文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

『沖縄ノート』裁判にみられる「保守論壇」の目もあてられない劣化。

山崎行太郎 vs 石山久男 (歴史教育者協議会委員長)
(本稿は「週刊金曜日」3/21号に掲載された対談に若干の修正を加えたものです。)


●ちなみに、この問題に関して、「大江裁判」原告側の弁護士・徳永信一、および黒田秀高(伏見稲荷禰宜)が、「国民新聞」に、小生の論文に対する、批判にもならないようなレベルの低い批判・反論記事を掲載しているようだが、話にならない。曽野綾子の「誤字誤読」事件はたいしたことではない、ということらしいが、これは「ネット・イナゴ」(笑)、こと池田信夫同様に、「恥の上塗り」である。曽野綾子が、「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と「誤字・誤読」したことが、たいしたことではないとすれば、そもそも大江健三郎の「名誉毀損」裁判そのものが、成り立たないわけではないのか。もっと勉強してから反論なり、なんなりと、してくれ、と言いたい。小生の書くものを指して、「自己顕示欲」「大言壮語」だとか、「自称○○○」だとか、ネットに氾濫しているガセネタ情報を鵜呑みにして、これまたネットイナゴ氏、池田某と同様に、小生を批判・罵倒したつもりのようだが、何処まで調べて書いているのか。お里が知れるというものである。小生が、マスコミでの発言よりも、ネットやブログでの発言を重視していることを、「自己顕示欲」の強い「素人」と勘違いしているだけではないのか。何故、曽野綾子が黙ったのか。何故、「SAPIO」が、判決後、池田某と曽野綾子の対談を載せないのか。何故、マスコミが、小生の論文に注目するのか。徳永某も黒田某も、よく考えてみよ。徳永某も黒田某も、小生から見れば、「素人」以下であることは間違いない。相手して欲しかったら、もっと勉強せよ。無理だろうけど……。




山崎 この「沖縄集団自決裁判」の始まりは、曽野綾子さんが現地取材を基に書いた『ある神話の背景』という一冊の書物ですが、この本は、赤松元渡嘉敷島守備隊長や赤松部隊が提供した資料や情報に全面的に依拠し、しかも赤松部隊側を一方的に擁護するという政治的意図が濃厚で、歴史的実証性という観点からもまったく信用できない資料です。この本の宣伝文句として、曽野さんが大江健三郎さんの『沖縄ノート』(一九七〇年、岩波新書)を地道な実証的な現地取材を重ねることによって完膚なきまでに論破した、と言わていますが、よく読んでいくと、曽野さんは大江健三郎批判なんてほとんどしていません。一、二ページだけ申し訳程度に言及しているだけです。しかも大江さんの書いたものを、ものの見事に誤読している。また大江さんの『沖縄ノート』も、集団自決をメインテーマにした本ではありません。集団自決に触れているのは10ページ足らずです。だから、大江さんを被告席に座らせるという今回の裁判自体が成り立たないと僕は思っています。もし裁判をして名誉回復がしたいなら、大江健三郎ではなく、最初に「軍命令説」を記述した『鉄の暴風』の筆者・太田良博氏を告訴するのが筋でしょう。


石山 そうですね。裁判を傍聴し、同じように思いました。曽野さんは『沖縄ノート』を誤読している。この裁判は、集団自決(集団強制死)があった渡嘉敷島に駐留していた赤松嘉次陸軍大尉の遺族(弟の赤松秀一氏)らが起こしました。原告は、「大江さんが赤松大尉を罪の巨塊だ」と書いたことなどが名誉毀損にあたるという。大江さんは法廷で「罪の巨塊」について、日本軍という罪によって生み出された累々たる死体を差すと説明した。曽野さんはなぜか、「巨塊」を「巨魁」(悪者の頭領)と誤読しています。


山崎 そうです。完全な誤読です。僕は、当初、大江健三郎曽野綾子という二人の作家の法廷対決ということでこの裁判に純粋な文学的興味を持ちました。そして二人の本を読むことから始めたわけですが、熟読していくうちに誤字・誤読問題を初め多くの問題点に遭遇したというわけです。この本は何度か出版社を替えて発行されているのですが、最近では二年近く前に『沖縄戦渡嘉敷島「集団自決」の真実』と改題され、ワック(株)から出版されています。考えられないことですがタイトルも変わっていますね。売るためにはタイトルなんかどうでもいいというのですかね。しかもワック本では、「巨塊」がなんと「巨魂」になっています。巻末で解説を書いている産経新聞の石川水穂記者は「巨魁」と表記しています。この本を論拠に、裁判まで起こしているわけですから、こんな誤字だらけの本は回収して絶版にし、大江さんに謝罪をするのが出版ジャーナリズムのルールだと思います。


