文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

何故、スキンヘッド飯島は、テレビ出演し松岡遺書を振りかざしたのか?

dokuhebiniki2007-05-31



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宇都宮の銀座通りとでも呼ぶべきオリオン通りの片隅に「屋台横丁」がある。僕は、宇都宮に行った日の帰りには、そこに必ず立ちより、盛り蕎麦や焼と鳥を肴に生ビールを2、3杯飲むのを日課としている。屋台横丁には2、30軒の小さなお店が軒を連ねている。繁盛しているのか繁盛していないのか、僕のような素人にはわからないが、僕は、あまりにぎやかな店は嫌いなので、そんなことはまったく気にならない。むしろ僕は、いつも、流行っていないような人気の無い店を選んで入ることにしている。要するに、屋台横丁のいいところは一人で楽しく飲めるところだ。なんせ、4、5人座れば満杯というような店ばかりなので、集団行動が自慢の、騒々しいサラリーマンや学生が少ないところがいい。僕は、屋台横丁で一人で飲み、それからほろ酔い加減で駅まで歩き、大宮までの新幹線に乗る。車内では、北関東の夕暮れの田園風景や山なみをぼんやりと眺めながら、駅の売店で買った缶ビール一本を飲む。飲み終わらない内に大宮に着いてしまうこともしばしばだが、短い時間とはいえ、これがまたとてつもなく楽しい時間だ。最近の僕のマイ・ブームの一つがこれなのである。むろん、東京近郊の通勤通学の電車等では、時間はあっても、こういうことは不可能だろう。最近は、群馬や栃木あたりから新幹線を利用して東京通勤というのも珍しくないようだ。僕が利用する時間も、方向は反対だが、新幹線はほぼ満席である。夕暮れ時の新幹線ホームでは、缶ビールやツマミを手に、あわてて電車に飛び乗るサラリーマンも少なくない。おそらく、それぞれの方法で楽しい優雅な時間をすごしているのだろう。在来線の満員電車とはまったく異なる別世界がそこにはある。さて、昨日、その屋台横丁の某店で、いつものように一人淋しく(笑)…、ビールを飲みながら、退屈まぎれに壁にかけられた小さなテレビを見ていたら、なんと、あの飯島元秘書官が出ているではないか。安藤優子を相手に喋るわ喋るわ…。こんなに口の軽い男だったのか、飯島って(笑)。フジテレビのスーパーニュースである。おやおや、「裏方さん」だから表には出ないはずなのに、どうしたのかな、と思って見ていたら、自殺した例の松岡農相の遺書の一つを振りかざしている。松岡農相は、安倍や自分の事務所の秘書、後援会等へだけではなく、飯島元秘書官にも遺書を書き遺したらしいのである。飯島が手に握り締めている封書には、かなり乱雑な、取り乱したような字で「飯島秘書官様」と書かれているようだ。飯島は、松岡と自殺の直前まで携帯電話で連絡を取り合っていたようなのだ。ちなみに安倍への遺書は「安倍晋三殿」となっているが、飯島への遺書は「飯島秘書官様」となっていたらしい。「殿」と「様」の違いの意味は、何か。ここらあたりに、松岡自殺の政治的意味と、松岡自殺以後の政局動向を読み解く鍵が隠されているように思われる。つまり、松岡農相をめぐって、これまでも水面下で、小泉・飯島一派と安倍一派が、激しい攻防を繰り返していたようなのだ。