文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

新人批評家よ、大志を抱け!!!


■新人こそが新しい時代を切り開く・・・。
  「憂国忌」の案内が来る頃になると、毎年、文学の世界ではもう一つのイベントが始まる。新人賞の季節の到来である。昨日まで無名だった作家志望者の一人が、新人賞受賞で華々しく文壇デビューというわけだが、むしろ現実には期待はずれが多く、新人デビューもつかのま、多くの新人作家がアッという間に消えていくというのが現実だ。が、しかし、「新人が時代を切り開く…」「新しい時代の扉を開くのは新人だけだ…」という文壇的原則に変わりはない。10代、20代でデビューし、「新しい時代を切り開いた・・・」三島由紀夫大江健三郎石原慎太郎村上龍等の例を持ち出すまでもないだろう。むろん、小林秀雄江藤淳のような批評家の場合も。それは論壇やアカデミズムにはありえない文壇的特質だろう。10代であろうが20代であろうが、あるいは50代であろうが60代であろうが、新人賞を受賞し、文壇にデビューした以上はもう一人前のプロである。それから10年か20年か修行して一人前になるわけではない。そこには修行期間の長さや熟練度とは無関係な何かがある。一言で言えば、それは才能と資質ということになるが…。したがって文壇では、10代や20代の新人作家の登場によって世の中が一変することが、しばしば起きる。それは、数学や音楽の世界に似ている。数学や音楽の世界は、明らかに訓練の積み重ねや修行年数の長さで評価される世界ではない。文字通り才能が評価される世界だろう。したがって私は、海のものとも山のものともまだ見分けのつかないような、いわゆる「一夜にして作家になってしまった・・・」ような、そういう正体不明の怪しい新人作家のデビュー作を読むのが好きである。
というわけで、今月は、「すばる」と「新潮」が、新人賞特集号であるが、ここでは、「新潮」新人賞について書いてみたい。「新潮」11月号には、小説と評論の受賞作が掲載されているが、なかなか興味深い作品が並んでいる。私がまず面白いと思ったのは、二人の「受賞の言葉」(厳密には受賞記念原稿「十年の批評」「六年の財産」)だった。特に、「宮沢賢治の暴力」で、評論部門の新人賞を受賞した大澤信亮の、短時間に書き上げたものらしいが、しかしそれ故に全精力を傾けたと言っていいパワフルな「受賞の言葉」(「十年の批評」)に感動し、その勢いで受賞作「宮沢賢治の暴力」を読んだが、こちらにも同じように感動した。私も、評論を読んで感動するのは久しぶりなので、これはいったいどういうことだろうと、ふと立ち止まって真剣に考えてみたくなった。
大澤信亮は、「1976年生まれ、31歳、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了」と言うことだが、「受賞の言葉」で、受賞に至るまでの職業遍歴を、と言っても主に文筆業者としての職業遍歴だが、実に詳細に自己分析している。私は、その自己分析力と反省的思考の徹底性にこの新人の独特の才能と力を感得した。たとえば、こうである。
  ≪客観的な意味で私は「新人」ではない。はじめて商業誌に書いたのは、2001年10月号の「中央公論」だった。もう六年前のことだ。当時、大学院で福田和也氏の指導を受けていた私は、福田氏と大塚英志が共同編集というかたちで刊行した「voice」の増刊号「選挙に行く前に読んでおけ。」(2001年八月刊)で、数点のコラムを手がけた。そのコラムを大塚氏が評価してくれ、中公に紹介してくれたのである。与えられたテーマは「マンガに描かれた社内風景を題材に公共性について論じろ」というもの。(中略)このチャンスを逃してはいけないと必死になって書いた。≫
  一人の大学院生が、大きな新人賞を受賞したわけでも、雑誌等に発表した作品がその世界のプロから高く評価されたわけでもないのに、大学の恩師やその仲間の推薦で文筆稼業が始められたのである。このスタートは幸運すぎると言っていい。後はその道を突き進むだけではないのか。しかし、彼は、「必死」になったにもかかわらず、その道を突き進んでいくことが出来ない。意欲がないわけでも才能が足りないわけでもない。何故か。大澤信亮を背後から鷲掴みにして、立ち止まらせ、引きとめたものは何か。
■批評とは「存在」の問題であり、生き方の問題だ。
  私は、大澤信亮の「受賞の言葉」の文章を書き写しながら、少し興奮している.。ここには文学があり批評があり文体があり、そして何よりも批評家としての才能と資質がある、と思うからだ。引用を続ける。
  ≪その頃の私は自分が物書きとしての道を着実に歩み始めていると思っていた.。しかし事はそう容易くは進まなかった.。原稿を執筆する機会は何度も頂いた。単行本の出版の誘いもあった。にも拘らず、私はそれらのチャンスを生かせなかった.。たぶん物書きとして致命的に何かが欠けているのだと思う。まず、書きたいことがない.。さらに、本を出したいという意欲がない.。だが書く技術だけは半端にある.。こんな具合だから、自然、受身の仕事が多くなった.。インタビュー記事や学校のPR文などのライター業である。とにかく生活費を稼ぐためにやった.。はじめこそ「文章訓練」と思い、クライアントの要求に応じるべく奮起していたが、数年経ち、相手の要求に応じるだけの空しい自分を発見した。≫
