文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

『悪霊』と哲学・・・あるいはロシア革命前夜の地下組織について。



今、ドストエフスキーの『悪霊』を読んでいる。以前、何回か読んだが、漠然と理解したような気になっただけで、本当は何も理解できていなかったのかもしれない、と最近、思うようになった。清水正日大芸術学部教授の『悪霊』論三部作なるものを読んだのがきっかけだった。というわけで、今度、改めて、じっくりと腰をすえて、このドストエフスキーのもっとも難解で複雑怪奇と言われる代表作に挑戦してみたくなったのである。清水は、そこで、『悪霊』の主役と言えば誰もが考えるニコライ・スタヴローギンでもピョートルでも、ましてやキリーロフでもなく、物語の冒頭に登場するステパン先生という冴えない脇役的な人物の役割に注目し、ステパン先生の前歴や正体を、あくまでもドストエフスキーのテキストに忠実に、ドストエフスキーのテキストを熟読することによって徹底的に分析、解明しようとしている。ステパンは、当局が差し向けたスパイだったのではないか、というのが清水の分析や予想だが、むろんその分析や予想の成否は私には判断しかねるが、いずれにしろ、先入観に基づいて読むことの、つまり外在的な既成のイデオロギーや解釈や世評等、いわゆるテキスト外の情報を前提にして読むことの危険性を痛感させられた。と言っても『悪霊』というテキストが容易に読解できる代物ではないことは、冒頭の、脇役的な人物に過ぎないステパンやヴアルバーラ夫人をめぐる長ったらしい叙述からも明らかだ。いずれにしろ、『悪霊』という作品は、なかなか難解な作品であり、ストーリーも『罪と罰』等のように単純ではない。『悪霊』という小説は、いわゆるロシア革命前夜の地下組織の同士リンチ殺人事件「ネチャーエフ事件」をモデルにして、あるロシアの地方都市を舞台に、無政府主義的な革命思想とニヒリズムかぶれた秘密革命組織とその悲劇的な末路を描いていると言われている。バクーニンをモデルにしたと言われるニコライ・スタヴローギンを中心に、ネチャーエフ事件のネチャーエフをモデルにしたと言われる秘密革命組織のリーダーのピョートル、組織の引き締めのための見せしめとして、組織の裏切り者として殺されるシャートフ、自殺こそ人間の自由の証明になると宣言して自殺する無視論者、人神論者のキリーロフ等が、この物語の重要な役割を演じている。しかし物語の冒頭から彼らが登場して物語を盛り上げるわけではない。物語は、ヨーロッパから理想主義的、ロマン主義な反政府思想を持って帰国し、一時は大学の教壇に立っていたが、スラブ主義者たちの反感を買い、大学やジャーナリズムから追放された元大学教師だが、今は裕福な未亡人宅に家庭教師として寄生しているステパン先生の話から始まる。ステパン先生とは、わかりやすく言えば洋行帰りの進歩的文化人とでも言えばいいかもしれない。むろん、ドストエフスキーは、ステパン先生を好意的には描いていない。むしろ辛辣な皮肉と嘲笑をこめて戯画的に描いている。そのステパン先生のパトロンでありスポンサーの役割をするのが、裕福な陸軍中将夫人ヴァルバーラである。つまり『悪霊』という物語は、ステパン先生とヴァルバーラ夫人を中心にした進歩的な文化サークルを軸に展開していくのであって、少なくとも前半部では、ニコライ・スタヴローギンやピョートルのような過激な革命的陰謀家たちの存在の影は薄い。ここで重要な鍵を握る人間関係を明らかにしておけば、スタヴローギンはヴァルバーラ夫人の息子であり、ピョートルはステパン先生の息子であるという事実である。言い換えれば、この物語は、ロシアのある地方都市の、ある進歩的なインテリ一族が革命運動に巻き込まれていていく物語である、ということである。ドストエフスキーが、物語の冒頭から、執拗な筆致で、ステパン先生やウァルバーラ夫人の生活を描いている理由もそこにあるだろう。
 さて、ドストエフスキーの『悪霊』は、承知のように、革命前夜の地下組織のリンチ殺人事件を、批判的に、且つ戯画的に扱っている。むろん、この小説はドストエフスキーの創作だが、まったくの創作ではなく、モデルがあった。繰り返しになるが、モデルになったのは、一八六九年、モスクワで起こった、いわゆる「ネチャーエフ事件」である。一八六九年、イヴァノフというモスクワの農科大学生が殺され、死体が石に縛られたまま学校裏の池から発見されるという事件があった。この事件を契機に同じ学校のネチャーエフという学生が主宰する政治秘密結社の存在が明らかになった。首領のネチャーエフは逃亡したが仲間の学生がたくさん逮捕され検挙された。