石山 そうですね。


山崎 曽野さんは、大江さんが法廷で証言する前後に二回、『SAPIO』(小学館)という雑誌で池田信夫氏を相手に怪気炎を挙げていますが、最初の対談では「罪の巨魁=赤松大尉」という前提で議論しています。ところが僕がその間違いをブログなどで指摘すると、次の号ではどうしたと思いますか。こっそり字を直してあった。


石山 それは訂正と明記して……。


山崎 いや、全然断りなしに、こっそり漢字だけ訂正していましたね。しかも大江証言後の対談では、曽野さんは「罪の巨塊」問題に一切触れていない。同じ雑誌で井沢元彦氏が大江批判を展開した文章の引用箇所でも、「巨魁」から「巨塊」へと読者に断りなしで直されています。その後、曽野さんは雑誌にコラムや連載を持っていますから、反論か釈明かするのかと思っていたら、反論も弁明もしていません。要するに、卑怯にも逃げているのです。
 結局、関係者が曽野綾子の『ある神話の背景』も大江健三郎の『沖縄ノート』も読んでいないことがわかります。その証拠に曽野綾子の犯した「罪の巨魁=赤松」という誤字・誤読のパターンを、赤松側の弁護士も、秦郁彦渡部昇一氏等もそのまま踏襲して、堂々と大江批判を展開しているんです。


石山 法廷でも、興味深い証言がありました。大江さんたちを訴えた原告の一人で座間味島の守備隊長だった梅澤裕さんが、大江さん側の弁護士から「あなたは『沖縄ノート』をいつ読みましたか」と昨年一一月に聞かれ、「去年」と言ったんです。裁判を起こしたのは二〇〇五年です。つまり、名誉毀損で訴える前には『沖縄ノート』を読んでいなかったと明らかにしちゃった。



宮平秀幸氏の新証言
山崎 曽野さんの大きなミスは現地取材主義を過信したことですね。沖縄に行って現地で聞き取り調査してみたら「軍命令があった」という証拠や証言は何一つ見つからなかった。逆に大江さんや『鉄の暴風』の太田良博氏等は現地取材をせずに二次資料や伝聞情報だけで書いているからダメだと言う訳です。だから『ある神話の背景』の歴史記述だけは信用できると言うのが通説ですが、体験者や目撃者の証言や告白だってそのまま信用できるわけではない。嘘や記憶違いがあるに決まってますよ。現に、曽野綾子さんだって、現地の旅館で富山真順という兵事主任に取材し、重大証言を得ているにもかかわらず、「そんな人には会った事もない」と家永裁判では偽証しています。富山真順は軍命令があった、と言う立場の人ですから、取材はしたが都合が悪かったから無視したのでしょう。曽野さんは、太田良博氏の『鉄の暴風』は伝聞情報だけで書かれているから信用できないと批判し断罪したわけですが、皮肉なことに太田良博氏との論争の過程で、太田良博氏の本も集団自決の体験者や目撃者からの直接取材を元に書かれていることが明らかになりました。あわてた曽野さんは、興奮して「太田氏は分裂症か」と罵倒しています。


石山 ええ。歴史の場合は当然、証人にせよ、資料にせよ、信頼できるか検証しないといけません。まして、集団自決の当事者で幸いにして生き残った方々はものすごい精神的な傷を負っています。凄惨な出来事ですから語れないことも多い。鵜呑みは危険です。


山崎 たとえば『産経新聞』など、ほとんどの保守系メディアが、今、「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な新証言が出たと大騒ぎしています。座間味村で民宿を経営する宮平秀幸さん(七八歳)が、「梅澤隊長が武器弾薬の提供を断り、『自決するな』『解散しろ』と言ったのをすぐ近くで聞いていた」と証言しているらしいですが、この証言も信用出来ません。自作自演の可能性が高い。僕は証拠資料を持っていますが、宮平さんは一九八七年ごろ、取材に来たノンフィクション作家の本田靖春氏に新証言とは矛盾するまったく別の証言をしています。問題の午後十時ごろには家族と一緒に家にいて、そこで集団自決の連絡を受け、家族と相談の上、そこから忠魂碑前へ向かった、と。本田靖春ルポを信用するならば、宮平秀幸氏が今回、証言している「自決するな」「軍隊は国民の生命財産を護るものだ」なんて梅澤隊長の大演説も作り話でしょう。本田氏にはそんな話は一言も証言していないです。
 今回の新証言は、宮平さんが資料や記事などを学習している内に自分の体験と学習記憶とを混同し、無意識の内に創作した「物語」でしょう。あるいは藤岡信勝や梅澤裕等と綿密な打ち合わせと情報交換の上で仕組んだ自作自演の猿芝居の一つでしょう。もしそうなれば、今回の「新証言」騒動は、保守論壇内の「古い保守派」の思想的レベルの低さを露呈した「一大スキャンダル」ということになりますね。


