文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小林よしのりに告ぐ……マンガで政治を語る「マンガ保守の時代」は終わったよ。呑気に「宣戦布告」などしている場合か。やる気ならさっさとかかってこいや。逃げも隠れもせんよ。

昨日、マスコミ関係の某氏より連絡があり、小林よしのりが、僕が「月刊日本」1、2月号に書いた「沖縄集団自決裁判」関係の記事に激怒し、大反撃ならぬ大反論を「sapio」の「ゴーマニズム宣言」で準備しているらしいが、と前置きした上で、某氏としては面白半分というか野次馬気分でと言うべきか、笑いながら、「知っていますか」と聞いてきたのだが、僕には初耳だったので、「いえ、知りません」と答えたら、「機会があったら立ち読みで充分ですから、見といてください。面白いことになりそうですよ」と言うので、犬の散歩のついでに武蔵浦和の本屋で、大江健三郎が「罪の巨塊」と書いたところを「罪の巨魁」と誤解し、しかも誤植だか、あるいは編集者も校正者も気ががつかなかったのか知らないが、そのままその「罪の巨魁」という誤字を誌面に堂々と印刷していたのに、僕が誤字を指摘すると次号では、「誤字・誤植なんて関係ない」と池田信夫に言わせて、お詫びも何もないままに、知らん振りして、つまり読者が気付かないように、姑息にもこっそりと書き換えていた「sapio」……、その「sapio」に連載されている小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」を、文字通り「立ち読み」してきた。何回もページをめくってみたが、どこにも僕のことは出ていないので、新しい号が出て、問題の号はもう回収されたのかなと思い、諦めて別の本でも見てから帰ろうかな、と思ったその瞬間に、縦書きの「お知らせ」なる文章を発見した。欄外に、こんな文章が……「よしりんは『月刊日本』1、2月号の山崎行太郎氏の『沖縄集団自決論文』に怒っているそうです。折をみて大反撃すると言ってます。(担当編集)」。何、ご当人の書いた文章じゃないのか。わざわざ「編集担当」なんて書いて、あらかじめ逃げ道を作っておくつもりか。「いえ、あれは、「担当編集」が勝手にやったことでして……。」(笑)とかなんとか抜かして誤魔化すつもりじゃないだろうね。それにしても呑気な編集担当であるなあ。自分たちの雑誌が、曽野綾子大先生の貴重な対談記事だというのに、堂々と誤字・誤植を仕出かし、しかもそれに気に付きもしないで、堂々と印刷発売した上に、次号ではぬけぬけと、お詫びも説明もしないままに、コソコソと全部書き換えておくような姑息な事をしておいて、何が、「……怒っているそうです。折をみて大反撃すると言ってます。(担当編集)」」だよ。まず誤字・誤植事件とお詫びなしの訂正事件(↓↓↓)……を釈明し、曽野綾子大江健三郎に、そして読者に謝罪してから、そんなことはしてくれよ、なんてのは冗談だが、それにしても、この「担当編集」って誰なんでしょうね。いつもこんな調子で、欄外に顔を出す人なのか。別に興味はないけれど……。ところで話は変わるが、僕の学生時代の最大の愛読書は、これまであまり言わなかったが、実は江藤淳でも小林秀雄でも三島由紀夫でもなく、詩人で文藝評論家にして思想家の吉本隆明だった。ちょうど「言語にとって美は……」が完成し、「心的現象論」が同人雑誌「試行」に連載中で、一方では「吉本隆明全著作集」が刊行を開始した頃で、いわば吉本隆明ブーム真っ盛りの時代で、また吉本隆明の主宰する同人雑誌「試行」が新宿や池袋の大きな書店の店頭にうず高く積まれていた頃でもあるが、僕の年代で、少し政治や思想や文藝に興味のある人間なら読まない人はいないぐらいによく読まれ、しかも物凄い思想的影響力を持っている詩人思想家だった。