松岡の自殺でその「対立の構図」がマグマのように一挙に噴出したということだろうか。飯島がテレビ出演したのは、「松岡自殺スキャンダル」を揉み消そうとしている安倍一派へのブラフか。「安倍よ、オマエがなにをやったか、何もかも知っているよ!!!」ということだろうか。飯島は、松岡遺書を、即座に小泉に見せているらしい。小泉は、遺書を読み、安倍に対して激怒したと言われているが、はたして何処から何処までが事実で、何処から何処までが情報攪乱の猿芝居なのか。いずれにしろ、「参院選挙大敗北」の可能性が見えてきた現在、小泉・飯島はどう動くのか? 飯島は、「松岡自殺騒動」は参院選には影響ない、とわざわざ怪しげな解説をしたらしいが、それこそ情報工作そのものだろう。さて、話は変るが、実は、僕は、松岡自殺の夜、都内某所で、佐藤優の講演や亀井静香代議士の話(短い挨拶)を聞いた。他の政治家やジャーナリストたちが必ず松岡自殺に触れたのに対して、亀井代議士は一言も松岡自殺騒動に触れようとしなかったばかりではなく、逆に、国民新党の「党歌」になったらしい川内広範の「おかあさん」を楽しそうに熱唱していた。むろん、松岡と亀井の関係で言えば、松岡は、郵政政局で、亀井一派(現・伊吹派)に属しながら、亀井、平沼等の「反小泉」一派を裏切り、逆に敵側の小泉・安倍一派にお土産持参で、「裏切り者」として取り入り、飯嶋等に雇われた汚れ役(バシリ?)の先兵として亀井・平沼一派潰しに暗躍し、そしてその論功行賞で、念願かなって農相という大臣ポストを獲た、そういう暗い過去を持つ政治家である。先日の「月刊日本」創刊10年記念のパーティには、反小泉系の亀井静香鈴木宗男等に混じって、松岡農相も出席していたが、前にも書いたように、さかんに「自分は亀井先生の子分だ!!!」と、亀井静香代議士へのラブ・コールを繰り返していた。何故、今更、亀井に擦り寄る必要があるのか。しかし、松岡の挨拶を聞いて僕は嫌な感じはしなかった。むしろ、松岡って意外にマトモな政治家だなあー、と思ったものだ。「親分を裏切って地獄へ突き落とし、その功績で大臣ポストを得た」という消し去ることの出来ない汚点に、密かに「自責の念」を持ちはじめていたのだろうか。あるいは松岡に、もっと別の何らかの心境の変化でもあったのだろうか。いずれにしろ、松岡が、「裏切りの代償」として、追い詰められていたことは、「反小泉派」の旧同士・鈴木宗男に救いを求めたことからも明らかだ。飯島は、パシリ役の松岡に、今度は何をやらせようとしていたのだろうか。「国民新党潰し」の大役か? 松岡自殺後、松岡は外見や言動とは裏腹に、意外に神経質で脆弱な人間だったというような、自殺して当然だとでもいうような怪しい噂がさかんに流されているが、はたしてその噂は本当なのか。むろん、ちがうだろう。松岡が神経質で脆弱であるはずがない。図太い神経の持ち主である松岡ですら耐えきれないような危険な、薄汚い大役を、飯島に押し付けられようとしていたのではないのか。裏切りの代償はあまりにも過酷だったということか。松岡自殺の午前中も、飯島は、携帯で松岡を呼び出そうとしたが、携帯がつながらなかったと言う。松岡は、毎日かかってくる飯島の執拗な呼び出しから逃げたかったのだろうか。飯島が松岡に課した大役とは何か…。「汚れたる者は、さらに汚れたることをなせ…」ということか。





