文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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マンガ右翼・小林よしのりへの宣戦布告。(「月刊日本」5月号)……マンガで「政治」や「歴史」を語る「マンガ右翼・マンガ保守」の時代は終わった!!!


以下は、「月刊日本」5月号掲載の「マンガ右翼・小林よしのりへの宣戦布告。」の全文である。



●マンガ右翼・小林よしのりへの宣戦布告。
……マンガで「政治」や「歴史」を語る「マンガ右翼・マンガ保守」の時代は終わった!!!




■自称「保守思想家」たちは、何故、逃げるのか?
「沖縄集団自決裁判」は、予想通りにというか、予想外にというか、被告側の大江・岩波サイドの全面勝利、原告側の元軍人の完敗に終わったようだが、私は、元々、この裁判の前提そのものに批判的なので、つまり「歴史の真実」をめぐる論争を法廷に持ち込み、裁判官に判定してもらおうという発想そのものに批判的であり、また同時に今回の名誉毀損裁判は、大江健三郎という名誉毀損の当事者とも思えないスケープ・ゴートをでっち上げて、法廷に引き摺り出し、一種のリンチ裁判を試みようとしたもので、この名誉毀損裁判そのものが見当違いの裁判であることは明らかであり、したがって私は、この判決を勝利とも敗北とも思わない。この判決で明らかになったことで、私がもっとも関心を持ったのは、この裁判を支援してきたと思われる一部の保守論壇の思想的レベルの低さと、思想闘争や言論戦への戦略の幼稚さが、白日の下に曝け出され、暴露されたという事実だけである。
ところで、私は、数年前に、具体的に言えば、小泉純一郎政権の時代だが、その頃、小泉純一郎が総理総裁という日本国民としての最高の名誉あるポストについていながら、通俗的な大衆歴史小説を引き合いに出して、それを歴史的教訓にするかのように、安直に現在の日本の政治や歴史を語るのを見て、つまり政治経済システムの「構造改革」というような日本国家の運命や国民の生命財産の行く末に直結するような大問題においてさえ、たとえば「信長」や「戦国時代」「武将」「米百俵」というような歴史的キーワードを駆使・乱用して語るのを見て、これは「思考の幼児化」や「思想の単純化」、あるいは「言論のメロドラマ化」を伴っているが故に非常に危険だと思い、「平成の政治家たちよ、大衆小説で政治や歴史を語るなかれ!!!」というエッセイを、某誌に書いて、通俗小説や通俗漫画に描かれている歴史的人物にまつわる紋切り型の「物語」に洗脳され、それを教訓として模倣・反復することの危険性を説いたことがあるが、今回、「沖縄集団自決裁判」をめぐる言論思想情況を観察していて、あらためてその問題を実感した。今まさに、日本の思想言論情況は、特に保守・右翼論壇の言論思想状況においては、通俗小説や通俗漫画的なレベルの思考や思想が蔓延し、それが、あたかも最新のもっとも過激な思考や思想であるかのように持て囃されているという情況にあることは間違いない。
たとえば、小林よしのりという漫画家がいて、小学生にも分かるような「ゴーマニズム宣言」なる面白おかしい政治漫画を、「SAPIO」という雑誌に連載しているが、そこが、今や、保守思想や右翼思想、あるいは保守論壇の思想的な発信基地のような様相を呈しているように見受けられるわけだが、しかしそれこそがまさしく、現代日本の保守陣営の思想的貧困と思想的停滞を象徴していると言わざるを得ないだろう、と私は考える。最近は、「ゴーマニズム宣言」においては中島岳志西部邁等をも巻き込んで、東京裁判の判事として知られる「パール問題」が取り上げられているが、しかもどちらかと言えば、正統派の知識人であり文化人であるはずの中島岳志西部邁の方が、この「パール問題」では、マンガ家の小林よしのりに理論的に論破された上に、激しく批判・罵倒された挙句、負けを認めたかのように逃げ腰になっているという展開になっているらしいが、それは、小林よしのりの左翼思想批判や左翼論壇批判を論破できずに、小林よしのりのマンガに振り回されている左翼論壇や左翼ジャーナリズムを含めて、現代日本の論壇やジャーナリズムが、文字通り「マンガ以下」のレベルにあることを証明しているわけで、まことに由々しき事態と言わなければならない。何故、中島岳志西部邁等は、小林よしのりに論戦を挑み、徹底的に論破して、保守思想はマンガではない、と反撃できないのか。中途半端に逃げたり和解したりしようとする「逃げるが勝ち」的な思想的態度こそは、「保守思想家」を自認しているらしい中島岳志西部邁等が、自らの保守思想のレベルを、「マンガ以下」のレベルと是認したことになるのではないのか。


