文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

朝日新聞が、またまた「ネット右翼批判」・・・(笑)


朝日新聞が、またまた「ネット右翼」を批判したらしい。某ブログ(「美・美ブログ」http://tsukinosennsi.blog64.fc2.com/blog-entry-17.html)から引用する。朝日新聞としては、こういう「高みの見物」的な社会学的批判ではなく、もっと思想的な問題として、真正面から、ネット右翼の台頭という問題を批判をするべきだと僕は思うが、朝日新聞にはそれが理解できないらしい。


つまり「新聞・テレビ・雑誌ジャーナリズム」の言説が機能麻痺に陥っており、その隙間に台頭してきたのがネットやブログのような反ジャーナリズム的言説なのだ。しかし、朝日新聞は、未だに、自分たちの「大新聞」だけが正しいジャーナリズムだと、と錯覚しているようだ。この自己欺瞞の構造こそ問題だろう。


それにしてもこの鈴木謙介という社会学者の分析はひどいな。最近の急激な「右傾化」という現象は、頭の悪い社会学者が暢気に「社会風俗現象」として考えるようなレベルの問題ではないだろう。もっと深刻な問題だろう。


そもそも日本の「右傾化」の流れは、小林秀雄三島由紀夫福田恒存江藤淳、西部ススム、西尾幹二福田和也…などの文藝や思想や学問の蓄積の延長上にあるのだ。そこを無視して、「日韓共済サッカーから始まった…」などと、「ファッションとしての右傾化」ばかりを論じても意味は無い。学者のはしくれなら、せめて、「日韓共催サッカーから・・・」ではなく、「拉致問題から・・・」ぐらいの分析をしてもらいたいね。

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http://tsukinosennsi.blog64.fc2.com/blog-entry-17.html
朝日新聞
5月19日付朝刊
ピーク過ぎたネット右翼 鈴木謙介(ネット上のソースなし)

「若者の右傾化」を象徴する存在として近年「ネット右翼」が注目されている。ネット上で、中国・韓国をけなしたり「左翼メディア」をちゃかしたりする人々だ。
 彼らは、北朝鮮や韓国、中国が日本の戦争責任を指摘するたびに猛反発し、朝日新聞などの「弱腰」で「進歩的な言説」を馬鹿にしあう。
 確かに彼らは愛国心に燃える右翼集団に見えなくもない。だが本質は、右翼と言うよりは「左翼嫌いだ。より正確に言えば、「マスコミに流通する言葉が優等生的な言説ばかりであることにいらだっている」集団である。
 だから彼らが国家主義を目指していると考えると、認識を誤る。彼らの多くはメディアの言説が「左」に傾きすぎていると感じ、バランスと取ろうと考えているのだ。
 ネット右翼が台頭したきっかけは日韓共催のサッカーW杯だ。「韓国人に日本がどうみられているか」に関する情報が大量に流入し、日本が批判されていると知った人々の中から「日本のメディアは韓国に甘い」との反感が噴き出した。

 とはいえネット右翼現象は、すでに沈静化に向かい始めたように見える。おそらく、「韓流ブーム」のアンチとして昨年出版された「マンガ嫌韓流」のブームあたりがピークだったのだろう。
 彼らが活動から降り始めた理由の一つは、「日本が右に傾きすぎた」との意識が生まれたためだろう。彼らの多くは、そもそも右傾化を目指していたのではないからだ。
 また彼らは既存の政治運動を嫌い、ネットという新メディアで「草の根」活動をしようとした。だから実際にビラまきなどの具体的な政治運動に触れると、違和感を覚える。現実に近づくほど、バランスを取るという動機とのギャップが見えてくるのだ。

 ネット右翼的な減少が今後、強力な国家主義運動に発展する可能性は小さいのだが、だからといってこの現象が無害だとも思えない。
 「韓国はうるさい」とあからさまに他国を侮蔑したり、「竹島自衛隊を送れ」と極端な強硬政策を主張したりする言説がタブーではなくなった。こうした主張が積み重ねられることで、世論が変質する可能性はある。他国に対する極端な強硬政策を打ち出す政治家に、暗黙の承認を与えてしまうかもしれない。
 それを防ぐには、あたかも左翼と反左翼しか存在しないかのような、不毛な国家論の現状を打開せねばならない。手がかりとして私は、愛国心憲法教育基本法に書き込むことをあえて提唱したい。「愛国心は危ない」という結論ありきの議論は、反左翼の脊髄反射的な批判の「燃料」にしかならないからだ。
 ただし、ここでいう愛国心とは「愛国者でなければ売国奴だ」というような排除の論理のことではない。
 社会のメンバーを誰も排除しないための愛国、平等を目指して人々が幅広く連帯するための愛国---そのような愛国を機能させるためのきっかけとして今回の愛国心論議を生かせないか、と思う。
 たとえば近年、経済格差の拡大が言われるが、愛国者なら同胞の貧困は放置できないはずだ。「負け組」や地方を排除するか、同胞として見捨てない道を進むか。自民党の愛国はどちらだろう。またその愛国は外国人を排除するだろうか、しないだろうか。
 国家や愛国をどう規定するかについて国民が考える。そのような作業が求められている。(聞き手・塩倉裕

鈴木謙介氏 
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究76年生まれ。専攻は理論社会学。著書に「暴走するインターネット」「カーニバル化する社会」など。
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