文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ダメ弁護士・徳永某が「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」というような妄言の垂れ流しているようでは、二審も最高裁も無理でしょう。

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僕が、ダメ弁護士・徳永某にこだわるのを不思議に思う人もいるだろうから、少しその根拠と理由を説明しておこうと思うのだが、余りにも馬鹿馬鹿しい話なので、説明しようという気力がなくなっていくのだが、しかしここは、説明をはぶいたら、何が何だかわからなくなる可能性が高いので、あえて気力を振り絞って、僕が、ダメ弁護士・徳永某にこだわる根拠と理由について、簡単に説明しておこうと思う。もちろん、ダメ弁護士・徳永某とは、「沖縄集団自決裁判」の原告側弁護団の一人で、この大江裁判騒動の初期から仕掛け人の一人であった徳永信一である。徳永信一の名前を、僕はつい最近まで知らなった。僕が徳永信一の名前を知ったのは、徳永が、僕の「月刊日本」「琉球新報」「週刊金曜日」等に掲載した一連の「沖縄集団自決裁判」批判の論文や対談に対して、執拗に批判し罵倒している文章を、編集者経由で、読んだ時からである。正確には分からないが、「正論」3月号や「国民新聞」(4/25)等で、徳永は、小生を名指して批判し、「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」「山崎行太郎こそ、『沖縄ノート』も読んでいない!!!」などと、こちらが心配になるような初歩的ミスを繰り返しつつ、とんでもない言い掛かりをつけて、小生の「名誉」を毀損している。これが、「名誉毀損」裁判を仕掛けた弁護士のやることか!!!とも思うのだが、まあ、小生の「名誉」など風が吹くと飛んで行ってしまうようなささやかなものだから、どうでもいいが、その発言の中身については、まったくのデタラメなので、文筆業者としては素人だから過剰に反応するのは遠慮したいと思って無視・黙殺していたところだが、それを敢えて、今、このタイミングで、つまり二審高裁の「秦郁彦証人申請棄却」という目も当てられないような冷たい喜劇的仕打ちで意気消沈し失望落胆しているはずのこの最悪の機会に、追い討ちをかけて崖から突き落とすかのように、昔の発言を穿り返して、「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」等と、今となっては小学生も言わないようなことを平気で言う、ダメ弁護士・徳永某の無責任な言動とその知的欠陥を追及しておきたい。さて、今、僕の手元にあるのは、「国民新聞」(4/25)というマイナー新聞に掲載された「不当判決にみる山崎行太郎のお粗末と大江健三郎の黄昏」という徳永某の書いたトンデモ作文である。しかも、この小学生も驚くような幼稚・稚拙な作文の小さな見出しには、「山崎行太郎が擁護した大江健三郎の世迷い言」「山崎の呆れたテキスト批評」等とも書いてあるわけで、ここまで執拗に小生の名前を連呼していただいて感謝感激といきたいところだが、その中身が、あまりにデタラメなので、感謝感激ばかりしているわけにもいかないのだ。徳永某は、こう書いている。

あまりの偏向判決に、憤懣やる方ないが、ここでは、山崎行太郎なる自称保守評論家がこの裁判を批判した論評に対して反論したい。それは、『月刊日本』一月号に掲載された「月刊・文藝時評」に始まる。山崎は、この裁判は、『ある神話の背景』を書いて隊長命令の虚構を明らかにした曽野綾子が、『沖縄ノート』を誤読したことに始まるものであると主張したのである。(中略)
断っておくが、曽野綾子の著書や文章のなかにそのような誤字、誤読はどこにもない(引用やインタビュー記事など他者が文責を有する文章に散見するだけである)。他人による瑣末な引用ミスを針小棒大に騒ぎ立てて問題をすり替えるまやかしだ。(中略)
山崎は、そんな大江の世迷い言をテキスト批評の見地から擁護すると宣言し、保守派の論客たちや弁護士さえも、曽野綾子の誤読に影響され、『沖縄ノート』を読んでいないと断言する。(中略)
山崎は、「愚かな保守より、優秀な左翼から学ぶべし」を持論とするそうだが、テキストも読まずに、大江のまやかしを鵜呑みにし、その仕掛けにまんまと嵌まるという間抜けを演じたのだ。曽野綾子が論破した沖縄タイムスの『鉄の暴風』ではなく、『沖縄ノート』を提訴したことに、「明らかな不純な動機が見え隠れする」とまで言い出す始末である。(国民新聞)

