文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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宮平秀幸証言はガセネタの可能性が高い? 宮平秀幸はマリリンの飼い主だった?


……●「宮平秀幸新証言」批判……
■「宮平秀幸新証言」はガセネタのだった?宮平秀幸は「マリリンに会いたい」の飼い主だった。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080309
■自決か玉砕か……http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/1204750915
■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/1204871029

毎日新聞ですでに証言……宮平秀幸は「語り部」だった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/1204631704
アエラよ、お前もか。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080305/1204667457
世界日報記者よ、もつと勉強せよ。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/1204345696
アエラ記者よ、もつ勉強せよ。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080302/1204434150


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宮平秀幸証言はガセネタの可能性が高い? 宮平秀幸はマリリンの飼い主だった?



最近、座間味島を訪問し、新証言を発掘し、決定的な資料を手に入れたと大騒ぎしている藤岡信勝秦郁彦、中村燐等はまだ気づいていないようだが、渦中の新証言者・宮平秀幸は「マリリンに会いたい」という映画にもなった犬、マリリンの飼い主であり、海を渡るシロとマリリンの恋物語が話題になった頃、東京のルポライターの取材を受けて、宮平秀幸が「沖縄集団自決」について、寝るのも惜しむように詳しく証言していることがわかった。「マリリンに会いたい」は安田成美が主演した映画で、シロという雄犬が海を泳いで隣の島に住むマリリンという雌犬に会いに行く話であるが、実はこの犬の遠距離恋愛物語は沖縄の座間味島阿嘉島の間で繰り広げられた物語であり、しかもそのマリリンという雌犬の飼い主こそ、今回、座間味島集団自決の「証言者」として脚光を浴びている宮平秀幸その人だったというわけであるが、では、お前はその話を何処で知ったかと言えば、実は沖縄出身で、現在都内に住む拙ブログの読者からの情報提供によってである。したがって宮平秀幸は、このシロとマリリンの遠距離恋愛が話題になり映画にもなった1987年頃、つまり沖縄で「海邦国体」が開かれ、天皇(昭和天皇)に代わって「皇太子夫妻(現天皇)」が開会式に出席して話題になったり、一方では若い都会の女性達が沖縄の島々へダイビングを目的に押し寄せ始めた頃でもあるが、まさにその頃、東京のマスコミ関係者の取材を受けているわけだが、宮平秀幸はまだその頃は、「ざまみ丸」の機関長であり、そのかたわら「高月」という小さな民宿も経営し、民宿の方は奥さんの照子さんが取り仕切っていたという。その民宿「高月」で飼われていた犬がマリリンであったというわけであるが、さて、ここで、僕が何が言いたいかと言えば、宮平秀幸という人物は、「沖縄集団自決」に関して、今回、藤岡信勝秦郁彦等と「偶然の出会い」を経て、初めて沈黙を破り「沖縄集団自決の真実」を語り始めたというわけではなく、実はかなり以前から彼自身が「沖縄集団自決」の「語り部」の一人であり、しかも座間味の集団自決の証言者として注目を集めていた姉・宮城初枝を取材に東京から押し寄せるマスコミ関係者達の案内役でもあったらしいということである。実は、その頃、東京の有名なルポライターの取材を受けて、宮平秀幸は、寝るのも惜しむぐらいに熱意を込めて「沖縄集団自決」について語り続けたらしい。その様子をルポライター氏は次のように書いている。

実をいうと、私自身、この連載にとりかかつたときから、シロや彼の「恋人」たちのことを長々と書くつもりはなかった。
そもそも私をそういう気持ちにさせたのは、「高月」でその夜、部屋に来てくれた宮平さんてあった。
彼は私が勧めた缶ビールに手もつけず、午後九時過ぎに始まって、午前一時半を回るまで、ほとんどこちらに言葉を差しはさむいとまも与えず、熱心に語り続けた。私がベニヤ板一枚で仕切られている隣室の泊まり客に気兼ねさえしなかったら、おそらく彼は明け方までも話をやめなかったに違いない。

「高月」は戦後まもなく民家として建てられた木造の平屋である。座間味島に約40軒あるという民宿の中で、おそらく最も小規模な部類に属するのではあるまいか。(中略)
ダイビングが目的の彼らは、明日に備えて十分な睡眠をとつておかなければならない。そう考えて、私は宮平さんのインタビューをこちらから打ち切ったのだが、先方は明らかに不満そうであった。
もう眠いですか。私のことだったら時間はかまわないんですよ。明日はゆっくりですから

