文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

国見高校サッカー監督が参議院だって…(笑)。こいつ、何、勘違いしているんだ?

安倍は、参議院選挙対策として、次々ととんでもない暴挙に出ているようだが、その一つに、高校サッカーの「国見高校監督」の小峰貞敏を担ぎ出すらしい。よくやるよ。それにしても、高校サッカーの「名将」(笑)だかなんだか知らないが、参議院選挙に手を上げるとは勘違いもはなはだしいね。世も末である。こういう成り上がり志向の俗物が教育現場で大きい顔をしているところに、日本の戦後教育の荒廃の根本原因はあるだろう。小泉は、新潟地震の「出しゃばり町長」を「郵政選挙」に担ぎ出して、物笑いの種になったわけだが、安倍はそれを踏襲して高校サッカーの監督に手を伸ばしたということらしい。それにしても日本人の品格も落ちたものだ。田舎の町長や高校教師が、身の程もわきまえずに、低脳な馬鹿政治家の誘いに乗せられて、ホイホイと「タレント選挙」に立候補するような時代になってしまった、というわけか。おまいらは、「出世」を目指してサッカーをやっていたのか。アホが。「高校サッカー」に泥を塗るなよ。教育者は前面に出ちゃいかんだろうが。そんなこともわからずに、プロ・スポーツの監督しないような派手なパフォーマンスを、テレビなどのマスコミにしゃしゃり出てきて、臆面も無く繰り返している。黒子役としての高校サッカーの指導者に徹しろよ。これからは、高校野球高校サッカーの「監督」をスター扱いすることは、やめたがいいよ。先日の高校サッカー優勝の盛岡商業の監督のインタビューも実に陳腐でつまらなかった。監督の癌闘病美談と全国優勝となんの関係があるんだ? 安っぽいお涙頂戴のメロドラマ作りもいい加減にしてもらいたい。今後、小峰のような、「勘違い野郎」(笑)を出さないためにも、高校スポーツの「監督」は裏方に徹するようにするべきだろう。高校スポーツを政治の道具にするなかれ・・・だね。高校野球高校サッカーも、「監督インタビユー」なんてくだらない儀式はやめろよ。おまいらは、所詮、裏方だろう。何、勘違いしてんだよ。というわけで、「国見高校小峰監督を落選させよう」運動を、全国的に、展開していこうぜ。おまいらは、サッカー馬鹿に徹しろよ。何が「教育改革」だよ。日本人のすべてがサッカー馬鹿だと思っているのか? アホどもが…(笑)。だから、Jリーグの人気もガタ落ちになるのだろう。

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97歳母が後押し!小嶺忠敏氏が参院選出馬表明 高校サッカー界の名門、長崎県立国見高サッカー部前総監督の小嶺忠敏氏(61)が10日、長崎市内で記者会見し、今年7月の参院選長崎選挙区の自民党公認候補での出馬を表明した。会見中長崎選挙区 自民公認に涙ぐむ姿も見せた名将は「教育現場の姿を中央に伝えたい」と同校を全国選手権で6回の日本一に導いた指導力を政界で生かす。9日付で同校の総監督、県教委参与の役職を辞任し、背水の陣で選挙戦に臨む。

 国立、そして日本一を追い続けた名将が、今度は永田町の“ピッチ”を目指すことになった。

 試合でみせる顔とは違った緊張感に満ちた表情。地元のドン、久間章生防衛相(66)を横にした会見で小嶺氏は「教師を38年間やってきた。教育行政と現場の状況は大きくかけ離れている。現場の姿を伝えたい」と言葉に力を込めた。

 郡部の弱小校だった国見高を鍛え抜き、1年で全国レベルのチームに育て上げ、20年余りで全国高校選手権6回の日本一に導いた。その情熱で政界に新風を送る。

 同校の歴史で初の初戦敗退に終わった選手権が閉幕した8日、久間氏から直接出馬を打診された。その後、入院中の母・ミツキさん(97)を見舞った時、こう告げられた。「皆さんにお世話になった分を返しなさい。ずっと支えられてきた。最後には皆さんに恩返しする番だ」。

 この夜、出馬を決意したと話す小嶺氏。エピソードを話すと、病床で闘う母の姿を思い浮かべたのか、思わず目頭をハンカチで押さえた。

 9日には県教委参与、そしてサッカー部総監督の辞表を提出した。重職を投げ打って、政治の世界に飛び込む。

 「子供たちも何となく気付いていたのではないか」と出馬劇を振り返る小嶺氏だが、名門復活がかかる国見高サッカー部の監督人事のメドが立ったことも出馬の一因だ。意中の人物は、Jリーグ監督就任に必須資格のS級ライセンスを持つ40歳台の指導者。「3月までに決定する」と明言した。しばらくは選挙活動に専念するが、グラウンド上で、後任監督や生徒への助言は続ける方針で、サッカーとかかわっていく。

 今後は、自民党県連を中心に展開し、4月の統一地方選後に本格化させる。また前長崎県知事の高田勇氏(80)を会長とする後援会を立ち上げる予定だ。知名度、教育者としての経験値は申し分なし。「私の力だけではできないが、日本の教育を昔の姿に戻したい」。熱血監督の挑戦は終わることはない。

 ◆小嶺 忠敏(こみね・ただとし)1945年6月24日、長崎県南島原市(旧堂崎村)生まれ。61歳。島原商で国体、総体に出場。68年、大商大卒業後、島原商に社会科教師で赴任。70年、同校のサッカー部監督に就任し、国体で2回、総体で1回優勝。84年、国見高に転任し、86年、全国高校選手権初出場。88年、同選手権初V以降、6回の日本一。88年、長崎県民栄誉賞。2000年から同校の校長を務め、06年3月に定年退職。家族は厚子夫人と3女。

(2007年1月11日06時05分 スポーツ報知)





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