文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

曽野綾子氏の『ある神話の背景』の歴史記述は信用でき

ない。(1)

以下は、「琉球新報」に、三日連続の、連載コラム「保守論壇を憂う①」の一部です。

保守論壇を憂う(1)


山崎行太郎 (文藝評論家、埼玉大学講師)


私は、先月、「月刊日本」という、どちらかと言えば 日本の保守・右翼系のオピニオン雑誌に、「大江健三郎 裁判」とも呼ばれる「沖縄集団自決裁判」をめぐって、 「保守論壇の『沖縄集団自決裁判』騒動に異議あり!!!」 という論文を発表し、保守論壇や保守思想家たちの勉強 不足や思想的劣化現象を批判した。ここで、あらかじめ 断っておくが、私は、政治思想的立場としては保守派・ 反左翼派に属する人間である。それにもかかわらず、私 が大江健三郎を擁護し、保守論壇の面々を批判したのは 、ノーベル賞作家・大江健三郎を被告席に引き摺り出し 、大江氏の業績や人格を冒涜すことだけを目的としたか のような、この「沖縄集団自決裁判」に、同じく文学の 世界に生きる者として、あるいはかつて高校生の頃、「 大江文学」の愛読者であり、「大江文学」の影響で文学 や思想の道へ進むことを決断したという「大江健三郎体 験」を持つ者として、何か許しがたいような、「不純な もの」を感じたからである。それが動機で、私は、保守 論壇の面々が全面的に信頼し、これこそ「沖縄集団自決 」に関する決定的な歴史文献だと言ってもてはやす曽野 綾子氏の『ある神話の背景』を熟読し、厳密なテクスト ・クリティークを試みたのである。その結果、『ある神 話の背景』は歴史資料としても、また裁判資料としても 信用できないという事実を発見したのである。
いずれにしろ、『ある神話の背景』は、「沖縄集団自 決裁判」の原告側の法的根拠になっているだけではなく 、「沖縄集団自決裁判」の進展状況が文科省官僚達にも 影響を与え、結果的に「歴史教科書の書き換え」問題に も深い影響を及ぼしている重要文献である。もし、私が 主張するように、『ある神話の背景』の歴史記述そのも のに理論的な欠陥や矛盾があり、歴史資料として信用で きないとすれば、どうなるか。この本を論拠にして展開 されている「軍命令はなかった」という保守論壇の主張 や、大江氏の『沖縄ノート』を告発した「名誉毀損」裁 判の論理そのものが破綻するはずである。その結果、当 然のことだが、「歴史教科書書き換え」問題にも大きな 影響を与えずにはおかないはずである。
私見によれば、曽野氏の『ある神話の背景』の歴史記 述には、大江氏が「罪の巨塊」(モノ)と書いたものを、 「罪の巨魁」(ヒト)と「誤読」し、「誤記」したという 例や、取材対象の赤松隊長側が提供し、改竄された可能 性が高い文献「陣中日誌」を全面的に採用したり、赤松 氏を批判する文献や証言者達を激しく批判する一方で、 赤松氏や赤松隊員、あるいは赤松隊と最後まで行動を供 にした「巡査」や「女子青年団長」の証言を無批判的に 鵜呑みにするなどの例が示すように、学問的にも実証的 にも欠陥や矛盾が多すぎて歴史資料としての価値は薄く 、「沖縄集団自決裁判」の論拠となるべき文献としても 信用できない。「大江裁判」の原告である赤松氏や梅澤 氏を支援する渡部昇一氏や秦郁彦氏等、保守論壇の面々 にいたっては、未だに「大江氏は、赤松隊長を『罪の巨 魁』と呼んで、批判し冒涜した……」という曽野氏の「 誤字・誤読」をそのまま雑誌論文などで引用し、これこ そ名誉毀損の証拠だと騒いでいるというのが実情である 。驚くべきことだが、彼等が『沖縄ノート』や『ある神 話の背景』すらまともに読んでいないということは明ら かである。
しかるに、それまで、保守系ジャーナリズムは言うま でもなく、左翼進歩派系ジャーナリズムにおいてさえ、 曽野氏の『ある神話の背景』のテクスト・クリティーク や厳密な文献批判はあまりなされてこなかったように見 える。たとえば、本誌で昨年末に展開された「目取真俊小林よしのり」論争で、小林氏は、不用意にも、「軍 命令がなかったことは実証されている……」と言ってい るが、その「実証されている」という時の実証性の根拠 とは何なのか。おそらく小林氏は、それは、曽野氏が「 現地取材」に基づくと力説する『ある神話の背景』の歴 史記述だと言うかもしれない。あるいは集団自決の体験 者達、あるいは遺族年金給付手続きの関係者達の証言や 告白……。しかし、私が以下に示すように、それらの歴 史記述や証言や告白も、実証的根拠としては万全ではな いのだ。



曽野綾子氏の『ある神話の背景』の歴史記述は信用でき
ない。(1)