イヴァノフは、組織の裏切り者として、ネチャーエフの指令に基づいて、仲間から殺害されたのであった。いわゆる「リンチ殺人事件」である。むろん、この事件は、一部の過激派学生たちが引き起こしたローカルな事件ではなかった。それはやがてやってくるロシア革命にも直結していた。たとえば、ネチャーエフの背後にはアナキストバクーニンがいた。バクーニンは、「インタナショナル」のメンバーとしてスイスにいたが、ロシアから逃れてきたネチャーエフをかくまい、ネチャーエフの生活の面倒まで見たらしい。バクーニンとは、言うまでもなく、「破壊は創造のパッションである」と唱えるニヒリストで、アナキストバクーニンである。ドストエフスキーはこの事件に深い関心を寄せ、この事件をヒントにして『悪霊』を書いたのである。たしかにドストエフスキーは、ネチャーエフやその仲間等をモデルにして、批判的に、戯画的に描いている。しかし、それだからと言って、「ネチャーエフ的なもの」そのものを全面的に否定しているわけではない。むしろ逆である。ドストエフスキーはネチャーエフの中に、自分自身を発見しているのである。「ペトラシェフスキー事件」で逮捕され、死刑判決を受けたことのあるドストエフスキーがの内部に、「ネチャーエフ的なもの」がなかったはずはない。「ネチャーエフ的なもの」への憎悪と欲望、それが、『悪霊』執筆の動機であり、それが『悪霊』のテーマであった、と私は考える。
目的のためなら手段を選ばないというのが、ネチャーエフをモデルにしたと言われる『悪霊』の人物・ピョ―トルの革命理論であり革命思想である。「理想社会」を実現するためにはどんな「醜悪な手段」をも使ってもいい。ピョートルは、理想社会を実現するためには同士殺しも厭わない革命のリアリストである。文字通り「革命家とは死を宣告された人間」であり、「破壊こそ革命の原動力」なのであって、血も涙も無い人間なのである。人は、何故、革命を目指すのか。人は、何故、革命思想や革命の理想を、それが虚偽であり幻想であり欺瞞であると分かっていながらも、命を捨ててまでも敢えて実行しようとするのか。それこそ「人間の謎」であるが、それをドストエフスキーの『悪霊』は描こうとしているのではなかろうか。『悪霊』は、その後にやってくるロシア革命や、スターリンに象徴されるロシア革命の暗部を予告した作品だと言う人がいる。たとえば、哲学者のベルジャーエフは、「ドストエフスキーロシア革命預言者」だと位置づけた上で、こう書いている。「ロシア革命ドストエフスキーが洞察し、天才的に鋭く見破ったまさにあの原理によって育まれたのである。ドストエフスキーにはロシアの革命思想の弁証法をとことん暴き出し、そこから最終的な結論を引き出す眼力があった。」「ドストエフスキーはロシア社会主義の果実がいかに苦いものとなるか予見したのである。彼は西欧のそれとは似ても似つかない、完全に独自なロシア的ニヒリズムとロシア的無神論の根源的な力を暴き出した。」(『ロシア革命の精神』)と。つまり『悪霊』は革命の悲惨さや滑稽さを予言し、描いているというわけだ。むろん、私はそうは思わない。『悪霊』はそんなにわかりやすい単純な小説ではない。ベルジャーエフの解釈は表層的で一面的過ぎる。私見によれば、ドストエフスキーのすべての小説がそうであるように、『悪霊』もまた、いや『悪霊』は特に、読者を、解決不可能な問いの中へ、つまり出口の無い虚無の深淵の中へ誘導し、そしてそこへ突き落とす小説である。革命への幻滅と絶望を描くと同時に、人間と言う存在の闇に潜む革命への情熱と欲望をも描いている。つまりドストエフスキーはテロや革命を否定もしていなければ肯定もしていない。ただ、解決不可能な問いの前に立ち止まっているだけだ。それこそ哲学的実践というほかはない、と私は考える。ドストエフスキーが哲学的なのは、いわゆる哲学なるもののすべてを否定しつくし、それから出口のない虚無と絶望の深淵へ、読者を導いていくからだろう。ちなみに『悪霊』は、悪霊に取り憑かれた豚の群れが、やがて狂ったように湖の中へ突進し、集団自殺するという『聖書』の一挿話の引用から始まっている。たしかに革命とは、湖に飛び込んで集団自殺する豚のようなものかもしれない。しかし、人間の本質が、集団自殺する豚そのものだったとすれば、どうなるのだろうか。ドストエフスキーは、ネチャーエフやピョートルのような血も涙も無い革命とテロの実行者を、批判し弾劾しているように見える。たとえば、革命のためのテロを積極的に擁護し、数々のテロ事件を実行した上で、ロシア革命の最終的な勝利者となったレーニンは、ドストエフスキーの『悪霊』を批判してこう書いている。「『悪霊』のような反動的な小説を読む時間は私にはない。この小説によってネチャーエフのような人の存在がおとしめられている。ネチャーエフのような人はわれわれにとって必要だったんだ。」と。いかにもレーニンらしい分析だが、私はレーニンの読みも浅いと思う。ドストエフスキーは決してネチャーエフを貶めてはいない。「ネチャーエフ的なもの」こそドストエフスキーが本当に描きたかったテーマであり、ドストエフスキー自身の内部に存在する何ものかだったはずである。