小林よしのりの「宣戦布告」と「逃亡宣言」をどう読むか。
さて、本題に入ろう。私は、昨年末以来、数回にわたって本誌で、「大江健三郎裁判」とも呼ばれる「沖縄集団自決裁判」に関する論を書いてきたが、そこで私が主張したことは、「沖縄集団自決裁判」における保守陣営側の思想的貧困と思考力の欠如、勉強不足等……、主に「保守論壇批判」「保守思想批判」であったが、その私の批判の矛先は「沖縄集団自決裁判」関連の中心人物たち、特に曽野綾子秦郁彦渡部昇一等に向けられていたわけだが、むろんその傍らに、『沖縄論』等の著書もあり、最近は沖縄の新聞ジャーナリズムを「全体主義」と呼び、批判・罵倒している小林よしのりの名前もあった。私は、曽野綾子秦郁彦渡部昇一等の反論や反批判を期待していたが、曽野綾子の沈黙が象徴するように、何処からも反論はなされなかった。ところが、意外なところから、しかも名指しで「宣戦布告」ともとれるような激しい反撃予告が来た。私は、曽野綾子を初めとして私が名指しして批判した保守論壇の面々が、ことごとく沈黙し、嵐が過ぎ去り、世間が忘れ去るのを待っているかのように、ただひたすら無反応を貫き、何処からもまともな反論が帰ってこないのに、半ば失望し落胆しそうになっていた頃であったので、この話を編集者経由で聞かされた時には、不覚にも感涙に咽ぶとまではいかなかったが、ちょっと感激してしまったくらいであった。小林よしのりの宣戦布告は、正確にはこんな文言であった。
≪「よしりんは『月刊日本』1、2月号の山崎行太郎氏の『沖縄集団自決論文』に怒っているそうです。折をみて大反撃すると言ってます。(担当編集)」。≫(「SAPIO」3/26)
というわけで、小林よしのりの「大反撃」を期待しつつ、小林よしのりの沖縄関係の著書やマンガ、論文類を古書店などで集めつつ、「喧嘩を売られて逃げるのは保守思想家の名折れだ……」というわけで、ブログで少しずつ「小林よしのり批判」を開始していたところ、なんと、最近の「SAPIO」(4/16)で、アシスタント(「トッキー」)の忠告によると、「山崎行太郎は『イタイ人』らしいから、相手にしても仕様がない……」、「山崎行太郎の売名行為に付き合うつもりはない……」というわけかどうか知らないが、いかにも「負け犬の遠吠え」らしい、もっともらしい屁理屈を並べ立てて「逃走宣言」を出しているのを読んで、失望・落胆し、一世を風靡したマンガ右翼、マンガ保守の小林よしのりもここまで堕ちたかと思った次第である。小林よしのりの「負け犬の遠吠え」を正確に記しておこう。
山崎行太郎って評論家が、琉球新報にわしの名を出して批判していた。あの新聞はわしの批判・中傷は何回でも載せるが、「小林さんの反論は一回きりにさせていただきます」と言った新聞。だから『ゴー宣』でやってやろうかと思ったが、トッキーが「ブログを見たらイタイ人だからやめろ」と忠告。だったら逃げる。負けました。さいなら〜〜〜。≫
ここで、小林よしのりが、問題をマンガ家特有の「お笑い」で誤魔化そうとしていることは明らかだが、私は、別に小林よしのりが、論争から逃げようと隠れようとどうでもいいのだが、しかし、小林よしのりが、「SAPIO」連載の「ゴーマニズム宣言」の欄外に、「担当編集」や「アシスタント」の名において、書き留めた二、三の「言葉(暴言)」を、黙ってそのまま甘受するわけにはいかない。そもそも、最初、「月刊日本」の「沖縄集団自決論文」と名指しておきながら、「逃走宣言」では問題の論文を、「琉球新報」の連載エッセイにすり替えているという卑怯なレトリックを使っている。いずれにしろ、小生が、本誌「月刊日本」に書いた「沖縄集団自決裁判」論の意義を否定し、冒涜するかのように、つまり「こんな論文はいつでも簡単に論破できる」とでも言うかのように、自信満々に「宣戦布告」しておきながら、後でよく調べたら形勢不利を見越したのかどうしらないが、こそこそと逃げるというのならば、今度は「喧嘩を売られた……」側である小生の方から、「逃げるな、小林よしのり!!!」というわけで、むろん、小林よしのりからの反論も反撃も期待もしていないが、敢えて正式に「宣戦布告」(笑)する次第である。要するに、形勢不利と見越して、「論争から逃げるような打算的な保守思想家に保守思想家を名乗る資格はない!!!」、そんな小賢しい自称・保守思想家等に、「負け戦を覚悟の上で、敢えて死地に向かって突撃・出撃した特攻隊の精神など分かるわけがない!!!」ということである。