石山 興味深いですね。


山崎 曽野さんの著書に話を戻します。曽野さんは昭和四五年(一九七〇年)に、大阪千日前の「ホテルちくば」であった元赤松部隊の会合に参加し、そこで初めて赤松元大尉に会ったと書いています。そしてその時、隊員が書いた「陣中日誌」が配られています。曽野さんの歴史記述はほぼこの資料をそのまま踏襲しています。しかし、この「陣中日誌」は戦時中に書かれた資料ではありません。たとえば、少年処刑事件に関しては記憶になかったので後から書き加えたと筆者が告白している。朝鮮人軍夫の虐殺等についても住民が証言しているのにもかかわらず、それも記憶にないので書かなかったと言っている。「陣中日誌」自体が資料としてはかなり怪しい資料です。


石山 終戦から二五年経って作られたものは一次資料とは言えません。


山崎 面白いことに、元赤松隊員は自分たち行動を正当化しようと「陣中日誌」を曽野さん等に公開し、手渡したのでしょうが、冷静に熟読していくと、逆に赤松隊の恐ろしさと戦争犯罪の事実が浮かび上がってきます。女・子供を含めて一二〜一三人の島民をスパイと見做して次々に処刑し斬殺した事実を記述しています。僕は衝撃を受けましたね。


石山 それは曽野さんもちゃんと引用して全部書いていますからね。


山崎 戦闘中のことだから住民虐殺も集団自決も仕方がない、当然のことだ……ぐらいの認識なんでしょうね。汚名を晴らし名誉回復することが目的とはいえ、本を出版し、裁判に訴えることで赤松部隊の戦争犯罪的な所業の数々が、かえって全国に知れ渡ったわけです。日本兵による残酷な住民虐殺がある以上、集団自決を「殉国美談」にすることは出来ないでしょうね。
自民崩壊の予兆


石山 このデタラメな裁判の目的はなにかというと、やはり集団自決への日本軍の関与を教科書から削除させることでしょう。安倍首相(当時)の意向が強く働いたようです。


山崎 僕は保守派で自民党支持のつもりですが、小泉・安倍路線だけは最初から批判し続けてきました。一党独裁的なトップ・ダウン型の危険な恐怖政治だと判断したからです。小泉・安倍政権は国民的支持がないから選挙を恐れていたわけだし、選挙になると恐怖政治で、候補者を除名したり、支持団体締め上げたり、一方ではテレビや新聞を使った言論弾圧や情報操作で政権を維持しようとしました。教科書で思想コントロールをやろうとするのもその具体例です。これは保守の立場からも許せるものではないと思います。真理は一つだ、という一党独裁型のイデオロギー的統制国家は、国家論としても合理的ではないし現実的でもない。本来の保守は様々な意見を認め、論争し、協議していくものです。しかし小泉・安倍路線に追随し擁護する一部の旧保守派も、冷戦思想を引きずっているために、素朴な二元論を思考原理とし、「反中」「反韓」「反沖縄」、そして「親米」ですからね。要するに「反中、親米」なら思想的内容なんかどうでもいいという連中です。朝から晩まで中国と韓国・朝鮮、そして沖縄の悪口ばかり。保守論壇の思想的劣化もひどいものです。



石山 右にせよ左にせよ独裁はいけません。いろんな議論が自由に出て、国民が判断できる世の中でなくてはいけない。恐いのは、今回の曽野さんのように誤読を元にとんでもない物語を組み立ててしまう。そのような本が書店に積まれていますよね。


山崎 そうです。


石山 だから表向き、警察権力で統制することにはなってないけれども、言論界や報道が非常に偏った状況になっています。自主的に物事を判断できる状況がだんだん崩れてきている。そういうことがある時期続くと、日本のゆくえが非常に危うくなるんじゃないかと恐れます。


■「保守」の沖縄論
山崎 小泉政権時代に鈴木宗男さんや辻本清美さん、村岡兼造さんなど、次々に政治家が逮捕されましたね。これは自民党内の政治家たちへの見せしめであり、一種の恐怖政治ですね。除名か逮捕覚悟でなければ物が言えないような恐怖政治と言論弾圧が小泉長期政権の実態です。もちろんそれは新聞やテレビ、論壇にも影響を与えています。いま新聞やテレビも、そして論壇も権力や政権に迎合する発言ばかりで、自由にものが言えるような雰囲気ではないでしょう?全国津々浦々の国民の声なき声をうまく吸い上げ、それを表象し代行するのが自民党だったはずなのですが、今や言論弾圧や情報操作で国民の声を押さえ込む政党になってしまった。たぶん自民党は自滅していきますね。