ちょうどその頃のことだが、江藤淳吉本隆明が対談したことが何回かあったが、その時、「江藤さんと僕は、一周回って一致する……」とかなんとか吉本隆明が言った言葉は、そうか保守も革新も、また左翼も右翼も、超一流になれば一致して楽しく対話できるのか、右翼だ左翼だと対立してお互いに罵倒を繰り返しているような右翼や左翼は、単なる愚鈍で馬鹿な薄っぺらな右翼や左翼なのか……、というわけで、その言葉が長い間耳から離れなかった。僕が、「イデオロギーから存在論へ」というテーゼを自分の思想や文学の原点に位置づけているのは、江藤淳吉本隆明の対談のこの言葉からヒントを得ている。さて、ここで、僕が何が言いたいかというと、それは、超一流の詩人思想家である吉本隆明の「存在仕方」の問題である。つまり吉本隆明という詩人思想家の「生き方」の問題である。吉本隆明は、周りの先輩や友人や後輩達が、次々と大学に就職し、アカデミズムの世界へ異動して行くのを横目で眺めながら、吉本隆明自身は市井の貧しい一民間学者に徹し、一度も大学に就職することはなかった。むろん、大学に就職するだけの能力や業績が吉本隆明になかったわけではなく、能力や業績なら、どんな一流大学の大学教授よりもはるかに優れたものを持っているにもかかわらず、吉本隆明は大学教授という「生き方」を拒絶し、権力や組織からの抑圧や統制や干渉から離れて、つまり「宮仕え」を拒絶して自由奔放に言論活動が出来る在野の民間思想家の道を選択したのだった。むろん、僕自身に出来るかと言えばおそらく出来ないだろうとは思っていたが、吉本隆明のそういう生き方には深く感動し、吉本隆明という詩人思想家は、心底から尊敬でき、信頼できる詩人思想家であると確信していた。吉本隆明以後、文藝や思想の時代の流れは、吉本隆明を批判し乗り越えたと称する柄谷行人蓮実重彦の時代へと移っていくわけだが、そしてその流れは今でも続いているわけだが、僕の吉本隆明への敬愛と尊敬の念は今でもまつたく変わらない。さて、吉本隆明の著作の中で、僕が一番愛読し、熟読した本は、詩集と「初期ノート」と「情況への発言」である。とりわけ、僕が固執して、これこそ吉本隆明の代表作だと思いつつ、毎回毎回熟読玩味した文章は、「共同幻想論」でも「言語美」でも、また「心的現象論」でもなく、意外かも知れないが、つまりここが僕が他の普通の吉本隆明ファンや吉本隆明エピゴーネンと決定的に違うところだろうが、同人雑誌「試行」の巻頭に連載されていた「情況への発言」だった。昨年、江古田のブックオフで、吉本隆明の「情況への発言」の一部を納めた「情況」という本を見つけたので買つてきて、今は、パソコンの横において、書くのに行き詰った時や、考えることに疲れた時などは、リフレッシュと燃料補給の意味もかねて、パラパラとページをめくるようにしているが、なかなかいいもので、文字を眺めているだけで吉本隆明という大思想家の呼吸と気迫が伝わってくるのだ。ちなみに、この「情況への発言」は、最近、文庫でもシリーズで出始めている。では、何故、「情況への発言」なのか。それは、こういうことだ。僕は思想家や文学者を判断し評価する時の基準として、いつも、今、此処で、この事件やこの問題について、彼や彼女が、何を言うか、どう考えているか、そしてどう行動するか、という問題を重視しているからだ。原理原則論や本質論や総論も重要だろうが、やはり現実に目の前に突きつけられた現場の個別的、具体的な問題への対処と対応の仕方に、思想家や文学者の資質や才能や能力は、あるいは政治家や実業家でも同じだろうが、情容赦なく露呈するものだからだ。僕は、間違いや失敗を恐れて現場の言論闘争を拒絶して、誰も傷つかず、そして誰も大恥をかくこともなく、抽象的な原理論や本質論に逃げ、そこで高みの見物をしているような思想家や文学者を信用しない。僕が尊敬する思想家や文学者は、小林秀雄江藤淳三島由紀夫は言うまでもなく、丸山真男大江健三郎も、またドストエフスキーマルクスニーチェも、間違いや失敗を恐れることなく現場に飛び込んで行き、逃げも隠れも出来ないその現場でモノを考える思想家や文学者たちだ。