文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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宮平秀幸の母・貞子の証言……。「家族全員で壕にいたが、伝令も来なかった……。忠魂碑前にも行っていない……」

(★「カン」様、情報提供ありがとうございます。確認してみます。)

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売り出そうとしてもなかなか売り出せないで悶々としているらしい新証言者・宮平秀幸だが、宮平秀幸関連の新しい資料が見つかったと、読者から情報提供があったのでお知らせしておこう。新しい資料とは宮平秀幸の母、秀子が残している証言記録である。何処にあるかはしばらく伏せておくが(笑)、そこで秀子は、問題の米軍上陸前夜の事を細かく証言しているらしい。たとえば、その夜は、「家族全員、壕の中にいた……」「伝令は来なかった……」「忠魂碑前には行っていない……」「宮平秀幸が祖父母の手を引いて避難した……」と。ここに出てくる秀子が、宮平秀幸の母親かどうかは確言出来ないが、もしこの秀子という女性が宮平秀幸の母だとすると、宮平秀幸の証言と食い違っていることは明らかであって、宮平秀幸が嘘をついているか記憶違いをしている可能性はさらに高まる。つまり、本田靖春への証言や毎日新聞への証言にも嘘や記憶違いが多いということがわかる。さて、宮平秀幸一家について、宮平秀幸新証言をチンドン屋のように、鉦や太鼓で持て囃す藤岡信勝はこう書いている。

◆宮平さんはなぜ証言を決意したか

宮平秀幸さんは昭和五年1月10日、座間味島で父・宮平秀松と母・貞子の間に生まれた。梅澤隊長は軍命令を出していなかったことを後に証言した宮城初枝は腹違いの姉、秀幸さんは初枝の弟にあたる。秀幸さんのきょうだいは姉の初枝と、母を同じくする6人の兄弟姉妹からなる。ただし、初枝は母に連れられて実家に帰っていたから、秀幸さんと初枝は同じ家に住んで育ったわけではない。ただ、秀幸さんの家と初枝の家は隣同士だった。初枝の手記に登場する美恵子は、初枝とは父が異なる同腹の姉妹である。このあたり初枝の家庭事情は複雑だが、本筋に関係ないからこれ以上立ち入らない。

秀幸さんの父・秀松は秀幸さんの生後10ヶ月の時、南洋のトラック島に鰹漁に出かけた。秀幸さんが物心ついたころ、母も父のもとに行くことになったので、秀幸さんは主に祖父母に育てられたといってもよかった。祖父母の愛情を受け、たいそうかわいがられた。秀幸さんは間違ったことを嫌うまっすぐな性格に育った。

秀幸さんが14歳の昭和20年1月1日、座間味で郷土防衛隊が組織され、秀幸さんもその一員となった。同月10日には15歳になる。彼はいつしか梅澤隊長の本部付きの伝令員をつとめるようになった。といっても、防衛隊は法的根拠のないもので正規の日本軍の一部ではないから、伝令員としての正式の辞令が出たわけではない。ただ、機敏で現地の地理に詳しい少年が重宝がられたことは確かであろう。

宮平秀幸は、問題の時刻に何処にいたのか。日本軍の壕の前で宮里助役や梅澤隊長のやり取りを、二メートルの至近距離で聞いていたと証言しているが、それは本当なのか。宮平秀幸の母親の証言によると、祖父母、宮平秀幸少年(15)、妹、弟と家族一緒にいた宮平一家の壕には伝令も来ていないし、当然、忠魂碑前にも行っていないうことのようだが、はたして真実はどうなのか。宮平秀幸少年は、祖父母の手を引いて……、と母親は、証言しているようだが……。とすれば、宮平秀幸は忠魂碑前にすら行っていないのでは……。母親の証言記録を要約すると、以下のようになるらしい。先ず家族関係について。

●宮平貞子「死んではいけない」


●家族構成 
夫が兵隊に行っており、沖縄戦当時の家族は、貞子、舅と姑、23歳の長女、15歳の3男(宮平氏?)、5歳の娘、3歳の息子

これを見ると、この貞子という女性が宮平秀幸の母親であることはほぼ間違いないのではないだろうか。とすると以下の証言も、ほぼ宮平家の「歴史の真実」と見て間違いないだろう。宮平秀幸は、母の貞子が、こういう証言をしていることを知らなかったのだろうか。おしゃべりな語り部宮平秀幸語り部人生もこれで終わりだろう。それにしても藤岡信勝秦郁彦の歴史的実証性の欠如はひどいものだ。こういう人たちが南京論争もやっていたのかと思うと、愕然とする。宮平秀幸の母親の問題の一夜の証言……。

●3月25日 
シンジュの家族壕に家族全員でいた。前の壕にいた人から米の配給があると聞いたがが、伝令は来なかった。そのため、ほかの家族は忠魂碑前に行っていたが、自分の家族はいっていない。
→大和馬の整備中隊の壕→高月、おじいおばあは三男が手を引くようにして歩いていた。
御真影避難壕
→三中隊の兵隊の壕
→再びシンジュ壕、26日に「捕虜」に   

この証言が宮平秀幸の母親の証言であり、しかも証言内容に間違いがなく、正しいとすれば、今回の宮平秀幸新証言は、完全に「大嘘」ということになる。



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◆参考資料Ⅰ(山崎行太郎ブログの「ガセネタ宮平秀幸証言」徹底批判特集」)

……「宮平秀幸新証言」批判のまとめ……
■現場にいなかった新証言者……宮平秀幸本田靖春に語った「座間味島集団自決の真実」
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080310
■「宮平秀幸新証言」はガセネタのだった? 宮平秀幸は「マリリンに会いたい」の飼い主だった。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080309
■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/
■自決か玉砕か……http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/
毎日新聞ですでに証言していた……昔から宮平秀幸は「語り部」だった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080305/
アエラよ、お前もか……勉強不足の「アエラ」記者は「保守派沖縄ツアー」に同行していた。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/
世界日報記者よ、もつと沖縄史を勉強せよ。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080302/
アエラ記者よ、もっと沖縄史を勉強せよ。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/


◆参考資料Ⅱ

■参考資料ー産経新聞宮平秀幸証言の概要「集団自決、隊長はいさめた 
「沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222314002-n1.htm
座間味島集団自決の証言者「宮平秀幸さんとの偶然の出会い
藤岡信勝自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授)
http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi152.html
■参考資料(「ちゃんねる桜」より)ーー宮平秀幸証言ビデオ。

チャンネル桜 「爆弾!」スペシャル 沖縄集団自決の真実
軍命令は「あった」!? 衝撃の新証言を徹底検証!

★平成20年2月16日 放送★
出演
井上和彦(軍事ジャーナリスト)
奥茂治(南西諸島安全保障研究所 副理事長)
藤岡信勝拓殖大学教授)
皆本義博(元陸軍海上挺進第3戦隊中隊長・陸軍海上挺進第3戦隊戦友会会長)
中村粲獨協大学名誉教授・昭和史研究所代表)※ビデオ出演
司会:水島総日本文化チャンネル桜 代表)

宮平証言一http://www.youtube.com/watch?v=0flOGTIeao0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DVWSrH-7_fU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=H6KHRUi3BUM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Nh0MM5xCc-s&feature=related
沖縄タイムス記者とのトラブルhttp://www.youtube.com/watch?v=lFrV5rkY6-8&feature=related
アエラ記事についてhttp://www.youtube.com/watch?v=Z7ioKgwuF4w&feature=related