文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

石平君の『「日中友好」は日本を滅ぼす』を読む。


先日、「頭山満生誕150年祭」でも一緒だった中国人ジャーナリストで日本文化研究家の「石平(せきへい)」君から昨日、『「日中友好」は日本を滅ぼす』という著書が届いた。石平君とは、最近頻繁に会う機会があり、その度に現代の中国関係の情報をいろいろ教えてもらったり、毛沢東論や文化大革命等の評価に関してはかなり込み入った議論もしているから、彼がどういう思想の持ち主かはある程度わかっている。もちろん、彼が最近、「諸君!」「正論」、あるいは「will」等に続々と発表している情勢論的な評論も時々読んでいるし、また反中親日的な言論活動を展開している彼の中国人としての複雑な思想的な悩みもしばしば聞いている。しかしそれでも石平の本当の思想の真髄と言うものはまだ理解できていないはすだと、僕は思っていた。その石平君から送ってもらった『「日中友好」は日本を滅ぼす』を、石平という中国人の複雑な思想的心境を推察しながら読んだ。そしてついでに、僕が考えたのは、最近の日本の政治家たちの中国外交についてだった。僕は、小泉首相麻生太郎のような中国敵視外交、対中喧嘩外交にも反対だが、当然のことだが、昨日、中国共産党の党幹部たちの接待を受けて浮かれていた二階某を初めとする、いわゆる親中派政治家たちの、日中友好金科玉条とする親中外交にも反対である。では、日本は、どういう対中外交、日中交流の道を進むべきなのか。第三の道はありうるのか。これは決して簡単に解決できるような問題ではないだろう。今さら言うまでもないことだが、有史以来、日本の歴史は中国大陸との交流の歴史だった。中国大陸の政変や思想的動向は、常に日本の政治や歴史をも間接的に左右してきた。おそらく、これからも、「アメリカなし」の日本の歴史はある場合にはありうるかもしれないが、少なくとも「中国なし」の日本の歴史はありえないだろうと思う。石平君は、その問題を、次のように要約している。

それは、日本の「治」と「乱」の交替には、中国大陸との関わり方が強く影響しているように見える、とうことである。すなわち、日本が中国の政権に接近して深いつながりをもった時期、さらには中国大陸に進出した時期、日本国内はたいてい『激動の時代』と化す。逆に、中国大陸から遠ざかって緊密な関係を持たない時期、あるいは中国政権との交渉を中断した時期には、日本は長期的な繁栄を享受してきた、という事実である。

なるほど、そういうことだったのか、というわけである。たとえば、もつとも、最近の例で言えば、中国大陸に進出して以後の「大東亜戦争と敗戦」の時代、そして敗戦による日中国交断絶後の「平和と繁栄の時代」、田中角栄の日中国交回復からバブル崩壊を経て現在に至る「第二の敗戦」と言われる時代…。まさに石平の言うとおりだ。石平は、これを、「中国に近づくと、必ず『国乱れる』日本史の法則」と定式化しているが、これこそ、無邪気に「日中友好」を唱え、「日中友好で日本経済は復活する」と錯覚している財界人や、そういう財界人の手先になって熱心に「中国詣で」を繰り返す日本の政治家や外交官たちに、是非とも聞いてほしい話だろう。つまり、「中国に近づきすぎると日本国内は乱れる」というこの公式は、最近の日中関係と日本の沈滞が証明していると言っていい。そこで、石平は、この問題を「日本政権」の問題にまで敷衍してこう言う。

時の権力との関係からいえば、日本史上、中国と濃密な関係を持ち、中国に深入りした政権は往々にして短命に終わっているのに対して、中国と一定の距離を保った政権は、逆に長持ちするという現象にもなる。

うーん、これまた思い当たる話だ。現に、僕は肯定するつもりはないが、日中友好を拒否して、対中喧嘩外交を展開する小泉政権が近年珍しい長期政権になっていることがそれを証明しているということになる。とすれば、これから政権を目指し、なおかつ長期政権をめざす政治家ならば、日中友好の看板を下ろし、日中喧嘩外交を展開すべきということになるが、はたしてそれは可能なのだろうか。日中戦争でも覚悟しない限り、そういう危機的な日中関係を長く続けることは無理だろう。言い換えれば困難な問題は、地政学的にも、小泉総理のごとく、いつまでも対中喧嘩外交をやっていられないと言うところにある。これからの日本は、これまでもそうだつたが、中国をパスすることは出来ない。石平は、そこで、現在の日中関係でよく言われる「政冷経熱」という関係ではなく「政涼経温」ぐらいの日中関係を築くべきだと提案している。原理原則を堅持しつつ、つかず離れずのクールな関係を築くことが、日本のためには最高の日中関係だろうというわけだ。「原理原則を貫け」という提案をするに際して、石平は、原理原則を放棄して親中外交を展開したために結果的に手痛いシツペ返しを食らわせられた例として、江沢民の「対日裏切り戦略」を指摘して次のように説明している。

一つの例をあげよう。1989年に世界を震撼させた第二次天安門事件の後、米国を中心とする西側先進国は、民主主義と人権擁護の立場から中国政府に猛烈に反発して、厳しい経済制裁を加えた。その中で、日本政府は民主主義国家として事件に批判の立場をとるものの、中国政府に対しては欧米諸国と違って「温かい」態度を示した。しばらく後、日本は西側諸国に先駆けて中国との交流制限や経済制裁を解除し、日本の首相が先進国のトップをきって訪中することで、中国が国際社会へ復帰できるように尽力したのである。つまり、民主主義や人権擁護などの基本原則より、中国との関係維持を最優先したわけである。

そしてこの結果はどういうことになつたか。すでに誰でも知っていることだが、江沢民は、日本の助けによって国際社会に復帰するや、アメリカにいち早く接近し、訪米を実現、訪米途中のハワイで、日米戦争勝利の記念式に出席、帰国途中、「歴史問題」を持ち出し、恩を仇で返すかのように激しい日本批判を展開、日中友好幻想に酔い痴れていた日本政府や日本人を愕然とさせたのであった。石平は、この事件を、日本政府の「自業自得」と解釈する。つまり、国際社会の原理原則を忘れて、必要以上に中国に肩入れし過ぎた当然の結果にすぎないというわけである。