文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「毒吐き@テック」問題について…。


政治ブログランキングの上位にいた「毒吐き@テック」氏のブログが、突然、消えたようだ。一部には、「毒吐き@テック」ブログをめぐる「詐欺事件」の噂も流れているらしい。いろいろ理由はあるのだろうが、僕には真相はまったく分からない。外野席の野次馬からの素朴な感想として僕の推測を言えば、テック氏は、正確には覚えていないが、約一年ぐらい前から(?)、政治的立場としては「安倍麻生一派」に急傾斜し、その視点から、安倍事務所や麻生事務所等と連絡を取り合った上で(?)書いているのではないかと思わせるかのような露骨な応援記事を、頻繁に、しかも躁状態を思わせるように興奮した筆致で書くようになったが、結果はテック氏の思惑とは逆に、「安倍の辞任」、「麻生一派の総裁選惨敗」…という悲惨な結末で終わったわけで、その結果としてテック氏はブログを書き続ける意欲を喪失したのではないか…というものだったが、他のブログ記事を読んでいくと、事はそんな単純な問題ではなく、真の問題は、テック氏が反女帝論の立場から行っていた旧宮家復籍キャンペーンの「フラッシュ製作募金」をめぐる詐欺疑惑事件の方にあるようだ。銀行振り込みで、金を集めただけで、実際のフラッシュ製作はまったくやっていなかったらしいのである。ところで、「テック問題」をめぐって、テック関係人脈の中に、僕の名前(山崎行太郎)もチラッと出ているようなので、少しテック氏との関係を説明しておきたい。僕は、数年前の「西村真悟逮捕事件」の頃から、まったくブログの上だけのことだが、テック氏とはかなり親密な関係にあった。僕は、しばしばテック氏から、メールではなくブログ上で、情報や写真の提供を受けたし、テック氏も、僕のブログ記事を頻繁に紹介したり引用してくれていた。あくまでもブログ上でのことだが、僕は、その頃は、テック氏を数少ない戦友の一人だと思っていた。「つくる会」分裂騒動や「クライン孝子批判」では、実質的に見れば、僕は彼と「共闘」していたと言っていい。編集プロ・ジャーナリスト集団(?)である「オフィス・マツナガ」ブログに、僕のブログを紹介し推薦してくれたのもテック氏だったようだ。「つくる会」分裂騒動では、テック氏と僕の名前が、西尾幹二一派のブロガーとして、つまり「反八木秀次」陣営の欄に並置されていたほどである。その頃は、僕もテックなる人物との出会いを期待していたものである。西尾幹二先生の『江戸のダイナミズム』出版パーティでは、「テック氏に会えるかな」と思っていたが、その時はテック氏は欠席だったらしい。何か出席できない事情でもあったのだろうか。というわけで、僕は、今までのところ、テックなる人物に会ったこともなければ、メール交換をしたこともない。当然だが、「募金」や「寄付」に応募したこともない。したがって、いかなる被害も受けていない。むろん、僕は、ネットやブログでの募金や寄付を根本的に嫌悪する人間なので、周辺に推奨したことなど一度も無い。当然だが、僕の周辺や知り合いには被害者は一人もいない。さて、僕のブログ哲学、ネット哲学は、ブログやネット上に関する限り、完全なる「単独行動主義」である。「孤立を求めて孤立を恐れず」である。僕は自分の言論や思想に自信を持っているが、しかし仲間や理解者や応援団を求めていない。「親鸞は、弟子一人持たず候…」である。ブログを舞台にして選挙に出たり、ブログを舞台にしてある種の党派的な政治運動をする、というのは僕の趣味と思想と心情に反する。したがって、ブログを使って仲間を集めたり、選挙に出たり、資金を集めたりする天木某や瀬戸某のブログにもまったく興味がない。「ブロガーの力を結集しよう!!!」とか、「わたしはあなただ、あなたはわたしだ!!!」「日本のブログの力はまだまだ弱い!!!」などと、自分たちが、日本のブログを代表しているかのような、彼らの思い上がりもはなはだしい、ふざけた言論を読む限り、「甘ったれるな!!!」「何を勘違いしているんだ!!!」と思うだけだ。むしろ彼らの甘ったれたブログこそ唾棄すべき自己欺瞞的、反動的ブログだと僕は思っている。さて、テック氏だが、彼は、ある時点から露骨な「安倍内閣擁護論」を展開するようになった。僕はその頃から、テック氏の言動に疑問を感じるようになり、テック氏が興奮して書き続けるブログ記事への関心も次第に失っていった。