この時、宮平秀幸は、ルポライター氏を前にして、どういう話をしたのだろうか。むろん、宮平秀幸は、集団自決についてかなり詳しく話している。しかし、この時点では、宮平秀幸は、助役等からの伝令役から「忠魂碑前に集まれ」「そこで集団自決する」という命令を、家族と共に聞いて、「忠魂碑前に行くか、山へ逃げて生き延びるか」と家族で相談した後に、やはり仕方なく忠魂碑前へ向かった……という話はしているが、その直前の話はしていない。その直前の話とは、今回の宮平秀幸証言で話題の核心となっているもので、助役等、村の指導者達が、軍の陣地に押しかけて行き、そこで住民は集団で玉砕・自決するので武器を下さいと梅澤隊長に相談し、それに対して梅澤隊長が「自決するな」と言ったとか、言わなかったかとかいう、要するに梅澤裕が「自決命令をくだしたか、くださなかったか」の問題の場面の話である。今回の証言で、宮平秀幸は、自分もその問題の場面にいて、しかも隊長からわずか二メートルの位置にいて、助役等と梅澤隊長のやりとりをすべて聞いていた……と言っているわけだが、「1987年頃」の取材では、そのことには一言も言及していないようである。何故、寝るのも惜しんで座間味の集団自決について熱く語り続けた宮平秀幸が、一番の核心部分に言及しなかつたのか。うがった見方をすれば、ずばり、宮平秀幸は、「1987年頃」の段階では、この問題の場面の詳細を知らなかったのではないのか。おそらく、この段階では、証言したくても証言できるだけの詳細な情報を、宮平秀幸は持っていなかったのだ。東京のルポライター宮平秀幸に取材したこの頃とは、実は、梅澤裕が座間味島をしばしば訪れるようになり、宮城初枝と再会したり、記念碑を建てたり、あるいは助役の弟に「詫び状」を書かせ、それを神戸新聞東京新聞で大々的に公表したりして、梅澤裕とその背後にいるグループが、怪しい「名誉回復」の陰謀・謀略活動を開始して、座間味島の住民や生活を「疑心暗鬼」と「人間不信」のどん底に突き落としつつあった、まさにその頃だったのである。したがって、「自決命令」に関する情報もまだ流動的で、真相は「藪の中」だったのである。とすれば、宮平秀幸が、問題の場面について証言できなかったのもうなづけるというものだ。どうも、その可能性が高い、と僕は思う。僕は、今、やや遠回しの微妙な婉曲的な言い方をしているが、これが何を意味するかは、すでに明らかだろう。では、宮平秀幸は、東京からやってきたルポライターに、寝るのも忘れるほどに熱中して深夜まで話し込み、そしてそこで何を証言したのか。おそらく宮平秀幸本人ももう忘れていることだろう。不可解なことに、宮平秀幸は、その夜、助役等と梅澤隊長との「住民自決」をめぐるやり取りの現場については、一言も証言していないのである。何故、宮平秀幸は肝心の場面を一言も話さなかったのか。それはその現場に、宮平秀幸自身がいなかったからである。つまり話したくても、まったく知らないことだったからである。実は、東京からやってきたルポライターの主たる取材目的は、集団自決の「軍命令」の問題であり、その取材対象は、まさしく「軍命令」騒動の渦中にあった宮平秀幸の実姉(異母姉弟)の宮城初枝であり、その橋渡し役が宮平秀幸だったのであるが、それにもかかわらず、宮平秀幸自身は、集団自決の「軍命令」の問題には、長時間のインタビューにもかかわらず一言も触れていない。また、宮平秀幸は、助役から「君の家族も全員、忠魂碑の前に集まっている」と言われて驚いた……と、今回、藤岡信勝秦郁彦等に証言しているが、これも怪しい。というより完全に自己矛盾に陥っている。ルポライター氏には、その時間には家族と共にいたと証言しているのである。宮平秀幸ルポライター氏に語ったのは、「午後10時」ごろに家族と共に自宅にいて、役場から派遣された男女二人の連絡係の「午後10時を期して全員で集団自決するので忠魂碑の前に集合するように……」という話と、その後、家族と相談の上で盛装して忠魂碑の前に集合した時の話だけである。しかも宮平秀幸は、その時、連絡係に、助役等と梅澤隊長との「住民自決」をめぐるやり取りの現場にいた人としては、考えられないような、奇妙な質問をしている。

