文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西尾幹二先生から新著『江戸のダイナミズム』が届いた。現代保守思想の神髄は、ここにしかない!

最近の保守思想は、誰にでも分かるような軽薄なイデオロギーとして流通しているので、馬鹿でもサルでも保守思想を語っている。保守思想家にも値しないような、流行に弱いジャーナリストや評論家や政治運動家たちが、さかんに保守思想を語り、保守思想家を気取っている時代だが、僕は、その手の論文や書籍をまともに読んだことは一度もない。せいぜい立ち読みするぐらいだ。申し訳ないが、学問的にも思想的にも程度が低すぎるのだ。僕は、保守関連の会合や勉強会でも、いつも僕の愛読書は、大江健三郎であり、柄谷行人であり、マルクスであると、皮肉交じりに語ることにしている。最近の軽薄この上ない痴呆的な低脳保守には、僕の皮肉さえも理解できないらしく、保守論壇で活躍する人の中にまで、本気で怒る人がいる始末だから、昨今の保守論壇と言うものの知的レベルがどの程度のものかは理解できるというものだろう。現代保守思想の元祖とも言うべき小林秀雄が、「日本の保守思想は、マルクス主義の影響下にそれへの反発と抵抗として生まれてきた」というようなことを言っているが、この小林秀雄的保守思想の起源論にただ一人注目し、小林秀雄の慧眼を高く評価したのは、なんと丸山真男だけだったという皮肉な事実…(笑)。小林秀雄フアンや小林秀雄に影響を受けたという保守思想家は少なくないが、マルクス主義との対決という小林秀雄の理論的思索の真髄に関心を寄せた保守は絶無と言っていい。マルクスマルクス主義を罵倒すれば、それがそのまま保守の存在証明と言うわけだ。しかし小林秀雄は、マルクス主義は批判しているがマルクスその人のことは批判していないのである。むろん、昨今の保守思想家にそんな微妙な思想的闘争の意味が理解できるわけはない。マルクスを読んだこともなしにマルクスマルクス主義イデオロギー的に批判し、それだけでマルクスマルクス主義を乗り越えたと錯覚している昨今の保守思想家たちの知的、思想的レベルは、間違いなく「ネット右翼」レベルでしかない。保守思想が、マスコミやネット空間に蔓延するはずである。というわけで、僕の愛読書は、大江健三郎であり柄谷行人である。決して石原慎太郎ではない(笑)。僕が保守思想家と言われる人たちの中で、例外的に読むのは、西尾幹二である。その西尾幹二が、「江戸思想」に切り込んだのが、この『江戸のダイナミズム』である。「諸君!」連載中から異彩を放っていたが、それが一冊の本にまとまってさらに異彩を放つことになるだろう。さて、何故、江戸思想なのか、という問題である。僕は、個人的な妄想で言うのだが、ホンモノの思想家は、必ず江戸思想に注目し、深入りする、という固定観念を持っている。小林秀雄柄谷行人もそうであった。しかも、なんと、小林秀雄らに先立って「江戸思想研究」の道を本格的に切り開いたのは丸山真男だった。丸山真男の処女作『日本政治思想史研究』である。むろん、西尾幹二の江戸思想研究は、丸山真男小林秀雄のものとは違う。「本居宣長ニーチェ」を併置して、「文献学」という方法に注目しつつ「江戸の思想」を論じる西尾幹二の新著は、これらの先人たちの江戸思想研究を超える何物かを持っていると言っていい。これから熟読するつもりだ。書中にある「私は思想史に関心がなく、偉大な思想家にのみ関心があります。」という西尾幹二の言葉には、刺激された。

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