その現場は労働現場や事件現場という意味での現場ではなく、思考の現場、言論の現場のことである。その典型的な、代表的な思想家、文学者が、吉本隆明なのだと僕は思っている。そしてその具体的な現場の言論闘争の記録が「情況への発言」なのである。僕が、ここに吉本隆明という思想家の本質と真髄があると言うのはそういう意味においてである。少し長くなったが以上は前置きである。以下が本論である。誰よりも才能と資質に恵まれ、また誰よりも膨大な業績を残しながら、大学教授や売れっ子ジャーナリストなどという安易な肩書きや生き方を拒絶して、あくまでも市井の貧しい一民間思想家として生き、そして晩年を迎えつつある吉本隆明という思想家を支えたものは、いったい何だったのだろうか。僕は、それが、吉本隆明がかつて力説していた「自立」ということだったのだろうと思う。大学や組織やジャーナリズムに身を売り渡すことは、自立の放棄でしかない、と吉本隆明は考えたのだ。そしてその具体的な実践の試みが「試行」という手作りの同人雑誌を、誰の援助も支援も当てにせず、あくまでも自腹を切って、しかもそれを延々と続けるということだったのだ。僕が、「試行」という同人雑誌に連載されていた巻頭エッセイ「情況への発言」に固執するのは、そこに書かれた文章は、他の何処の雑誌やメディアにも載せられないような、「危険で、下品で、醜悪で、そして本質的で、反権力的な……」文章(エクリチュール)だったからだ。これは、言い換えれば、吉本隆明が、ジャーナリズムやアカデミズムに依存している限り、御用学者とか御用文化人という言葉や、曲学阿世とか主人持ちと宮仕えとか言う言葉あるように、本質的に自由な言論は、自立したメディアを自分の手で、自分のゼニカネで確立しない限り、不可能だと考えいたということだろう。吉本隆明が、他のどのような思想家や文学者とも決定的に違うところは、そこなのだ。さて、僕は何回もやってみようかと試みたことはあるが、とても力量不足で、今、吉本隆明のようにやることは出来ない。その代わり、僕が、吉本隆明的な生き方の一つの方法として実践しようとしているのは、ネットやブログを使うことによるメディアの自立化という試みなのである。物を知らない無知無学な馬鹿な連中は、僕が、ブログを使ってやろうとしいることを、売れない無名の物書きが売名行為にいそしんでいるぐらいにしか考えていないようだが、とんでもない勘違いである。吉本隆明が、かつて目指していた自立メディアの確立が、つまりメディアの自立が、今やネット時代の到来によって、完璧ではないかもしれないが、かなりな程度に実現しつつあるということだ。たとえば、冒頭の問題に戻れば、小林よしのりごとき政治かぶれの漫画家に、喧嘩を売られた場合を考えてみよ。かつては、多くの人は対応すべきメディアを持たず、声の大きい発言に圧倒されるだけで、一方的に沈黙せざるを得なかったものだが、今や、どんな売れっ子ジャーナリストにも、どんな権力者にも、どんな馬鹿な漫画家にも、即座に反論し、反撃できるのだ。僕が、曽野綾子は言うまでもなく、小林よしのりごとき漫画家風情を、恐れない理由と根拠はそこにあるのだ。曽野綾子は、沖縄のジャーナリスト太田良博に対しては、太田良博が発言と反撃の場所としての自立的メディアを持っていなかったが故に、「アンタは分裂症か……」などという捨て台詞を残して一方的に勝利宣言できたかもしれないが、僕の曽野綾子批判に対しては、どんなに罵倒されようとも、一言の反論も出来ずに、屈辱的な沈黙に追い込まれ、結局は、天下に大恥をさらしたまま、言論闘争の現場から逃げざるをえなかつたということのだ。だから、小林よしのりよ、遠慮せずに、いつでも、何処からでもかかってこいよ。いつでも応戦してやるよ。僕の「主体性」において……。(続く)


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