文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

池田晶子は、何故、文壇や文芸誌を拒絶したのか.?

 つい最近、優れた哲学的エッラセイの書き手として知られている池田晶子が、46 歳の若さでガンで死んだらしいという情報に接した時、私はまず、池田晶子と文壇との関係について考えた.。というのも、書かれたものを読む限り、池田晶子こそまさしく文壇や文芸誌を舞台に活躍すべき「文藝評論家」、ないしは「文藝批評家」とでも呼ぶべき存在であり、それに相応しい本質的な、哲学的な議論の出来る物書きだったからだ.。が、池田晶子自身は文壇や文芸誌とのかかわりを拒絶し、あくまでも仕事の場所を週刊誌や普通の総合雑誌等に限定し、肩書きも文藝評論家とか批評家と名乗ることはなく、死ぬまで「文筆家」とか「著述家」とかいうような、かなり不安定な、怪しい肩書きを名乗っていた.。池田晶子は、何故、文藝評論家という肩書きを名乗らなかったのか。小林秀雄を熟読し尊敬していると公言していた池田晶子が、何故、文壇や文芸誌と関係を築こうとせず、もっぱら週刊誌のコラム欄やエッセイ欄を仕事の場所に選んだのか、私には大きな謎だった.。言い換えれば、池田晶子のような物書きを取り込もうとしない文壇や文芸誌の編集方針や編集姿勢にも大きな問題があったと言うべきかもしれない.。 私の考えでは、最近の文芸誌は、本質的、哲学的、原理的な議論を好まず、もっぱ文壇社会の楽屋話や内輪話程度の議論に終始しているように見える.。本質的、哲学的、原理的な議論こそ文芸誌に必要不可欠なものだろうと私などは思うのだが、編集者たちの意向は、むろん柄谷行人等の書くもののように一、二の例外はあるが、そういう本質的、哲学的、原理的な議論は他の場所でやってもらいたい、文芸誌では作家や小説を適当に褒めてくれて、作品の解説や文壇情報の紹介等を真面目に丁寧にやってくれればそれでいい、というもののように感じられることが少なくない。池田晶子が、文壇や文芸誌を拒絶した理由は正確にはわからないが、私は、おそらくそういうことだろうと考える.。 むろん、問題は池田晶子だけのことではない.。私の同世代に、同世代の中ではもっとも優れた批評家である「スガ(糸ヘンに圭)秀実」という文藝評論家がいる。かなり昔、「すばる」で、「マル・バツ式の文藝時評」を連載し、厳しく批評された作家たちから激しいブーイングを浴びた文藝評論家だが、その後、彼はほとんどど文芸誌には登場しない。おそらく登場させてむもらえないのだろうと思われる.。これまた、私の推測だが、「スガ(糸ヘンに圭)秀実」の場合は、その言説の内容やスタイルがあまりにも批評的に過激であるが故に文芸誌から排除されているように感じられる.。私は、「スガ(糸ヘンに圭)秀実」の批評的言説を全面的に擁護しているわけではなく、その言説には批判的なことも少なくないが、それでも「スガ(糸ヘンに圭)秀実」を排除しようとする文壇や文芸誌には不満を感じる.。むろん、「スガ(糸ヘンに圭)秀実」が文芸誌から拒絶されているのと違って、池田晶子は拒絶されたというりも自分の方から拒絶したのだろうか、しかし、それでもこの二つの現象は何か重要な問題を暗示し、象徴しているように見える.。 実は、この問題は、私が、前回と前前回にニ回にわたって書いた文壇や文芸誌における「東大似非アカデミズム」の台頭という問題とも無縁ではない.。言い換えれば、本質的、哲学的、原理的な議論が排除、抑圧されて、もっぱら大学社会での肩書きやポストにしか関心のない「東大似非アカデミズム」関係者や、あるいは茂木健一郎斎藤環春日武彦などのような精神医学者や社会学者が持て囃されているところに、昨今の文学の不振、文壇や文芸誌の地盤沈下の原因の一端が垣間見えると言っていい.。

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