文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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雨宮処凛の『ヴァンギャル・ア・ゴー・ゴー』は次の直木賞かも…。

dokuhebiniki2006-10-17

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一昨日、雨宮処凛さんから新刊の小説が届いた。上下二巻の大長編の書下ろしである。雨宮処凛さんとは、先日、見沢知廉一周忌で初めてお会いしたばかりだ。と言ってももう二、三年前から名前も著作もよく知っており、書評や時評で何回か取り上げたことがある。だからもうかなり前からの知り合いのような感じだ。


僕が初めて、雨宮処凛の名前を知ったのは、「群像」の連載コラム「北の国から」(著書は『戦争へ行こう』)に接した時だった。その切れ味のいい、生き生きとしたテンポの早い文章を読んで、僕は、これはタダモノではないと直感したことをよく覚えている。内容は、北朝鮮イラクへの旅行などを通じての右翼活動家たちや元左翼過激派戦士たちとの交流を描いたものだったが、その内容もさることながら、その文体のみずみずしさと文章力には驚ろかされた。これなら十分に小説も書けるだろうし、小説家としてもやっていけるだろうと思った。


一方で、雨宮処凛は、右翼賛美の風変わりのロックバンドを結成し、そのリーダーとしても活躍し、マスコミでもちょっと話題になっているということだった。いずれにしろ、僕には、雨宮処凛が何物なのか、その正体はよくのみこめなかったが、かなりの才能の持ち主だろうとは推測した。


しばらくすると、『EXIT』という携帯メールか何かに連載された小説が新潮社から刊行された。担当の編集者土屋君とは以前から面識があった。あるパーティの席での立ち話のついでに雨宮処凛の話を持ち出したら、土屋君が、待ってましたとばかりに、「雨宮処凛だったら、近いうちにウチ(新潮社)から小説を出しますよ。」と言う。それが『EXIT』であった。しかし、この小説は、インターネットや携帯やメールを素材にし、不幸な少女を主人公にした作品だったが、あまり話題にならなかった。すでにその種の現代小説はありふれていたからだろうか。


それから、僕個人に関するかぎりでは、雨宮処凛という名前をあまり聞かなくなった。エッセイ集が『戦場へ行こう』とういうタイトルで刊行されたが、こちらも、期待していたほど話題になんらなかったように見えた。駄目なのかな、と思っていた時、たまたま見沢知廉の一周忌で本人に始めて出会ったというわけだ。


雨宮処凛さんに気がつき、僕から話しかけたのだが、僕は、すぐに最近は何か書いていますか、と聞いた。すると、「書き下ろしの長編小説を近く出します」というのが雨宮処凛さんの返事だった。僕は、その返事を聞いて、あー、まだ書いていたのか、とホッとしたのだが、その長編小説が、一昨日、届いた『ヴァンギャル・ア・ゴー・ゴー』だったというわけだ。




この長編小説は、雨宮処凛さん自身の、北海道でのロックバンド追っかけ(ブァンドギャル)時代からの体験を自伝的に描いた小説で、質、量ともにパワフルな傑作だ。僕などは、あまりよく知らないし、またその思想信条もよくわからない世界だが、ロックバンド全盛時代の青春群像を、あまり自ら発言したり情報発信をしたりすることのない現場の少女たちの生態を中心に描いているだけに、貴重な作品と言っていいのではないか。来期の直木賞はこれで決まりかな…。

●帯の宣伝文から…。

疾走する青春!
 引き裂かれる心!
 物語は、人の輝きの究極へと進む!
 ヴィジュアル系バンドに魂を奪われ、追っかけの世界に入った北海道の中学生・えり、ノリコ、ユキ。音楽は少女たちに、学校とは違う「もう一つの世界」を見せてくれた。親や学校との軋轢、思春期のとまどい、恋、そしてセックス一一。90年代・バンドの世界を舞台に傷つき、それでも夢中に生きる三人の少女の成長を描き出した、自伝的「ガールズ・ノヴェル」。渾身の書き下ろし大作、ついに登場!

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雨宮処凛について…。

雨宮処凛


出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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雨宮 処凛(あまみや かりん、1975年 - )は日本の女性作家、エッセイストで、元右翼活動家。

右翼活動家(超国家主義『民族の意思』同盟)時代には、ロックバンド維新赤誠塾を結成し『姫処凛』、『維新赤誠塾』、『大日本テロル』のボーカルをつとめた。そのため、彼女のパンク・ファッションなど外見と従来の右翼に対するイメージと活動内容のギャップから、「ミニスカ右翼」として一時は話題になった。現在の服装はロリータ・ファッションで、「ゴスロリ作家」と自称している。元一水会顧問であり、作家見沢知廉の弟子でもある。

日本国憲法前文を読んだことがひとつのきっかけで、右翼思想に疑問を抱くようになり、2001年『大日本テロル』解散後は、「依存してるだけで敬意が感じられない。自分が目指していたのはこんなものではない」と、右翼思想からも一定の距離を置いている。

思春期にいじめ、不登校、家出、自殺未遂、ヴィジュアル系バンドの追っかけをくり返した自身の壮絶な体験をもとにした作品『生き地獄天国』により注目され、以後、主に自殺やいじめをテーマに取り扱った作品を発表している。

また、映画の脚本も手がけており、ドキュメンタリー映画『新しい神様』(監督 土屋豊)では雨宮自身が主役として出演している。

朝日新聞に投稿した事があるが、ほとんど自己弁護に近いものであった。(※ 朝日新聞の掲載されたコラムによると「私達(保守論客)は朝日新聞を否定しているのではありません、公正に報道してほしいと呼びかけているだけです。」…すなわち、右翼思想にも寛容になってほしいというものだがテロ被害に何度も見舞われている朝日の首脳に喝破され以降締め出された。)