文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「サイゾー」の取材を受ける。文壇の言論弾圧について。

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先日、連休初日の「大和正論の会」主催の「小林秀雄大東亜戦争」という講演会に続いて、連休の合間に、「サイゾー」という雑誌の取材を受けた。「サイゾー」という雑誌がどういう雑誌かもよく知らないまま取材を受けたのだったが、内容は、主に戦時中の文壇の言論弾圧についてどう考えるか、というものだった。むろん、言論弾圧言論統制は露骨な形で目に見えるわけではないが、隠微な形で今も厳然と存在するわけで、当然、話は現在の「言論統制論議にまで及んだ。僕が主として話したかったことは、戦前の言論弾圧でも戦後や現在の言論弾圧でも、弾圧とは別に、それに迎合する人間が少なくないと言う現実であった。戦前や戦時中は言論弾圧言論統制が厳しくて自由に物が言えなかったとか、自由に書くことが出来なかったという話は、掃いて捨てるほどあるが、それは必ずしも正確ではない。弾圧がまったくなかったわけではないが、それよりも権力や政府、軍部の顔色を伺ってばかりいるような、つまり権力に迎合する人間が少なくなかったという事実の方が重大問題だろう。むしろ、権力に弾圧される人間より、喜んで権力に迎合し、権力の走狗となる人間が多いと言う現実には、かなり驚く。しかもそういう人間にかぎって権力や軍部の弾圧やその被害者振りを誇張して語る。たとえば、石川達三というベストセラー作家がいるが、彼は第一回芥川賞受賞作家であるが、戦前も戦後もベストセラー作家だった。この事実が何を意味しているかはすでに明らかだろう。石川達三という作家は、時局に敏感で、その時その時の権力に迎合することが得意な作家だったということだ。戦時中は軍部に迎合し、戦後は反戦平和主義という戦後イデオロギーにうまく迎合し、そして常に流行作でありつづけたのである。流行に乗るというのも、ある意味では作家としての重要な才能の一つではあろうが、死後の石川達三への評価が示しているように、そういう作家に対して厳しい歴史的な審判と判定が待ち構えていることも確かである。石川に『風にそよぐ葦』というベストセラー小説がある。戦時中の「言論統制」「言論弾圧」をテーマに、自らを被害者役に仕立たメロドラマ風の小説で、戦後の「言論の自由」と民主主義的風潮を代表する小説であるが、この小説が、自己欺瞞と歴史の捏造による噴飯物の小説であることが、佐藤卓巳の近著『言論統制』によって暴き出されている。確かに石川は、昭和13年中央公論特派員記者として中国戦線に現地取材し、「生きている兵隊」という小説を書いて、発禁処分を受けている。一見、権力や軍部に弾圧された作家のように見える。石川が、戦後の民主主義的な風潮に合わせて、戦時下の言論弾圧の被害者ヅラをして、『風にそよぐ葦』を書いたのも無理はない。しかし、石川の『風にそよぐ葦』にも悪役として登場する軍人検閲官僚だった鈴木庫三の残した日記を綿密に分析した佐藤卓巳の研究によると、石川の小説は「嘘だらけ」ということになる。(続く)

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