文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ドストエフスキーは沼野充義には無理だろう.。

 今月は、「すばる」が、ドストエフスキーを特集しているが、これがまた、「東大似非アカデミズム」的特集でまったくつまらない.。中心の企画は大江健三郎沼野充義の対談だが、私は沼野充義ドストエフスキー研究の権威だとはまったく知らなかったので、このドストエフスキー対談「ドストエフスキーの゛新しい読み゛の可能性――ロシア・東欧文学をめぐって――」には、ちょっと驚いた. 。たとえば大江健三郎が、沼野充義ニ向かってこういう話をしている..。  ≪高校から大学へかけて私が読んだロシア文学は、トルストイドストエフスキーが中心でした.。もちろん、そのほかにも、神西清さんのチェーホフプーシキンの研究、それんからロシア・フォルマリズムに属する文章の先駆的な翻訳、蔵原惟人氏ら左翼のロシア文学理論なども読んでいましたけれども、それでも中心はトルストイと、そしてもっとドストエフスキーで、それでもこの二人の研究は閉じられている、新しい風が吹いてこないという気がしていました.。特にドストエフスキーについて新しい本が出ていると聞くと、洋書でも翻訳でも、本屋に寄って見たりはしていましたが、そのような状態のまま時間が経過していた.。そこへ一挙に雪解け水の洪水のように、沼野さんたちがあらわれたのです.。あなたはむ、ハーヴァード大学のスラヴ語学科にいらっしゃったんですね.。≫  私は、この引用文の前半の大江健三郎ドストエフスキーの関係には、大いに関心を持っているが、しかし後半の大江健三郎の社交儀礼的なお世辞話の方にはまったく関心がない.。そもそもドストエフスキーの「新しい読みの可能性」と「ハーヴァード大学のスラヴ語学科」に何の関係があるのか.。ハーヴァード大学のスラヴ語学科にドストエフスキー研究の権威でもいるのだろうか。いるはずがない。この大江健三郎の問いかけに対して、沼野充義アメリカの大学業界の裏話を披露しているが、つまり教授や助教授のポストをめぐる裏話を披露しているわけだが、それこそがこのドストエフスキー-特集の質を暗示している。そもそもドストエフスキーを語るのに沼野充義では役不足だろう.。沼野充義ロシア文学者、ロシア文学研究者かもしれないが、それほどドストエフスキーに集中的に関心を寄せているわけではなかろう。私の友人に、40年以上、ドストエフスキーに打ちこみ続け、膨大なドストエフスキー研究書を書き上げ、未だに書きつづけている清水正という男(日大芸術学部教授)がいるが、清水から見れば、沼野充義らのドストエフスキー論は児戯に等しい.。しかし、文壇や文芸誌を支配しているドストエフスキーに関する論調は、沼野充義的なものである.。 さて、この問題とも関連することで、先月、四方田犬彦の『先生とわたし』を取り上げた時、うっかり引用し忘れていた文章があったので、あらためてここに引用しておこう。四方田犬彦が次のように「東大似非アカデミズム」を批判的に描いている場面だ。  ≪ここでわたしの個人的回想をお許しいただければ、1970年代の後半の東大駒場の大学院では、早稲田大学慶応義塾大学の正確な場所を知らない学生がいくらでもいた.。ましてそこでどのような教師カがどのようなゼミを開講しているかということについても、無関心だった.。わたしのように、ロシア・フォルマリズムの研究会があると聞けば早稲田の新谷敬三郎のもとを訪ねたり、宇波彰の講演があると聞きつけると、他校の学園祭に駆けつける者は、いたって少数派だった。東大の中にいればすべては安心.。最高の教授陣のもとに最新の学問に接することができるという楽天主義が、大学院生の間に無意識的に共有されていた.。その癖彼らは、非常勤で到来する他大学の教師たちに対してはどこか距離をもって接し、教員どうしの派閥や個々の学歴に異常なまでの関心をむ抱いていた.。どの教師のゼミに出席し、どの教師の覚えが目出度ければ、いい就職口を世話してもらえるはずだという計算の高さ、が、そこにはあった.。≫  わたしは、ここで四方田犬彦が書いていることを根拠に、東大アカデミズムは俗物ばかりで、就職口を求めてさまよっている小市民の溜まり場に過ぎない、と批判したいわけではない.。東大を筆頭にどこも同じようなものだろう.。ただ、私が、ここで指摘しておきたいのは、東大大学院あたたりで繰り広げられている学問や思想や文学をそっちのけにした「俗物たちの狂宴」が、文壇や文芸誌にまで浸透してきており、それが文学不振の一因だろう、ということだけだ。

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