石山 その傾向がみえますね。


山崎 集団自決問題だって、唯一の本土決戦の舞台となった沖縄住民の中から、ジワジワと自然発生的に生まれてきた物語なわけです。様々な体験や記憶や感情がそこに集約されている。「自決命令があつたか、なかったか……」なんてレベルの議論で解決できる問題ではない。曽野綾子さん等は、裁判闘争等を通して、沖縄集団自決を、イスラエルの「マサダ集団自決」のように、上からの国家主導の一元的な「殉国美談」に仕立て上げたいわけでしょうが、沖縄住民の記憶と感情がそれを受け付けないだろうと思います。僕は、そういう沖縄県民の存在感情を無視した運動には反対です。保守派に迎合するような証言をし始めた宮平秀幸氏も、「集団自決は尊厳死だった」なんて言っているようですが、誰かに洗脳されたのでしよう。
歴史調査や歴史研究を緻密に積み重ねていくことは必要ですが、それを悪用して、沖縄を、中国人や韓国・朝鮮人を見るよう民族差別的、侮蔑的なまなざしで見て、沖縄批判の国民運動を組織したり、沖縄住民の尊厳を踏み躙るような裁判闘争を仕掛けるなんて言語道断です。それこそ国家分裂、もしくは国家解体を誘発しかねないような暴挙だと思います。


石山 私は山崎さんとは違って、国家はもっと相対化して考えたほうがいいと思います。国が分裂するかどうかの前にやはり沖縄で生きてきた人たちの事実、感情的な部分もあるかもしれないけど、やはり具体的な事実に立った思いがあります。その事実をできるだけ掘り起こして、大事にして、沖縄だけじゃなく日本全体の人にも伝わるようにしていくことが大事じゃないかと考えます。


山崎 それはよく分かります。


石山 集団自決の問題は、いわゆる南京大虐殺とか「慰安婦」問題との対比で言えば国内問題なのですが、沖縄はとりわけ「国際化」し。米国とのかかわりも深い。沖縄の米軍基地は、アジアや世界各地への侵略的役割を担っています。沖縄の人たちが米軍基地に対してどういう立場を取るか。日本全体がそれを応援するのかしないのか。そういう視点も含めて考えたいなと思っているんです。


山崎 米国の日本政策研究所にチャルマーズ・ジョンソンという沖縄問題に詳しい日本研究者がいますが、その人の沖縄論を読むと、沖縄の米軍基地は米国の軍人にとって楽天地なのだそうです。そこは残された最後の植民地であって、治外法権の島だとも言っています。だから米国は沖縄を手放したくないのだ、と。日本の保守派は、東アジアの安全保障のために沖縄の米軍基地はどうしても必要だと言いますが、ホンネは、面倒な問題はぜんぶ沖縄という見えない場所に押し付けよう、ということでしよう。ジョンソンは、日本人は見て見ない振りをしているが、実際は沖縄を、「日本のゴミ捨て場」にしているとも言っています。


石山 ひどいですね。


山崎 チャルマーズ・ジョンソンはそういう現実認識を踏まえた上で、日本よ、苦しいかもしれないが、沖縄から米軍基地を追い出し、真に独立せよ、と言っています。僕もその意見に賛成ですね。米軍基地は東アジアの軍事バランスの上からも必要だ、だから沖縄の人は我慢しろという保守論壇の一部に根強い議論は、意味は分かりますが許せないですね。もう一つ、小林よしのり氏とか保守論壇の人たちが、太田實少将の「沖縄県民斯く戦えり、後世特別の御高配を……」という言葉を引用して、よく言うんですけど、沖縄は本土決戦もやったし、戦後は米軍基地もあって苦労を掛けているから、あたたかい配慮というか、同情を持って接しなくちゃいけないという議論があります。これもまったく無礼な話です。日本政府と日本国民は、沖縄問題に、同情や配慮からではなく国家や国民の義務として対処するべきです。


石山 配慮をしなければならない事情があるなら、その事情をなくすほうが先です。


山崎 そうです。だから、沖縄県民に米軍基地を我慢しろとか言うのだったら、米軍基地を東京の田園調布の曽野綾子邸の前にでも持ってくればいい。そうしたら我々は田園調布の人に同情し配慮してあげますよ。補助金も出してあげてもいいじゃないですか。


石山 原発を東京の真ん中につくれっていう主張があります。


山崎 論理を詰めていけばそういうことになりますね。そういう前提を踏まえた上で、曽野綾子さんを初めとする「軍命令はなかった」と主張する保守論壇の面々には、沖縄や集団自決を語って欲しいですね。


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