛みとともに、虚偽がまかりとおる今の世の中に対して強い怒りを覚えました。兄の無念を晴らし、後の世に正しい歴史を伝える為にもと今回の提訴を決意しました」

秀一氏の決意は、山本氏によって梅澤氏に知らされた。梅澤氏は「そしたら私もやらんといかんな」と呟いた。やがて梅澤氏の提訴の意向が松本弁護士に伝えられ、松本弁護士とともに靖國応援団を組織して闘ってきた稲田朋美弁護士、大村昌史弁護士、そしてわたしを中心に弁護団が結成され、裁判の準備がはじまった。提訴の約一年前のことだった。

えっ、稲田朋美さん、あなたは最初からの主力弁護団の一員であったわけですか。ということは、常識的に考えれば、逃げたくても、逃げるに逃げられない立場のはずだが、さっさと逃げ出したところを見ると、とても「日本人の品格」だの、「国家の品格」だの、「女性の品格」だの、まあーどうでもいいけれども、保守論壇の面々が大好きなキーワード「品格」とは無縁の女性のようであることがわかる。さすがに、新自由主義を標榜する小泉チルドレンだけのことはある。「後は野となれ、山となれ。」といことだろうか。思わず、「逃げるな!!! 稲田朋美!!!」と叫びそうになった小生だが、「日本人の品格」を重んじる小生としては、そこをじっと我慢しているところである。「逃げるな!!! 稲田朋美!!!」……。さて、以上は、半分、冗談だが、この徳永論文には、聞き捨てならないことが、書かれている。というのは、この「沖縄集団自決裁判」の仕掛け人の大元が、実は元帝国軍人で、さらに戦後も自衛隊幹部だった「山本明」だという記述である。つまり、この裁判が提訴されるまでには、「シベリア抑留体験を持つ元陸軍大佐の山本明氏の尽カがあった……」というわけである。さらに言うならば、梅澤裕も赤松嘉次も、あるいは遺志を継いだ赤松嘉次の弟も、当初は裁判闘争に乗り気ではなかったらしいことである。当然だろう。大江健三郎の『沖縄ノート』もろくに読んでいないらしいし、またちょっと読んでみたが、意味不明だったというようなことを法廷で証言してしまっているのである。いずれにしろ、裁判に乗り気ではなかった梅澤裕や赤松嘉次、赤松嘉次弟を、裁判闘争に巻き込んだ張本人は「山本明」だったということであり、その山本明の意向を組んで駆け回ったのが、徳永某や稲田朋美等の弁護士グループであったということであろう。山本明は、先日の控訴審でも、藤岡信勝秦郁彦、中村あきら等とともに裁判の傍聴に駆けつけたらしいが……。さて、以下は、大阪地裁に提出された、徳永某、稲田朋美等が名を連ねている「原告準備書面」と「訴状」である。とくと御覧いただきたい。(この稿、続く)