  ここには本質的なことが書かれている。大澤は、「私はそれらのチャンスを生かせなかった。たぶん物書きとして致命的に何かが欠けているのだと思う。」と言うが、問題はそれほど単純ではない。私に言わせれば、その頃、彼が、「物書き」というものに求めている夢が、大きすぎたのであり、本質的、原理的すぎたのである。普通なら、そこで、その大きすぎる夢を捨て、現実と適当に妥協して雑文屋かライター、あるいは笙野頼子の言うような(「群像」11月号)、注文に応じて原稿を適当に書き散らす「ニュー評論家」になるか、あるいは大きな夢を抱えたまま挫折していくかのどちらかだろう。われわれの周りにはそういう適当に妥協した物書き(雑文屋、ライター、ニュー評論家?)や挫折者が溢れているが、大澤は、そのどちらの道も拒絶した。「数年経ち、相手の要求に応じるだけの空しい自分を発見した。」とは、そういうことだろう。そして、不可能とも思えるような、本質的、原理的な「物書き」に挑戦しつづけたというわけだろう。まさしく、「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術慨論綱要)と断言した宮澤賢治のように、過剰で、不可能な、絶対的な夢に賭けたのである。
  さて、私が、大澤信亮の受賞作ではなく、「受賞の言葉」にこだわり、彼の職業遍歴と生き方にこだわるのには、それなりの理由がある。大澤の宮沢賢治論の核心部が、宮澤賢治の存在だけではなく、大澤自身の「存在」の問題に直結していると思うからだ。つまり、宮澤賢治の暴力的とも言っていい激しい過激な生き方が、大澤自身の行き方に直結していると思われるということだ。あるいは、「宮沢賢治の暴力」をテーマに評論を一本書くことはそれほど難しいことではない。宮沢賢治国柱会も、宮澤賢治法華経も、ほぼ語りつくされたテーマである。だから、ここに宮澤賢治論としての新しさがあるとは思えない。しかしにもかかわらず、大澤の宮沢賢治論が感動的なのは、それが論者である大澤信亮自身の「生」や「存在」と共鳴しているからだ。こういう書き方は、決してありふれたものではない。文字通り、これは、才能や資質の問題である。私は、だから、宮澤賢治論「宮澤賢治の暴力」よりも、大澤信亮の「受賞の言葉」にこだわるのだ。
■宿命としての批評、宿命としての批評家.。
  誰でも批評家になれるわけではない。誰でも批評が書けるわけでもない。批評は、研究でも解説でも解釈でもない。批評には、批評家の存在が問われている。言い換えれば、ホンモノの批評家には「高見の見物」は許されない。大澤の恩師であり、選者でもある福田和也が、大澤の物書きとしての姿勢について、最近珍しく、いいことを書いている。
  ≪この作品の美質は、何といっても宮澤賢治自身が担っていた問いを、自分自身ののものとして引き受けていることだろう。しかもその問いかけは切実なものであり、この問いを担いつづけることが出来なければ、書くことも生きることも意味がないと思われるような切羽つまった態度で問い続けている。それは決断ですらない、宿命と呼ぶほかはない、こうでしかありえない姿勢なのだ.。(中略)批評的であるとは、危機的であることだ.。というのは、使い尽くされた言い回しである.。にもかかわらず、その紋切型の水準に達した批評は珍しい。≫
  福田和也の言う通りだろう。大澤の文章には、切実なものがあり、切羽詰まったものがある。それが何であるかをわかりやすく説明することは出来ないが、何かがあることは確かである。それは意味や思想や決意を超えている。人は、それを文体と言うのであろう。むろん、文体を持つ批評家は少ない。とりわけ最近の文壇や論壇に跋扈するのは、思想や決意は「ご立派」だが、宿命とは無縁な「文体なき雑文屋」、つまり笙野頼子の言う「ニュー評論家」ばかりである。大澤信亮が、そういう「ニュー評論家」でないことだけは確かだろう。あるいは、大澤信亮が、無意識の内に拒絶し、そして同時に大澤信亮を立ち止まらせたものこそ、実は「ニュー評論家」的なものへの違和感だったかもしれない。
 ところで、私は、大澤の受賞作「宮澤賢治の暴力」にはあまり触れなかったが、そこには理由がある。受賞作の紹介と解説だけでは何かが伝わらないと思ったからだ。言い換えれば、大澤がこの受賞作で書いていることは、たとえば、「『ほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない』(「銀河鉄道の夜」)という過激な自己犠牲心」や、宮澤賢治の内部にある「何か不自然な過剰さ」というような問題、あるいは「宮沢賢治国柱会」、「宮澤賢治法華経」というような問題は、別に大澤でなくても書きうるかもしれないし、あるいはすでに書き尽くされているかもしれないからだ。つまり問題は作品の内容にはない。批評家(作者)自身の「存在」と直結した「問い」と「文体」の部分にある。受賞作「宮澤賢治の暴力」にこんな文章があった.。
  ≪彼の作品には読み手の「熱情」を炊きつける何かがある。それは彼の一生を真っ直ぐに貫くあの過剰さとどこかでつながっている.。その燃える炎への距離を都合よく調節する限りで、人はときに心を温め、ときに熱くなれる。しかし、彼を批評するとは、その炎に身を焼かれる覚悟で、彼を内部から批評することである.。≫
  むろん、こんなことは誰にでも書けるだろう。しかしそれを実践することは、誰にでも出来るわけではない。要するに、大澤の作品にも、読み手の「熱情」を炊きつける何かがある、と私は言いたいのだ。大澤は、「受賞の言葉」にこんなことも書いている。
  ≪私はこの作品に絶対的な自信がある。≫
 大澤信亮の将来を期待しつつ見守りたいと思う。ちなみに、「新潮新人賞」の「評論部門」の募集は今回で終りらしい。