■マンガ右翼、マンガ保守と言えども、放置するわけには行かない。
ところで、小林よしのりは、小生との論争からは逃げたが、「沖縄集団自決裁判」の判決については、「SAPIO」(4/23号)に、「緊急発言……裁判官の『無知』、そして大江健三郎氏と朝日新聞の詭弁……」「これが間違いだらけの集団自決をめぐる『沖縄ノート』判決(3月28日)の正体だ」……というタイトルや見出しはなかなか威勢がいいのだが、裁判が原告側の完璧な敗北に終わったためか、中身は「愚痴」と「八つ当たり」と「言い訳」ばかりで、小林よしのりの哀れな「惨敗宣言」としてしか読めない代物を発表している。しかも、裁判に負けたとたんに、どちらかと言えば小林よしのりの同士であり、仲間だったはずの「大江裁判」闘争の仕掛け人や、原告側の元軍人、弁護士、応援団にまで八つ当たりする始末である。曰く、「『沖縄ノート』に関する名誉毀損裁判は、まず右派がイデオロギーや運動のためにやっているのではないかとという点に疑問を感じる」……、「むしろ梅澤隊長が本当に名誉を回復したいと願うならば、『沖縄ノート』の元資料となった『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)を訴えるべきだ」……、そして挙句の果ては、「そもそも、右派なり保守派なりが歴史認識を裁判によって決着させること自体がおかしい」……と、完全な仲間割れ発言というか、一種の裏切り発言のオンパレードである。ここにも、負け戦とわかると、一番先に逃げ出す小林よしのりという「マンガ右翼の正体」が露呈していると言っていい。
しかし、本誌の読者ならよくご存知だと思うが、ここで小林よしのりが主張していることは、なんと、私が本誌「月刊日本」に掲載した「保守論壇の『沖縄集団自決裁判』に異議あり!!!」や、佐藤優氏との対談「憂うべき保守思想の劣化!」等で主張したことばかりではないか。小林よしのりの沖縄論のメイン・テーマであった、集団自決は沖縄住民の家族愛による自主的な行動であるという「家族愛」論も、沖縄の村落共同体特有の「同調圧力」論も、あるいは軍の圧力や強制を撥ね退ける主体性があったはずだ、という「沖縄住民主体性」論もない。これでは確かに小生とは論争になりようがない。ほとんどパクリと盗作……と言っても過言ではない。それとも小林よしのりは、以前からこういう主張をしてきたのだろうか。いずれにしろ、前言を、訂正も謝罪もせずに、形勢不利と見越すや、仲間を裏切り、にわかに「中立派」を装い、ずるがしこく逃げ延びようとする卑怯な態度は、たとえそれが「お笑い」を武器とするマンガ右翼、マンガ保守と言えども、放置するわけには行かない。私が、逃げるマンガ右翼・小林よしのりへ、「マンガで『政治』や『歴史』を語る『マンガ右翼・マンガ保守』の時代は終わった!!!」ことを思い知らせるために、敢えて「宣戦布告」する所以である。