■「毒蛇掲示板」(http://bbs10.fc2.com/php/e.php/dokuhebi-bbs/)への投稿より…。

Blogらくちんランプより
 「http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/5680375.html

飯島勲秘書官がテレビに出演し、遺書について語った!


 飯島勲小泉首相秘書官が、今日の夕方6時のスーパーニュースというフジテレビ系列の番組に出演し、安藤優子アナとのインタビューに応じる形で、松岡農相が飯島氏宛に書いた遺書の「封書」を示しました。
 飯島氏は安藤アナの質問に答える形で、遺書の中身は開示できないと明言し、筆跡については「慌てて書いたようだ」との趣旨の発言をしました。
 そして、「松岡氏が死亡した日の午前中に、松岡氏の携帯電話をコールしたが応答がなかった。」と発言しました。
 そして、松岡氏の死は、夏の参議院選挙には影響はないと、明確に言い放ちました。

 さて、なぜ松岡氏が死亡して2日しか経過していない今日、飯島氏はテレビに出演する必要があったのでしょうか?
 それは、松岡氏と自分(飯島)は、普段から連絡を取り合っている親しい関係であるので、松岡氏が自分(飯島)宛に遺書を書いたとしても、特段疑う必要がないとの印象を国民に植え付けるため。
松岡氏が死亡していた議員宿舎内で発見された遺書は、全て松岡氏自筆の本物であり、筆跡鑑定を行う必要はないとの印象を国民に植え付けるため。
大新聞やテレビ各局に対して、松岡氏の死亡原因を詮索したり、遺書に疑問を抱く内容の報道をするな!これは小泉=アメリカの意思だ!というメッセージ送るため。
そして最大の眼目は、緑資源機構の案件を担当している東京地検特捜部の検事達に対して、夏の参議院選挙が終わるまでは、青木幹雄自民党参議院議員会長周辺には近付くな!というサインを送ることだったと思います。

 ペテン師小泉純一郎内閣時代の郵政政局前に、亀井グループに属していた松岡氏は、平沼・亀井らによる倒閣運動に当初は参加していましたが、自民党内での勢力争いが、小泉側が有利と見るや、さっさと平沼・亀井らに見切りを付けて、小泉に取り入ってもらうために飯島秘書官に接近し、飯島氏に何度も嘆願するようになり、ようやく小泉との面談を果たした時には、完全に小泉(飯島)に懐柔され、今後自分が政界での確固たる地位を築くために、小泉の親衛隊隊長として働く決意を固めたのだと思います。
 旧友の鈴木宗男氏が、小泉の道路公団民営化に刃向かった為に、政界から引きずり下ろされている姿を見ているだけに、小泉への忠誠心は人一倍強かったと思います。
 そして安倍内閣の組閣の際に、小泉(飯島)は安倍内閣を操る道具として、金に纏わる噂が絶えない松岡氏を、ただ一人だけ閣僚として推薦したのです。
 農林水産省大臣に就任した松岡は、安倍内閣国務大臣としての職責を必至にこなしたのはもちろんですが、安倍晋三の動向は飯島(小泉)へ逐一報告していたようです。
 
 安倍内閣発足直後から、安倍内閣の国会運営は、小泉(飯島)の思惑通りに展開し、松岡農相の「事務所費問題」がクローズアップされるようになったのも、後ろで手を引いたのは小泉(飯島)であり、野党から政治と金の問題でどんなに追及されても、安倍が頑として松岡農相を罷免しなかったのは、安倍の意思ではなく、小泉(飯島)の意思だったのではないでしょうか。
 もちろんその目的は、安倍内閣をある程度弱体化させ、小泉(飯島)院政を維持するためです。

 という訳で、今日飯島秘書官がテレビに出演して「遺書」について語ったのは、現内閣の実質的な支配者は小泉純一郎であり、いざという時には小泉純一郎が再登板する用意は調っている事を、自民党の支持率低下で不安がっている自民党支持者(党員・財界・官僚)に知らしめる事が、最大の眼目だったのではないでしょうか。」


■松岡氏の遺書、飯島前首相秘書官宛の中身は

松岡氏の遺書、飯島前首相秘書官宛の中身は


 数多くの疑惑と謎を抱えて自殺した松岡利勝農水相議員宿舎のテーブルに8通の遺書が整然と並べられていたが、その中に小泉純一郎前首相に仕えた飯島勲・前首相秘書官と、自民党景山俊太郎参院議員にあてられたものがあったことが注目されている。死の間際に松岡氏は何を考えたのか。

 「私自身の不明、不徳の為、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫び申し上げます。自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます」

 松岡氏は「国民の皆様、後援会の皆様」と題する遺書にこう記していた。その他、安倍晋三首相ら6人には封書の遺書で「親展」とあったが、この中に飯島氏と景山氏あてがあった。

 飯島氏への遺書の存在を報じたのは30日の朝日新聞朝刊。

 飯島氏は1945年、長野県生まれ。72年、小泉氏の初当選直後に秘書となり、小泉氏の大臣就任とともに厚相秘書官、郵政相秘書官などを歴任。2001年4月、小泉内閣誕生に伴い首相秘書官に就任した。

 その独特の風貌と、永田町や霞が関に築き上げた人脈から、秘書官当時、閣僚以上の存在感を発揮していたが、なぜ、松岡氏は国会議員でもない飯島氏に遺書を残したのか?

