文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

亀田一家というメタ・フィクション


僕は試合そのものがあることを知らなかったので見ていないが、いわゆる「亀田一家」の次男が、先日、世界タイトルマッチに挑戦し、反則や違法行為の連続で醜態を曝け出した挙句、最後まで無様な闘いぶりを披露し、ものの見事に惨敗したそうである。いい気味だと思うのだが、マスコミを中心として一斉に起こった「亀田一家バッシング」には、ちょっと待てよ、と思う。いままで散々亀田一家を持ち上げ、利用したきたくせに、いまさら、亀田一家の数々の「悪」「反則」「無法行為」を指摘し、その暗い営業戦略を抉り出し、今度は「善玉」と「正義」の側に立って、彼ら一家を批判し罵倒したとしても、それに何の意味があるのか。それって、単なる時局迎合だろう。状況追従主義だろう。先日の日曜日、TBSの番組で、テリー伊藤が、さかんに亀田一家やTBSのアナウンサーを批判していたが、「何を、今更…(笑)」と思った。テリーは、TBSが「ぬるい…」とか言って批判していたが、一番、「ぬるい…」のは、マスコミと大衆に迎合して、時期を見計らって亀田一家バッシング側に転向し、大衆と共に亀田一家批判に狂奔しているオメーだろうが。相変わらず、狡賢い野朗だよ。ところで、亀田一家には、亀田一家なりの物語がある。それは、自ら「悪役」を買って出るという物語への戦略である。亀田一家とその背後にいる演出者は、大衆が「悪役」を渇望し、求めていることを知っているからだ。試合前から激しく口汚い「タンカ」をきり、相手の顔を見ると恫喝と威嚇を繰り返し、試合になると反則や違法行為を繰り返す。これで、善玉であり続けられるわけがない。亀田一家は、「悪役」という物語を自作自演しているのであって、今ごろ、亀田一家を処分したり、批判罵倒しているボクシング協会や無知な大衆やマスコミは、逆に彼らの営業戦略、あるいは物語戦略に手玉に取られているだけであろう。つまり、亀田一家バッシングに狂喜乱舞し、溜飲を下げている大衆は、それでストレス解消しているだけだ。彼ら一般大衆こそ、要するに現代の愚鈍なるピエロに過ぎない。沈滞していたボクシングを、復活させたのは、亀田一家が「悪役」を買って出てくれたからだろう。亀田一家とTBSのスタッフに、どうすれば愚かな大衆が乗ってくるか、という「物語への戦略」というものがあったからだろう。未だに目の醒めないマスコミや大衆という「善玉」どもよ、おまえたちは、付和雷同する単なる影に過ぎない。亀田一家が「太陽」であって、おまえらは「月」にすぎない。勘違いしてもらって困るのである。「亀田一家というメタ・フィクション」をよく読め、と言いたい。無理だろうけど…(笑)。


■参考資料(笑)・・・「かきなぐりプレス」より

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オマケ テリー伊藤の二枚舌発言集

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・試合前
「亀田のマナーが悪い?ボクシングという特殊な世界を一般の常識で計るな!ピカソアインシュタインを挨拶の仕方で否定できるのか!叩いている人はボクシングを知らない素人ですよ」



・試合翌日
「いいじゃないですか。彼も若いんだからこれから。ああいうのがいてもいい。まあボクシングなんて”プロレスみたいなもん(やらせ)”ですからね!」



・亀田JBC処分決定後
「亀田はまるでフランス料理を手づかみで食べるようでボクシングを汚している。持ち上げたTBSは反省しろ!若さが出た?そんな問題じゃない!!何ですかあれは!昔の武士道の世なら死刑ですよ!もう永久追放しかないですね!!特にオヤジさん!あれはヤクザじゃないですか!見ている視聴者は不愉快ですよ!!」



・かきなぐりプレス : やっぱりテリー伊藤電波芸者だった