小泉・竹中改革を全面擁護するためだけに作られたかのような党派的で謀略的な怪しいブログ、いわゆる「gori」ブログや、一時、政治ランキングのトップを独創していた「依存症の独り言」プログに感じたと同じような疑惑である。特定の政治家の事務所関係に雇われている人物が一般ブロガーを装っているか、あるいは特定の政治家から、何らかの資金援助を受けている人物がその特定の政治家への応援記事を書いているのではないか、というような疑惑である。そういうブログは、雇い主との契約や役割が終わると、「gori」ブログや「依存症の独り言」プログがそうだったように、正当な根拠や理由もなく、ある日突然、自然に消える(笑)。テック氏は、講談社から本を出すと宣伝していたことがあったが、僕は、その時も、「あっ、これは『依存症の独り言』氏の本と同じだな…、タイトルは過激だが、中身は二番煎じ、三番煎じの引用記事だらけで売れないだろう…」と思った。ブログの中の人気と、書籍化したときの人気は違う。「きっこの日記」の本や「依存症の独り言」の本の売れ行きが(予想外に「売れない!!!」という現実)、それを証明している。僕の独断と偏見によれば、「ブログ人気」を支える多くのネット右翼的な読者たちは、むろん例外もあるが、あまり本を読まないB層の(笑)「読者」たちである。彼らは、身銭を切って本を「買う」ことはあまりない。ブログは覗くが本は買わない。趣味に全財産をつぎ込む事も恐れない「オタク」や「アキバ」族とは違うのである。というわけで、テック氏の本は、予想通り、その出版直前にオジャンになったらしい。繰り返しになるが、僕は、テックなる人物に会ったこともなければ、メール交換をしたこともない。当然だが、「募金」に応募したこともない。したがって、いかなる被害も受けていない。テック氏は、本当かウソか知らないが、「山崎行太郎は貧乏だから、オレが大学を世話した…」とかなんとか、仲間うちに吹聴していたらしい。むろん、僕は、テック氏のようにスイス銀行に預金をするほどの億万長者(笑)ではないが、一度も会ったことも話したこともないようなテック氏に、大学の就職を世話してもらうほど、落ちぶれてはいない。ところで、僕は、ブログに依存している、と言っていい。誰がなんと言おうとも、ブログなるものに僕は過大なる期待を寄せている。むろん、僕は、「落ちぶれた…」からブログに依存しているのではなく、雑誌や出版社等の既存ジャーナリズムの「奴隷」になり、雑文や駄文を大量生産させられ、適当に利用された挙句、ボロクズのように「使い捨て」にされたくないから、自前の言論手段としてのブログに依存しているのである。誰に気兼ねすることもなく、また誰の検閲も受けることなく、自由気ままに、しかも手軽に書けて、そして書いたその文章を、未知の多くの読者に向けて発信し、自由に読んでもらえる、という便利のツールとしてのブログが、僕は好きなのである。原稿料などが一銭も入らなくても、「書きたいものを自由に書ける場所」としてのブログに期待しているのである。僕の敬愛する小林秀雄江藤淳も、そして吉本隆明柄谷行人も、ともにジャーナリズムで売れっ子でありながら、「書きたいものを自由に書ける場所」として「同人雑誌」なるものを刊行していた。彼らの主要な仕事は、そこで行われた、と僕は思っている。僕は、今、小林秀雄等が同人雑誌(「文学界」「季刊芸術」「試行」「批評空間」…)をやった時と同じよう意図と戦略の元で、形式や方法は違うが、ブログをやっている。言うまでもなく、ブログを使って選挙運動をしたり、資金集めをしたり、仲間集めをしたりするのは、僕の趣味ではない。むろん、やりたい人は勝手にやればいい。僕の関知するところではない。いずれにしろ、今は、テック氏と、テック氏に金を騙し取られたという被害者たちの前途に光のあらんことを願うのみである。



■参考資料ブログ

オフィス・マツナガ・ブログー「毒吐き@テック」の閉鎖に関して
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50447254.html

もののふのこころ」ーテック氏、疑惑の件
http://trekky.mania.cx/blog/archives/2007/08/post_259.html

nikaidou.com 寸借詐欺@テクニック
http://www.nikaidou.com/2007/04/post_161.html

nikaidou.com 寸借詐欺犯を告訴せよ!
http://www.nikaidou.com/2007/05/post_242.html