文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

鈴木宗男発言に注目せよ。

松岡農相が、自殺の直前、前日か前々日に、鈴木宗男に会見を申し込み、懇談しているようだが、その時の様子を鈴木宗男が暴露している。鈴木が、「国民に謝罪した方がいいのではないか?」と忠告したのに対して、松岡は、「自分もそうしたいと思っているがそう出来ない事情がある。」、つまり「辞めたい(国民に謝罪したい?)が、政府の方針としてそれが出来ないのだ。」と苦しい胸のうちを吐露したようだ。おそらく鈴木宗男発言に嘘はない。ほぼ真実に近いだろう。松岡をマスコミの餌食にし、国民の前に「さらしもの」にしようとしていた政治勢力があったことは間違いない。最後には、タイミングを見計らって、松岡だけを「血祭り」にあげて切り捨て、自分たちは清廉潔白を誇張しつつ、生き延びる作戦だっただろう。ところが、辞めたがっている松岡に対して、「辞めないで徹底抗戦せよ、という政府の圧力があった。」という鈴木発言に対して、黙っていればいいのに、中川(女)と安倍シンゾーが、わざわざ記者会見して、鈴木発言を「全面否定」(笑)したようだ。あいかわらずのボケぶりである。記者会見してまで、「そんなことは言っていない」なんて言うから、逆に世間の目には、「自分たちが犯人だ。」「自分たちが殺した。」と告白ているようなものじゃないか。手の内が見えすぎだよ。バレバレ?(笑)

松岡大臣と自殺前に会食した鈴木宗男職員の告白=====


自殺した松岡大臣は何に悩み、どんな様子だったか。直前に酒を飲んだ盟友・鈴木宗男議員(59)が松岡大臣との「最後の夜」について打ち明けた。自殺する4日前の、松岡氏の誘いに応じて1時間半ほど一緒に過ごした時の様子は生々しい。「(疑惑について)国民にきちんと説明し、お詫びしたらどうか」と切り出すと、「今は黙っていた方がいいと国対からの指示なのです」と弱気な口ぶりだったという。
nikkann genndai


■「ムネオ日記」より。

2007年5月28日(月) 鈴 木 宗 男

 議員会館から羽田に向かっている最中、私の携帯に新聞社の方から「松岡大臣が自殺を図った」と第一報が入る。ビックリして松岡大臣議員会館に電話し、赤松秘書官に確認すると、自殺を図ったのは事実との事。ただただ驚き、言葉を失った。
 閣僚になってから何かと狙われた感のある報道が目立ったが、特に「ナントカ還元水」以来、世間の目は厳しかった。最近の緑資源機構の談合事件も、所管官庁の長として責任を感じていたのか。農林水産省のまだ肩書のなかった役人時代からの、35年にわたる付き合いだったが、何ともあっけない永遠の別れである。奥様はじめ、ご家族に心から哀悼の意を表したい。
 今となっては24日夜、熊本の地元の人が出てきたので会食につきあって欲しいと早くから言われていた会合でゆっくり話したのが最期となってしまった。その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。私はなお、「これからも何かにつけこの話は続くので、早く国民に正直に説明した方が良いと思うよ」と重ねて話すと、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけです」と、にっこり微笑んでくれた事を想い出す。
 どうして自ら命を絶ったのか。ご本人しかわからぬ事である。第三者が詮索するのは避けるべきだ。
 私も昭和58年、中川一郎先生が亡くなられた時、心ない人達から「自殺の原因は鈴木宗男だ」と、マスコミを使い、権力を使って叩かれたものである。あの時、飛行機に乗っている時、ふとこのまま墜落してくれないかと思ったことさえある。5年前バッシングに遭った時も、テレビ、新聞、週刊誌が毎日私の事を書き立てた。事実でない事があたかも事実の様に作られていく。検察のリーク、外務省からの情報、裏付けのとれない話がそのまま流れてしまう。あの時も「死んだ方がましだ」と思った事がある。
 しかし、いつの時も松山千春さんはじめ、家族、秘書、後援会の人が私の「命」を心配してくれた。松岡大臣の悲しい知らせを聞くと、私自身なんとなく松岡さんの胸の内がわかる。平成14年5月29日から私が逮捕されるまで、毎日の様に私に励ましの電話をくれた松岡さんだった。
 松岡さんが自らの命を持って政治とカネの問題にケジメをつけたとするなら、与党の皆さんは事務所費5万円以上の領収書添付で果たして良いのか、国民の目線に立った議論をし、例えば全ての領収書添付を義務付けるべきではないのか。民間企業、一般社会ではそれが常識なのだ。当たり前の事をしていく事が今求められている。
 私は政治資金規正法改正の議論が出てから、一貫して領収書添付を訴えてきた。なぜ早くやらないのかと私自身憤りを感じてきたし、国民はもっと怒りを感じている事だろう。大事な命が亡くなったのである。松岡さんに応える意味でも、政治資金の透明性確保、情報開示を図る事が大切ではないのか。
 古賀誠先生の女性部後援会「乙女会」の会合で講演を頼まれ、熊本に行く。松岡さんの地元での会合であり、飛行機に乗るかどうかためらったが、政治家は約束を守る事が一番だ。会場も松岡さんの支持者であると聞かされていたので、松岡さんとの想い出話をするのも松岡さんに対する供養になると私なりに考え、熊本での時間を過ごす。
 身命を賭としての決意をするならば、そこまで考えていたのならば、また別の生き方があったのではないかと考える時、やはり松岡さんの死は残念でならない。24日、「また別の会合があるから」と言って席を立って出て行かれた姿が目に浮かぶ。

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