……「高月」での宮平さんの話に戻ることにしよう。
午後十時を期して全員で集団自決するので忠魂碑の前に集合するように、との命令を宮平さんのもとへ届けに来たのは、村役場から伝達員という役目を言いつかっていた男女二人であった。
じゃ、死ぬのはどういうふうに死ぬのか、って訊いたんです。そうしたら、軍の方から爆雷(特殊艇用)を提供してくれるような話だから、爆雷で吹っ飛んだら、全然苦しむようなことはない、夢見ている心地であっという間に死ねるから、この爆雷が爆発し終わらないうちに間に合うようにぜんぶ参加してくれ、っていうんですよ。死に対する参加なんですね
と宮平さんはいう。
伝達員が引き返して行ったあと、彼は考え込んでしまった。
父秀松さんはセレベス島にいて、家長不在である。大正14年生まれで当時19歳の長男秀信さんは防衛隊員となって以来、軍と行動をともにしている。その二歳下の次兄秀昭さんは海軍を志願して佐世保にいた。したがって、三男である数えの16歳にして一家の中心的存在になっていたのである。
祖父母、母、姉、弟に自分を加えて、家に残る家族七人の命運がいままさに尽きようとしていた。忠魂碑の前に行かず、山に逃げ込めば生き延びる可能性もないではないが、それには命令違反のうしろめたさがつきまとう。しかし、宮平さんの気持ちは逃げる方に傾いていた。とはいっても、一人で断を下すには重すぎる問題である。いかにすべきかを、まず母貞子さんに問うた。
みんな死ぬんだったら、うちらだけ残ってもしようがないから、一緒に死んだ方がいい
というのが母の意見であった。

この宮平秀幸の証言とルポライター氏の記述からわかることは、宮平秀幸が、この時点では、梅澤隊長の発言や、助役等の発言の中身を、つまり「住民自決」の相談と決裂……というような情報をまったく知らなかったろうということだ。もし、宮平秀幸が、今、藤岡信勝秦郁彦等に証言しているように、梅澤隊長と助役等の最後の対面場面の発言を、隊長から二メートル以内の距離で聞いていたとしたら、以上に引用したような会話が、家族の中で交わされるはずがないだろう。そもそも午後10時と言われている日本軍陣地での「対面場面」の現場にいながら、ほぼ同時刻と言っていい時間に家族と一緒にいたとすれば、宮平秀幸は陣地から、どうして家族のいる家に帰ったのか。もし、対面現場から急いで家族の下へ引き返したのであれば、宮平秀幸は、住民の集団自決をめぐる話ならすべてのことを、すでに知っているはずで、今さら、連絡係に「じゃ、死ぬのはどういうふうに死ぬのか」なんて尋ねるはずがないだろう。もし、梅澤隊長の「自決するな」という話を現場で聞いていたとすれば、忠魂碑前に行くか、あるいは山に逃げるか、なんて思案して、母や祖父母と相談する必要もないだろう。「隊長も『自決するな』と言っていたから、自決するのはやめよう」と言って、母や祖父母を説得していただろう。要するに、宮平秀幸は、現場にいなかったのだ。そして助役や梅澤隊長の話も聞いていなかったのだ。というわけで、宮平秀幸の「新証言」の内容をもう一度、見てみよう。

宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ
野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、
梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。そこで、宮里助役らは
「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」
「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、
自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。これに対し、梅沢少佐は
「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。
なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、
梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、
村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、
野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。
みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。

このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。 (産経新聞、石川水穂)

この「新証言」と、「1987年頃」、東京から取材に来た有名なルポライターに語った「証言」とは、明らかに矛盾しているというより、証言内容がまったくかけ離れている。とても同一人物の証言とは思えない。とすれば、藤岡信勝秦郁彦、中村燐等が保守系の新聞、雑誌など、あらゆるメディアを総動員して大騒ぎしている「宮平秀幸新証言」なるものは、完璧な「ガセネタ」ということになるわけだが、はたしてどうなのだろうか。それとも、、「1987年頃」の「宮平秀幸証言」こそ大嘘だったということなのだろうか。いずれにしろ、宮平秀幸という人物が、かなり怪しい「証言者」であることは間違いない。

(「続」)

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……●「宮平秀幸新証言」批判……
■「宮平秀幸新証言」はガセネタのだった?宮平秀幸は「マリリンに会いたい」の飼い主だった。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080309
■自決か玉砕か……http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/1204750915
■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/1204871029
毎日新聞ですでに証言……宮平秀幸は「語り部」だった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/1204631704
アエラよ、お前もか。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080305/1204667457
世界日報記者よ、もつと勉強せよ。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/1204345696
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■参考資料ー宮平秀幸証言の概要「集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222314002-n1.htm

集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言



沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、
自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。
教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。
沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、
同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、
野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、
梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。そこで、宮里助役らは
「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」
「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、
自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。これに対し、梅沢少佐は
「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。
なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、
梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、
村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、
野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。
みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。
このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、
宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。
宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。
そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、
与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、
「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。 (産経新聞、石川水穂)

ソース
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222314002-n1.htm


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■自決か玉砕か……http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/1204750915
■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/1204871029
毎日新聞ですでに証言……宮平秀幸は「語り部」だった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/1204631704
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