 ここに興味深い新聞記事がある。06年9月27日、松岡氏の地元紙「熊本日日新聞」が報じた、「安倍内閣発足 松岡氏待望の初入閣」という記事だ。

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   ●午後3時、松岡事務所に、安倍首相から電話が入った。松岡氏は『たった今、連絡を受けた。安倍内閣の一員として国民のために頑張りたい』と神妙な表情。小泉首相飯島勲秘書官に早速、連絡し、『秘書官のおかげ。本当にありがとうございます』と頭を下げた●
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 飯島氏は、松岡氏が自殺を図った28日、慶応病院にいち早く駆け付けている。

 自民党関係者は「小泉内閣時代、郵政政局で主流派に転じた松岡氏が、首相官邸に『定期便』と揶揄されるほど頻繁に訪れていたのは有名。松岡氏の入閣に『小泉サイドの力が働いた』という噂はあるが、事実は分からない。安倍首相が松岡氏をかばい続けた一因もそこにあるのか。ただ、遺書を残すほど2人が密接だったことは間違いない」と語る。

 一方、景山氏は1944年、島根県生まれ。70年に早大大学院修了後、竹下登元首相の秘書になった。島根県議を経て95年に参院議員に初当選、現在2期目。「参院のドン」こと青木幹雄参院会長の懐刀といわれる。

 景山氏は松岡氏にとって長男の義父にあたる親戚同士。遺書を残しても不思議ではないが、それ以外にも気になる接点がある。

 東京地検特捜部は25日、松岡氏の地元・熊本県にある農水省所管の独立行政法人緑資源機構」の出先機関阿蘇小国郷建設事務所」に家宅捜索に入った。

 農林業振興などを目的とした「特定中山間保全整備事業」をめぐる談合疑惑がターゲットとされたが、この事業の事業区域は何と、松岡氏の地元・熊本と、景山氏の地元・島根の2カ所なのだ。

 松岡氏は家宅捜索が入った25日、その後の予定をキャンセルして地元入りし、父の墓参りなどを済ませ、週明けの28日に自殺した。

 「誰も言おうとしないが、景山氏あての遺書があったのは、単に親戚ということだけなのか…」(党関係者)

 松岡氏が残した闇は深い。
(ZAKZAK)

■<松岡農相自殺>遺書8通残す

□<松岡農相自殺>遺書8通残す 「国民の皆様」宛てなど判明 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070529-00000046-mai-soci

松岡農相自殺>遺書8通残す 「国民の皆様」宛てなど判明
5月29日15時15分配信 毎日新聞

 故松岡利勝農相が残した8通の遺書のうち、封書の6通のあて名は▽安倍晋三首相▽縁せき関係にある島根県選出の景山俊太郎参院議員▽小林芳雄・農水事務次官▽青山豊久農相秘書官と警護官(本名)▽小泉純一郎前首相の前秘書官の飯島勲氏▽事務所の事務担当者(本名)。そのほか、「国民の皆様 後援会の皆様」と題された農水省のA4判の便せんに横書きで記された遺書の全文と、発見者のために便せんに書かれたとみられるものは次の通り。


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 ◇国民の皆様 後援会の皆様
 私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。
 自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。
 なにとぞお許し下さいませ。
 残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。
 安倍総理 日本国万歳
 平成19年5月28日 松岡利勝
 ◇(発見者のために書かれたとみられるもの)
 家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。
 女房が来るまでは、どこにも触れないで下さい。
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最終更新:5月29日15時15分