 ところで、日本の過激派組織が引き起こしたリンチ殺人事件、いわゆる「連合赤軍事件」が起きた直後、多くの人がこの事件に関心を寄せ、様々な発言をしていた。たとえば、その中に、「彼らはドストエフスキーの『悪霊』を読まなかったのだろうか。」とか、「『悪霊』を読んでいれば、こんな事件を引き起こすはずがない。」というような発言をした人が何人かあった。秘密結社的な革命組織を軸にした急進的革命運動とその悲惨な結末は、ドストエフスキーによって描き尽くされている・・・、そんなことも知らずに、今時、秘密結社的な革命運動に身を投じるなんて愚行以外の何物でもない・・・というわけであろう。柄谷行人もそういう発言をした一人だった、と思う。私は当時、柄谷行人の著作を愛読していたが、この発言を聞いた時だけは、ちょっと違和感を感じた。日ごろ、「心理を超えたものの影」に注目し、「思想」や「知識」は重要ではない、「関係」や「構造」が大事なのだ、人間は「知っていてもそれを行う存在である」というような存在論的な発言を繰り返してきた柄谷行人にしては、意外な発言だったからだ。つまり、私の違和感の根拠は、「ドストエフスキーの『悪霊』を読んでいても、読んでいなくても、リンチ事件は起きただろう。」というものだった。つまり、ドストエフスキーの『悪霊』を読んで、革命への幻想から目覚め、革命運動や過激派組織への参加を断念するような学生は、そもそも最初から革命運動や過激派組織には参加しないだろうし、逆に革命運動や過激派組織に積極的に参加するような学生は、革命の理論や思想や知識だけで、つまり革命幻想を鵜呑みにしているという理由だけで、過激な革命運動に参加するはずはない、と思ったからだ。革命運動や過激派の陰惨な実態が分かり、革命の思想や理想が欺瞞的な空想であると分かっても、やめない人はやめないだろう、と。革命や革命思想が語る理想社会が幻想であり空想だと分かれば、革命運動や過激派に参加する人がいなくなるだろう、というのは、それこそ空想である。それは、戦争の悲惨さや悪を、いくら声高に宣伝し教育しようとも、戦争がなくならないのと一緒である。革命を批判し、革命運動の欺瞞性を告発し、後に「反動作家」と非難されることになるドストエフスキーだが、そうだからと言ってドストエフスキー自身もこの『悪霊』という小説で、そんなことが書きたかったのではあるまい。むしろ、ドストエフスキーの『悪霊』の恐ろしさと魅力は、そこに、つまり革命が欺瞞であり空想であり、革命運動の結末は陰惨であると分かっていても、それにもかかわらず革命運動に命がけで飛び込む人が絶えないのは何故か、そこに現れる人間の謎とは何か、と問うているいう点にあるのではないのか。五人組の秘密革命組織の組織者であり、そのリーダーであり、実質的には唯一のその秘密革命組織の会員でもあるピョートルが国外に逃亡し、『悪霊』の主要人物としては例外的に生き延びることが出来たという、この物語の結末は、何を物語っているだろうか。そこには、自殺志願者キリーロフの自殺やステパン先生の死や、革命の欺瞞や革命への幻想を告発したが故に、逆に組織の裏切り者として処刑・銃殺されたシャートフ、あるいはニコライ・スタヴローギンのような思想家や理論家の自死など、多くの死を乗り越えて、第二、第三のピョートルが登場し、ロシア社会に無数の地下組織を編成し、やがて皇帝暗殺等のテロ事件を次々に実行し、ロシア社会を混乱と恐怖の坩堝に突き落としたのちに、ついにロシア革命を成功させることになる無数のテロリストや革命家たちの存在を、暗示してはいないだろうか。サヴィコフフの『テロリスト群像』を読み直すまでもなく、ロシア革命の前史は、無数の地下組織と無数のテロリストたちの歴史だった。ドストエフスキーはそれに対しては批判的であり、血塗られた革命など期待していなかったかもしれない。にもかかわらず、ドストエフスキー的な、いわゆる過激な「リアリズム」の観点からは、無数の地下組織と無数のピョートルが見えていたのである。むろん、レーニンスターリントロッキーも無数のピョートルの一人だった、と言っていい。というのが、これから書こうとしている私の『悪霊』論の骨子である。





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