なかなか威勢のいい作文だが、威勢がいいだけで、その中身となると、これがちゃんと司法試験に合格したマトモな弁護士の書くものかと思わせるような、まったく知性も教養も、そして実証的な調査能力も知的分析力も感じさせない、穴だらけの作文で、他人事ながら、これでこれから先、弁護士稼業が務まるものなのか心配になるほどだが、しかしこの程度のお粗末な頭脳の持ち主でも、立派に弁護士稼業が務まっているようだから、日本の弁護士制度というものも、その程度のものなのだろうと推察する次第である。さて、ここに徳永某が書いていることは、すでにこのブログでも、また雑誌論文や対談でも、何回も書いてあることなので繰り返さないが、ただ一つだけ、ポイントだけは確認しておきたい。これは、控訴審、つまり二審においても、「秦郁彦証人申請却下」という結果が出たこととも関係していることであって、聞けば誰でもが即座に理解できるような、実に初歩的な間違いで、未だに原告側弁護団の主要弁護士が、その間違いを理解していないということは、やはり控訴審だけではなく、最高裁でも手痛い門前払いを食らわせられるだろうと推察する。お気の毒である。徳永某は、自信満々に、「断っておくが、曽野綾子の著書や文章のなかにそのような誤字、誤読はどこにもない(引用やインタビュー記事など他者が文責を有する文章に散見するだけである)。他人による瑣末な引用ミスを針小棒大に騒ぎ立てて問題をすり替えるまやかしだ。」と、今でも信じているのかどうか知らないが、少なくともこの「国民新聞」の作文を書いた段階では、あるいは二審で秦郁彦を証人申請した段階では、信じていたと見て間違いないだろう。大阪高裁の裁判官が、秦郁彦の証人申請を、秦郁彦の「諸君」二月号論文と同じだから証人申請は必要ない、故に却下する……としたのは、言うまでもなく、秦郁彦もまた、「曽野綾子の著書や文章のなかにそのような誤字、誤読はどこにもない」という立場を未だに主張し、その説を維持しているということを、その「諸君」二月号論文から知っていたからだろう。ちなみに秦郁彦は、その「諸君」二月号論文を、そのまま、なんら訂正することなく、最新作の論文集の巻頭に掲載しているわけで、それは秦郁彦が、未だに「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」と確信しているということである。さて、徳永某は、本気で、「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」と確信しているのだろうか。おそらく、お気の毒にも、未だに確信しているのだ。それだからこそ、わざわざ沖縄にまで出掛けて行き、徳永某大講演会なるものを執り行い、恥知らずにも、堂々と、「曽野綾子・誤字誤読事件はなかった!!!」と連呼することが出来るのである。しかも、「誤字、誤読はどこにもない」と言った後で、愚かにも、こんなことまで言っている。「引用やインタビュー記事など他者が文責を有する文章に散見するだけである」「他人による瑣末な引用ミスを針小棒大に騒ぎ立てて問題をすり替えるまやかしだ」と。徳永某よ、お前は本気か。正気か。しかも何を血迷ったか、あるいは狂っているのか、呆けているか知らないが、徳永某は、こんな、とんでもない言論弾圧まがいの編集主幹への脅迫と恫喝まで、行っている。

月刊日本』は、二月号でこの自称保守評論家の「「沖縄集団自決裁判」騒動に異議あり!」を掲載し、左翼系ブログのプロパガンダそのままの裁判批判に加担し、三月号では、なんと「保守思想の劣化を憂う」と銘打ち、佐藤優を巻き込んで山崎と対談させている。企画した編集主幹の責任は重大である。

徳永某よ、小生と佐藤優との対談の題は、「保守思想の劣化を憂う」ではない。「憂うべき保守思想の劣化」だよ。日本語も読めないのか。ちなみに、聞くところによると、大阪地裁の段階では30数名いた原告側訴訟代理人が、大阪高裁の控訴審では稲田朋美を筆頭に、いかなる理由からかは知らないが、ほとんど逃げ出し、驚くべきことに、わずか6名に激減し、法廷の傍聴人の数も、地裁の傍聴人の数とは違って、微々たるものだったそうであるが、こういう無知蒙昧な、「曽野綾子誤字誤読事件はまぼろしだった!!!」というような、日本語もろくに読み取れないような、ダメ弁護士が主導する裁判や法廷に、誰が好き好んで協力するものか。稲田朋美でなくとも、逃げ出したくなるのも当然というものだろう。わかったか、徳永某よ……。先ず、日本語の勉強からやり直したまえ。それから後なら、いつでも相手になってやるよ。(この稿続く)



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